8.実しやかな噂
「さて、本題に入ろうか。協力者から近々、聖教が『嗜好派』に対して大規模な攻勢を仕掛けるという情報が入った。君達には我々と共に秘密裏にその作戦の援助を依頼したい」
それは教会の上級祓魔師と関係を築く同胞からの情報だった。
ニコ爺は空いているソファに置いていたカバンから一台のタブレットをテーブルの上に取り出す。彼が黒いアイコンをタップすると画面には建物の図面が表示された。
「これは上位幹部『キングヴォルフ』と呼ばれた彼のアジトだ。どうやら灰塊の中から手記が発見されたようでね。それで拠点が割れたようだ」
…あいつの
脳裏に浮かぶのはあのシルクハットを被った高慢な吸血鬼。彼は八人いる上位幹部の一人だった。最高幹部四人は別にしても『嗜好派』の中で彼の派閥はかなりの勢力を誇る。
「そういやニコ爺。朝やってたニュースでさ、キングヴォルフ?だっけ。そいつの一派が最近、変に人を攫ってるなんて話聞いたけど、何かそれも関係ある?」
ミロが何気なくいつもの軽薄な調子でそう言うと場の雰囲気が一変した。ニコ爺の表情が急に険しくなったのだ。しじまの後、彼は長く息を吐き、「頃合いか…」と呟いた。
「実は、少し前から『嗜好派』全体が『真祖復活』に向かって動き出したという実しやかな噂が流れている。私自身はその可能性は限りなく低いと見ているが…。
しかし、ここ最近の『嗜好派』の活性を考えると『真祖復活』とは行かなくとも何か大きな謀が動いていても不思議ではない」
…真祖か
「真祖ってアレだろ?僕らの始祖でずっと昔に四人の『勇者』に倒されたっていう…」
ミロの言う通り『真祖』とは起源を追えないほど古くから存在する吸血鬼。故に『真祖』と呼ばれる吸血鬼であり、十七世紀の『最終戦争』では猛威を振るっていた。
そして該当世紀末に現れた四人の『勇者』によってその暴虐は終わったと伝えられている。
「でもな…真祖の伝承って規模感オワってて、本当にいたのか怪しいんだよな…」
彼は呑気に頭の後ろで腕を組み、仰け反って上を見上げる。それ程に伝承は荒唐無稽なものばかりだった。
——彼女が通ると中天は黒夜へと転じた
——一夜にして都市は滅び、暁と共に鮮血の巨城が築かれた
——腕の一振りは旅団を壊滅させた。その中には『聖武器』に選ばれし者の姿もあった
改めて並び立てて見ると恐ろしい。こんな怪物、今の『嗜好派』最高幹部さえ青ざめる強さだ。間違っても騙し討ちしようなどと考えもしないだろう。挑んだら…その後の想像は容易だ。
しかし、ニコ爺は胡乱げな表情をするミロに落ち着いた声音で語り始める。
「…ミロくん。確かに『真祖』様はいたよ。私は当時、末端の臣下だった。知っての通り、途中で勇者側に寝返ってがね。真祖様の…彼女の能力至上主義は行き過ぎていた」
ニコ爺は平静を装っていたが、手や唇が小刻みに震え…それが当時の凄惨さを示していた。
それは幼少の頃から幾度となく聞いた話だった。ニコ爺は長生きであの『最終戦争』を経験している。
真祖の絶世を知っているのだ。
伝承ほどでは無いにしろ今の『嗜好派』を凌ぐ吸血鬼だった事は間違いない。
勇者によって長きに渡る吸血鬼と人間の戦争が終結すると、真祖に付き従っていた吸血鬼は大部分が十字の名の下に処された。
僅かに生き残った者達は復讐を誓う『嗜好派』と真祖の強いた能力至上主義からの解放を是とし、人の世を生きる事を選んだ『穏健派』の二派閥に分かれた。
迫害されたにも関わらず、人を支持するものがいたのには歴とした理由がある。実は吸血鬼が持つ能力特性は先天性なのだ。人を食らい続けるだけでは、最強の吸血鬼になる事はない。生まれつきの素養も不可欠だ。
それにより吸血鬼間で明確な格差が存在し、半ば優生学的な考え方でより良い能力を持つものは優遇され、そうで無いものは冷遇または淘汰される時代が長らく続いていた。
それ故に身を隠しながら、追われる身となりながらも『ただ生きる事』を許された人の時代を歓迎するものは一定数存在したのだ。そして時代の流れと共に『穏健派』は社会に受容されるようになった。
「…話を戻そう。君たちには我々の部隊に加わり、聖教の大規模攻勢を支援してほしい。何、聖教の作戦が確実に成功するようにするための措置だ。『嗜好派』閥の撲滅は我々の悲願。この作戦はその大きな一歩となる」
ゲノム解析、人類との融和。代替肉の開発。吸血鬼と人が共生できる制度の整備。
『最終戦争』以後、吸血鬼の社会的地位を漸次的に上げてきたニコ爺曰く、あと必要なのは『嗜好派』の完全な解体らしい。
それが終われば、後は時と共に吸血鬼は緩やかに人の世に迎合していくと彼はよく口にしていた。
それからニコ爺とキングヴォルフ一派の残党が根城とする放置されたビル群の構造、聖教が作戦を断行する日時など必要な情報を共有し、その日はお開きとなった。
ニコ爺を伴って店から出ると入り口付近で彼に声をかけられ、足を止める。
「綾人くん、ミロくん。例の『真祖復活』の件についてはこちらで調査を進める予定だ。何か掴めれば追って連絡する事になるだろう」
「分かりました、…ニコ爺」
反射的に返事をする時に先ほどの会話が脳裏を過ぎり、愛称に言い換える。何処となくそれは気恥ずかしかった。
するとそれを見たニコ爺が口元を緩める。
「綾人くん、何も視線を逸らすことはないじゃないか。ミロくんは…うん。君はもう少し弁えても良いかもしれないがね」
彼はそう言って愉快そうに短く息をつく。
「弁えるってなんだよ〜、ニコ爺」
…そういう所だよ、ミロ
そう独りごちながら、同時に美徳であるようにも思う。
「それではまた。仕事とはいえ、久しぶりに君たちに会えて嬉しかったよ」
その言葉と共に彼は手持ちのステッキを石畳に打ち付けると姿を消した。
…老いてもその能力は健在、か
末端とはいえ、元は『真祖』直属の部隊にいた吸血鬼。その能力は吸血鬼の最上位に類する。
「綾人〜、俺たちも帰ろーぜ。俺もう眠みーよ」
「ああ。…とはいえ、お前そんなこと言いながら、家に帰ったらゲームやるだろ」
そんな軽口を言い合いながら、俺たちもその場を後にした。




