5−1. 実家と周囲と
日曜の夜、メアリが帰った後に、マーティン・クラレンス侯爵は書斎に執事のエドガーを呼んだ。
「エドガー、もう僕にはメアリがいない未来なんて考えられない。だから、彼女をどこかの養子にしてでも結婚相手としたいんだ。その準備段階として、彼女の事を詳しく調査してくれ」
執事は瞼に右手を当て、数回瞼を揉んだ。
「マーティンお坊ちゃま、それで本当によろしいので?」
「もちろんだ。ずっと考えていたんだ」
執事は小声で呟いた。
「後悔しますよ…」
「え、何?」
「いえ、何でもございません」
「それで、どのくらい時間がかかる?」
「対象は限られております。それほど時間はかからないと考えます」
「じゃあ、よろしく頼む」
週末、肩掛け鞄をぶら下げて魔法学院から校外に出ようとするマリエル・リズリーに、声をかける者があった。
「ライアン伯爵家の侍女をしております。シェリーお嬢様がお時間をいただきたいと仰っています」
「小一時間でよろしければ、お付き合いいたします」
「ありがとうございます」
そうしてマリエルは学院近くのレストランに連れて行かれた。かつてマリエルを嘲笑った女は、既に学院を卒業していた。
「わざわざ時間をもらってごめんなさいね」
「いえ、お気になさらずに」
子爵令嬢としては伯爵令嬢に異論など唱えられない。
「小耳に挟んだのよ、妹があなたの事を虐めていると。教育が行き届かずにごめんなさいね」
「いえ、お気になさらずに」
マリエルとしてはそれ以上の言葉は出なかった。リズリー家の人間を一番傷付けるのは、亡くなった姉を嘲笑う事だ。
「いえ、同じ女として、お姉さんとは知らぬ仲では無い人間として、してはいけない事よ。加害者である男を糾弾するならともかく、被害者である女性を、ましてや思い悩んだ挙句に亡くなった方を悪く言うのは、とても許せる事ではありません。本当にごめんなさい」
「そう言っていただけると姉も浮かばれます」
「妹にはしっかり言い聞かせるわ。許して欲しいとは言いません」
「いえ、大丈夫です」
謝罪を終えてシェリー・ライアン伯爵令嬢は付け加えた。
「これは言うべきか迷ったのだけど…あなた、隠しているつもりかもしれないけど、そんな格好をしても隠せていないわ。だから、クレアもあなたにそういう態度を取るの。私だって、あなたのお姉さんがそこまで綺麗でなければやっかんだりしなかったわ…そうね、お姉さんは本当に勿体ない事になったと思うわ」
そう言われてもマリエルには思い当たる事が無かった。
(殺気でも漏れているとでも言うのか?ならクラレンス家の人間も気付くだろう。まあ、良い。もっと気を付けよう)
リズリー子爵家のタウンハウスに戻ったマリエルは、夕食の席で両親に問われた。
「学院はどうだ…居心地は良くは無いだろうが、それだけに真面目に学ぶ姿勢が問われるんだ」
「仰る通り、居心地は悪いわ」
「それならせめて、このタウンハウスから通ったらどう?」
「寮なら時間ぎりぎりに出ても遅れる事はないから、その方が良いに決まってる」
両親としては勝手に家を出て寮に入った娘に一応気は使ってくれるが、姉の事であっさり引き下がった家族と未だ恨みを忘れていないマリエルには埋められない断絶があった。
これに対して、同席していたマリエルの3才上の兄アイザックは冷たかった。
「もう子供じゃないんだから、好きにさせたら良いだろう。なんなら姉さんみたいに自分で責任を取れば良いんだ」
「アイザック!」
両親から叱責の意味で名前が呼ばれたが、アイザックは涼しい顔で言った。
「家や家族を放って好きにした挙句、家族まで悪評に晒される事になったんだ。責任を取るのは当然だろ?しかもそれでうちの評判が良くなる訳じゃない。置き土産でいつまでも苦労しなきゃいけないのは家族だ。同じ事を繰り返さない様に気を付けるんだな」
マリエルとしては立ち上がって食堂を出る以外に無かった。この兄は長女ソフィアが亡くなった時も、冷たく言い放ったのだ。
「勝手にした挙句これで責任を取ったつもりかよ?その責任の取り方すら無責任だろ」
これ以来、マリエルは兄に話しかける事は無かった。その兄が夕食の席で言った言葉、『責任を取る』は要するに死ねと言う事だ。こんな情の欠片も無い男と一緒に暮らせる訳が無い。だからマリエルは家を出たんだ。
部屋に戻ったマリエルを母スーザンが追いかけて来た。
「あの子には言い聞かせるから、怒りを鎮めて頂戴」
「言って聞く人じゃないでしょ。あの時から言ってる事が変わらないんだから」
「アイザックと顔を合わせたくないなら工夫をするから、いい加減家に帰って来てはどう?」
「そんなんじゃないわ。少し大人になっただけ」
そう。血が繋がっていようがいまいが、心が通じない人間がいる、それを知って家から自立するのが大人への一歩ではある。
ソフィアがクラレンス侯爵家の跡継ぎの子を身ごもった事を父に告げてから、この家は壊れていた。
リズリー子爵オスカーはクラレンス侯爵と交渉したが聞き入れられず、訴訟まで起こした。アイザックはこれに対してずっと冷淡だった。その間、ソフィアは部屋に引きこもった。マリエルが何度姉の部屋に向かっても、言葉を交わす事は出来なかった。
訴訟に敗れた後、子爵夫妻はソフィアに領地で子供を生み、育てる様にと馬車に乗せた。その途上でソフィアは断崖から渓谷へ身を投げたのだ。そんなソフィアを世間は嘲笑った。だからマリエルはクラレンス家に復讐する事で、世間とクラレンス家の者達に姉の無念と怒りを見せつけようとしたのだ。
そっか、桜餅(道明寺)を食べてないから春を実感しないんだ。本編と関係ありませんが。




