十二番目の奪われ皇女は王家を滅ぼし玉座に座る
「ヴラスカ皇国第十二皇女、ヴァシリーサ・コヴァレフスキ!数々の悪行を働いた君を我が王国の正妃になど出来るものか!」
大広間によく通る声が響く。
フェブル王国の王子、イディオン・ド・フェブルは段上からヴァシリーサへ指を突きつけた。
「よってこのフランソワ・ルメルシエ男爵令嬢とこの場で婚約を結び正妃とする!お前は側妃として政務を支えろ!罪を問わない事を感謝するがいい!」
肩を抱き寄せられたフランソワ嬢がうりゅ、とわざとらしく涙をためてイディオンを見上げる。
王城で貴族を集めて開かれたヴァシリーサとイディオンの婚約パーティーだったはずのものは、一瞬にして断罪劇に姿を変えたのだ。
ヴァシリーサはすう、と深く息を吸って美しいカーテシーの所作を取る。
「...謹んで、お言葉を拝受いたします。王子殿下」
...ついに予想していた展開が来てしまった。
最初からわかっていた事、あまりにもわかりきっていた事だった。
ヴァシリーサ・コヴァレフスキは大国、ヴラスカ皇国の十二番目の皇女だった。
父である皇帝は九人の妃を持ち、ヴァシリーサはその九番目の妃との間に産まれた子、つまりは末席の皇女である。
そんな彼女はこの肥沃で魔石の産出が盛んなフェブル王国へと嫁ぐ事を命じられ、今こうしてこちらを見下ろすイディオンと婚約を結んだ。
だが金髪碧眼のイディオンは、ヴァシリーサの癖毛の白髪と紅の目を気に入らなかった。
「まるで年寄りの白髪のようだ。目は血のように赤くて気味が悪い」
彼は学園で取り巻きたちにそう語った。
婚約者である王子がそんな振る舞いだから、取り巻きたちも遠慮など必要無いと判断したのだろう。
編入してきたヴァシリーサを彼らは大勢で嗤い、教科書を隠し、インクを倒して制服を汚し、まともに取り合う者など誰もいなかった。
与えられたのが十二番目の皇女であることも、彼は気に食わないようだった。愛されて育てられた一人息子の王子からすれば、余り物を下げ渡された気分だったのだろう。
「それでも貰ってやるのだから、感謝の一つでもされたいくらいだ。可愛げのない女め、フランソワとは天と地の差だな」
フランソワ・ルメルシエは男爵家の令嬢であったが、その容姿の可愛らしさから人目を惹く存在だった。
桃色がかった金の髪、光を溜め込む大きな瞳。
まるで小動物のような彼女は、皇国の血を引く背の高いヴァシリーサと並べばますます小さく見えただろう。
「ルメルシエ嬢、婚約者のいる者に触れることはこの国でも非礼であったはず。お控えください」
ヴァシリーサは覚えたフェブル語で丁寧に王子に纏わりつく彼女へ何度も忠告したが、彼女はまるで聞き耳を持たなかった。
「やだあ、バシリーサ様ってすっごく細かいんですね!え?名前の発音が違う?ごめんなさぁい、そっちの言葉って難しくってえ」
「なんだ、彼女がうまく名を呼べないくらいで責めるのか!我が国の王妃になりたいのなら、寛容な心を持つべきだろう」
イディオンはいつもそう言ってはフランソワを庇い、側に置くことをやめはしなかった。
そしてあえなく学園で一人となったヴァシリーサは、皇国から連れた護衛騎士以外に会話をするものはいない...はずだった。
「お一人ですか、コヴァレフスキ皇女殿下」
その声音は低く、余計な感情を削ぎ落としたように静かだった。
声を掛けたのは宰相の息子、ジークハルト・ダルメイア。彼は王子の振る舞いを静観し、こちらにもあえて近づく事はなかったはずだ。いや、彼は自分に限らず、そもそも人付き合い自体を好まないようだった。
長く質量のある黒髪に虎目の瞳。
寡黙で威圧感すら与える彼は、王城での王妃教育を終えたヴァシリーサの背に訝しむような目をして声を掛けた。
「どちらへ。殿下のお部屋はその方向ではありませんが」
「...少し、書庫へ。王妃になるにはまだ知識に欠けておりますので」
ヴァシリーサは手の中に収めた重い教本を握り込む。教本からちらりと覗いた魔札。それを見たジークハルトは切れ長の瞳をさらに細めた。
「もう日が落ちるというのに、さらに勉学を?未来の王妃殿下は殊勝なことで」
「何か問題でも」
「いえ、こちらも父に言いつけられた所用が終わりましたので。良ければ付き合いましょう。...歴史は得意ですから」
ヴァシリーサの手に収められた本をちらりと見て、彼は唇の端を上げた。
それから、ヴァシリーサはジークハルトと授業を共にし、学園の図書室で勉学を共にするようになった。
そんなジークハルトは人付き合いが苦手だと言いながら、ヴァシリーサの身の上を聞くなり、次の日には彼と全く逆の気性を持つエミールという友人を連れて現れた。
「あのジークハルトが女の子と一緒にいるって聞いて来てみたら、なんと皇女殿下だったとはねえ!エミール・デューラーと申します!どうぞよしなに!あっ、ちなみにこう見えて僕、魔法専攻なんですよお!皇国は魔法の形態が違うっていうから興味がありましてねえ、ぜひご教示いただきたいなあと!」
余りの饒舌さに目を丸くするヴァシリーサに、エミールはにこにこと人懐っこい笑みを向ける。
「ジークハルトってば無口で困ったんじゃないですか?こいつって本当に表情が変わらないし何考えてるかわからないでしょ!でも僕は親友だから色々わかっちゃうんですよ!今のこの顔はねえ」
「そろそろ黙れ。お前は息継ぎを知らんのか」
「そりゃ高度な詠唱の為には長尺な呪文を言えなきゃいけないからね!肺活量には自信があるよ!」
「そういう話ではない」
お喋りで社交的なエミールはあっという間にその場に馴染み、彼の賑やかさは次々に友人を連れてきた。そしてあれよあれよと人が増え、気付けば“図書室友の会”なんてものが結成されていたのだった。
その頃には随分と学園と王城が過ごしやすいものとなり、ヴァシリーサも彼らに本音を話せるようになっていた。
だが遠目に見ていたイディオンは、それが面白くなかったらしい。
「あの女はつけ上がっている!少々痛い目を見せ、立場を思い知らせてやるべきだ」
それから、ヴァシリーサへの悪意は目に見えて増して行った。
根も葉もない悪評が広まり、フランソワはそばを通り過ぎるだけで怯えた表情を浮かべて涙ぐんだ。
「ごめんなさいバシリーサ皇女殿下!あっ、わたしったらまた言い間違えて...、お許しください!どうかもうこれ以上は、貴女には逆らいませんからっ」
ヴァシリーサは悪質な演技に眉を顰めたが、それも彼女の被害者ぶりを煽るだけだった。
「ひぐっ、そんな目で見ないで...!ごめんなさい、ごめんなさいっ」
「またフランソワを虐めているのかヴァシリーサ!君の性格の悪さには反吐が出るな!」
フランソワを狙ったように庇い立てるのはやはりイディオンで、茶番は先日の卒業を迎えるまで飽きずに繰り返された。
———だが、ようやく今日で全てが終わる。
これまでの事を思い出していたヴァシリーサは、カーテシーからゆっくりと身体を起こす。
集まる視線、ざわざわと囁かれる己の醜聞。
「いいざまだな、ヴァシリーサ!こんな時にもあのご友人共は庇いにも来られないようだなあ!」
「お可哀想なバシリーサ様」
勝ち誇った笑みを浮かべるイディオンとフランソワ。抱き合う二人へ、彼女は美しく微笑んだ。
「口を慎め。我はヴラスカ皇国は皇帝ゴルザレフの子、第十二皇女ヴァシリーサなるぞ」
堂々と伸ばされた背筋、結い上げられた白銀の髪は光を湛え、紅の瞳が下劣を見下げる。
「なんだと、無礼な...」
イディオンが怒りに口を開きかけたその瞬間。
ヴァシリーサは大きく声を張り上げる。
「フェブル国王よ、貴様は我が父によってもたらされた温情を無為にした!皇女たる我が名を以てここに王子との婚約を破棄し、元婚約者殿およびフェブル王国に宣戦布告を申し上げる!」
彼女の声が凛と張って、その場に響いた。
ドォン!!!!!
大きな爆発音が炸裂し、大理石の床が大きく揺れる。
「なっ、何事だ!?」
ドォン!!!!ダァン!!!ドゴォン!!!!
続け様に王城のあちこちから放たれる轟音。
巨大なシャンデリアが降り子のように揺れ、悲鳴に包まれる大広間。
「さあ、侵略を始めよう」
彼女が手を広げれば控えていた騎士たちが剣を抜き、合図を受けて武装を纏った兵が雪崩れ込む。
放たれる魔法の閃光、燃え上がる絨毯。
逃げ惑って捕えられる貴族たち、抱き合ったまま床に押し付けられるイディオンとフランソワ。騒動の中で慌てて立ち上がった国王と王妃の首に、速やかに刃が当てられた。
「皇女殿下、いかがなさいますか!」
「息子の振る舞いにも気付けぬ愚王だ。殺せ」
ヴァシリーサは顔色を変えずに言い放つ。
剣を握る騎士の手に力が込められ、首の薄皮が切れて血が滲んだ。
「おっ、おやめください、ご慈悲をっ!」
「お助けください!どうか、どうかっ!」
「ああ、妃は生かせ。政はその女が全て引き受けていたからな」
「はっ!」
ざん、と落とされた王の首が無惨に絨毯の上に転がり、ヒュッと息を吸った王妃がへなへなとへたり込む。
「ち、父上!!母上ぇ!!!くそっ、ヴァシリーサ!貴様、許さんぞ!!どうしてこんな事を!!!」
「いやぁーーっ!!たすけてっ、たすけてぇえッ!!」
床の上で拘束されたイディオンが怒鳴り、隣のフランソワがうるさく泣き叫ぶ。
ヴァシリーサは二人の元にゆっくりと歩み寄ると、呆れた表情で見下ろした。
「黙らせろ」
頷いた騎士が二人の顔の間に重い剣をガン!!と振り下ろす。
間近に剣圧を受けた彼らはビクッと震えると、慌てて口を閉じた。
「我が皇国がどうして列強となったのか、王子殿下は歴史にお詳しくないらしい」
ヴァシリーサは微笑みを浮かべて腕を組む。
「すべては戦。暴力と侵略。貴様の国の戦力など取るにも足らぬ。だが父なる皇帝陛下は無駄に兵を失う事をお望みでは無い」
戦争というのは手間がかかるものだ。
一々軍勢を用意して、外から崩すのは効率が悪いもの。だが欲しいものは手に入れる、我が皇国はそうして領土を拡大してきた。
そして、それは今回も同じ。
「凍らぬ港と肥沃な大地、魔石の鉱山を目当てに我はこの国に遣わされた。王妃の座を得て実権を握れるならば容易く、そうでなければ内部から崩し我が物にせよと」
初めから侵略が目的だった。
同盟と見せかけた属国化を目論んでいた。
王子を籠絡し、さもなくば実力行使を許されていた。
「貴様がこちらを一人にしてくれたおかげで、実に動き易かった。城の内部に魔法紋をいくつも仕込めたからな。兵舎と魔法宮に連なる扉を全て爆破し、記しておいた門から我が兵をこれほど容易く呼び込めた」
学園、王城、あらゆるところに魔法紋を気付かれぬように仕掛ける作業は長い時間を要したが、無事必要なだけの発動が叶った。
今ごろ王城の要は崩壊し、兵士たちは進路を絶たれて立ち往生している事だろう。
「卑怯者め...!!」
イディオンはぎり、と奥歯を噛み締めたが、ヴァシリーサには羽虫の雑音でしかない。
そして哀れなこの王子は、まだ自分の置かれた状況が見えていないようだった。
「ところで、王子の婚約パーティーだというのに高官が複数欠席している事に気付かなかったか?」
イディオンははっとして辺りを見回す。
捕えられて呻き声や嗚咽を漏らす貴族たち。
だが、そこには見覚えのある高官たちの姿が見当たらない。
「我が良き学友達を思い出してみたまえ。ジークハルトはダルメイア宰相の令息、エミールはデューラー魔法公の令息だ。連なる面々も大臣家のご令嬢にご子息ばかり。取り巻きと男爵令嬢なんて粗末な交友関係に身を置いていては気付けぬか」
ヴァシリーサは指を丁寧に折って数えてやる。
その度にイディオンの顔は青ざめて、蒼白になっていく。
あの日。魔法紋を施す為に向かっていた先でジークハルトに声を掛けられた時には、我ながら少々焦ったものだが、やはり宰相の息子となれば物分かりの良いものだった。
ここでヴァシリーサを捕らえたところで、戦力差の大きい皇国から攻め入られれば国は落ちるのみ。
その上、この国の国王とその息子が為政者として使い物にならない事は、立場ゆえに嫌と言うほど知っていたのだ。
「皆良い協力者として活躍し、見返りにこちらは彼らと家族の身の安全を約束した。いずれここが我が国となれば、良く働く家臣となるだろう」
彼女はわずかに顎を上げ、イディオンとフランソワを見下ろす。
その支配者たる悠然とした視線の先で、二人は涙に顔を歪ませて震えるだけだった。
「そ、そんな...嘘だ、こんなこと...」
もはやイディオンの言葉は意味を成さない。
ヴァシリーサは彼を見据えて紅の瞳を細めた。
「喜びたまえ、貴様の死後は安泰だ」
冷たい刃が首元に当てられる。
途端に血の気を引かせた二人は、全身の力を振り絞って暴れ、狂ったように喚き散らす。
「くそっ、やめろやめろやめろぉ!!!認めない、俺はこんなの認めないぞ!!裏切り者、恨んでやるからなあ!!」
「やだあっ、お母さん!!お父さん!!助けて、死にたくない、いやだ、いやだよぉ!!!」
ヴァシリーサが背を向ける。
ぎら、と剣が鈍い光を反射して、重い金属音と共に今際の際の叫びは途切れた。
彼女は血を含んでぐずつく絨毯をゆっくりと踏み、首を失った王を蹴落として空の玉座へと腰掛ける。
「殿下、城内の制圧が完了致しました」
「結構。父上がお喜びになるだろう」
遠くで炎が爆ぜる音がした。
だがもう、それを気にする者は誰もいない。
鮮血で染まった玉座の上。
十二番目の白い皇女は、優雅に足を組み変えた。
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