4−3. 春咲渓谷庭園へ
王都の西には山があり、そちらから流れて来る清流が王都近郊の大河に流れ込む。その清流が山に近づくと渓谷になる。その渓谷を眺めながら西に向かうと庭園がある。その庭園も渓谷沿いの道も、王都在住の貴族の身近な娯楽として作られた。だから庭園で昼食を取るテーブルは予約制だった。
日曜の朝クラレンス家のタウンハウスを出た馬車は、検問に止められる事も無く王都外に出た。上位貴族の紋章の入った馬車を止める事など無いのだ。
(下位貴族だと一応止まって御者が人数を報告するんだけどね…)
侯爵家となるとこういう特権がある。
そんな特権や贅沢な造りの馬車、広いタウンハウスなど華やかな面が、『侯爵家の妻』と言う言葉に騙される女達を生んだのだろう。メアリことマリエルは軽く唇を嚙んだ。例えば前に座っている男が女を次々と騙す男だとする。
(こんな狭い空間にそんな屑と同席するのは絶対に嫌だ。姉さんはどんな気持ちで屑と話し…床を共にしたのか。想像しようとするだけで吐き気がする…)
今、馬車の室内でメアリの目の前に座っているのは屑ではなく、屑の弟だった。屑の弟、マーティン・クラレンス侯爵は心配そうな顔で話しかけて来る。
「ねえ、メアリ。実は花見に行くのが凄く嫌だったとか?」
「とんでもございません。貴族の方々が散策する庭園を歩くのが、少なからず恐いだけです」
「本当?何か凄く難しい顔をしてるからさ…」
「他の貴族の方に粗相をして旦那様にご迷惑をおかけしないかと心配しているだけです。お気遣いには感謝いたします」
「うん、そういう事があったら僕が謝るからさ、心配しないで」
「侯爵閣下がそんなに簡単に頭を下げてはいけません」
「ちゃんと誠意をもって謝るからさ、心配は無用だよ」
「そう言う問題ではありません」
馬車の外から聞こえてくる音が変わった。窓を開けて外を見たマーティンがメアリに声をかける。
「しばらく渓谷沿いを走る事になるんだ。若葉が出始めた渓谷沿いの道は綺麗だよ。ちょっと見てごらん」
メアリことマリエルが渓谷が好きな筈は無かった。マリエルの姉は、領地に帰る馬車が停車中に、近くの崖から溪谷を流れる川に身を投げた。
姉が王都のタウンハウスに無言の帰宅をした時、周囲が制止するのを振り切ってマリエルは姉の遺体を見た…美しかった姉の顔は半壊していた。頭部も欠けてピンクの物体が見えていた。片腕と片足は途中で折れ曲がっていた。
(これが上位貴族に騙された女が受けるべき罰だと言うのか)
だから、メアリは復讐に身を投じたのだ。
「メアリ?」
「すいません、崖から下を見るのが恐いのです」
「この間普通にジャンプしてたじゃない」
「2~3ftならともかく、30ft以上の高さを想像すると、恐くなるのです」
30ftだと氷の階段を作るのも難しい、そういう問題もあった。
「うん、それじゃあ仕方が無い。ごめんね、怖い思いをさせて」
「とんでもございません」
身を偽ってクラレンス家に潜入していメアリは、いつ不審者として斬り殺されるかと常時身構えていた。だから分かる事もある。後方の空気が変わったのだ。
侯爵家の正当な血を引くマーティンが意外と魔力が弱いという事もあるし、同席している侍従も普通の魔力の持ち主と見受けられる。魔力を持つ人間の接近に一番敏感なのがメアリだった。
(馬車らしきものが近づいて来る…2頭立ての馬車、御者以外に4人か?何のつもりか…ご同輩か)
「メアリ?」
「空気が変わった気がしませんか?」
「うん?山に入って冷えてきたかな?」
「そう言うもので無く。気配と言うものかもしれません」
マーティンは隣に座る侍従を見た。侍従は首を振った。
(危機感が無さ過ぎる)
マーティンも侍従も、物見遊山に向かう途中で緊張感が無い。
進行方向の席に座るメアリは、前方に付いている小窓を開けて御者と話した。
「後ろから近づくものはありませんか?この先に脇に逸れる道はありますか?」
御者は少し馬足を落として耳をすませた。
「うん、物音はする気がする。脇に逸れる道は無いね。ここはずっと一本道なんだ」
(やられた!庭園の予約を取った事から行動が知られていたんだ)
伸ばし様が無い内容なので、短くなりましたすみません。




