7.公爵の呼び出し
《——綾人》
「ただいま」
「おけーり、綾人」
家に帰るとミロは棒付きのアイスを口に咥えて姿を現した。今朝の気まずさはどこへやら。声の調子は軽快でケロッとした様子だ。
時間が経てば機嫌が勝手に治るのはあいつのいい所だ。
「飯、食ったのか」
「食った、食った。レンジは使えるからな。ご飯解凍していつものやつと吸血鬼用のレーション」
『いつものやつ』というのは解凍したご飯に卵を割り、納豆を混ぜ、レンジでチンした謎料理だ。調味料を使う事で味の幅を付けられる、汎用性の高い代物である。
俺はミロと二、三言交わすとリビングを背に洗面所へ。そうして、ようやく一息つこうかというその時。思い出したように彼から声がかかった。
「あ、そういや新。今日は『嗜好派』狩りはなしな」
「どうした、何かあったか」
俺は鋭い視線で持って、聞き返す。
嗜好派の犯罪は後を経たない。
たった一日。されど、一日だ。余程のことがない限り、予定の狩りを止める事はない。
「なんか嫌そうな顔してっけど、しょうがねぇだろ。ニコ爺の呼び出しだ。今日の標的はニコ爺直属の部隊が代わりにやってくれるってよ」
「…そういう事なら」
俺は理由を聞いて胸に広がっていた蟠りをグッと飲み込む。
ニコ爺…穏健派閥の長『ニコ・ブラッドフォード』の呼び出しだ。普段はミロ伝手で『穏健派』の方針を知らされる程度。何か大きな動きがあるのかもしれない。
急ぎ支度を整えた俺たちは事前に指定された場所へと向かう。一応、『穏健派』にも本部と呼ばれる大きな施設があるが、あくまでそれは象徴的なもの。
人の出入りはおそらく『嗜好派』に監視されている。それが抑止力となる場合もあるが、俺の場合『同族殺し』であることが露呈するリスクもある。今回の呼び出しは後者を加味しての事だろう。
電車を乗り継いで西東京に出ると最寄駅から十五分程の距離にあるバーへと足を運び、いよいよ入店——というその時、俺たちはエントランスで引き止められた。
「お客様、会員証はお持ちでしょうか」
店員の問いに俺たちは顔を見合わせ、首を横に振る。
こうした事は初めてではない。ニコ爺は、機密性の高い店との関わりがある。ただ彼の趣味なのか、過半数がバーだったりするのだが。
まあ何にせよ、毎度待たされる身になって欲しいとは思う。
「アレ…。何だっけ…あ、そうだ。中に『ポール』っていう老人がいると思うんですけど」
ミロが頭上に手を翳しながら考えること幾らか。ようやっと今回の偽名を口にした。
すると店員が中へと消えて行き、暫くして現れる。
「…どうぞ」
猜疑心を滲ませる声音と共に俺たちは店内へと迎え入れられた。
店の構えの時点で嫌な予感はしたのだ。マットな黒を基調とした壁にイタリック体の文字列。傷んだ様子もない立て看板。曇りなく磨かれたガラス。
中に入るとそれは確信に変わった。拘りの詰まっていそうな光沢のある一枚板のカウンターに綺麗な温かみのある照明。吊り下げられたそれは光の加減で巧妙に隠れるようになっている。床はコンクリの打ちっぱなし。
明らかに空間が演出されている。
しかし、幸いなことに服装について心配要らなそうだった。フォーマルとカジュアル系スーツと洋服の比率が半々。まあ、洋服といっても目立たず上品な印象ではあるが。
…俺はともかくミロがな
偶々といえばそうなのだが、デート帰りの服装そのままということでジャケットにパンツスタイルと場に溶け込める装いではあるのだが、ミロといえばそれは酷かった。
明るめのパラシュートパンツに橙のグラフティの入ったパーカー、白のショートジャケット(缶バッチ付き)、極め付けは頭にニット帽だ。確かにミロは元々こういったビジュアル系の服装が好きではあるのだが…。
俺はため息を一つ吐くと我関せずの面持ちでスタスタと、ミロは周囲に苦笑いを振り撒きながら移動を開始する。やがてニコ爺のいる所まで辿り着くと彼の反対にある二脚のソファに腰を下ろした。
「綾人くん、ミロくん。久しぶりだね」
片目が隠れるように降ろされたアシンメトリーの前髪に肩位置で緩やかな曲線を描く後ろ髪。
整えられた髭に堀の深い顔。
鋭さを宿す視線。
シンプルな黒のスーツを着こなすその老人はまさしく『ニコ・ブラッドフォード』だった。
「お久しぶりです、ブラッドフォード公爵」
「俺は綾人ほどじゃないけど。久しぶり、ニコ爺」
ニコ爺は俺たちの挨拶を聞きながら、ロックグラスに注がれたブランデーを呷る。
「綾人くん。そこまで畏まらなくていい。昔みたいに『ニコ爺』と呼んでくれ給え。私は君たちの親代わりのようなものだ。子供の頃から知っている子に急に畏まられるとそれはそれでむず痒いものだよ」
彼はそう言ってクスリと含み笑いをすると、グラスを回してカランという心地よい音を奏でる。グラスを見つめる彼の目はどこか朧げで何か思いを馳せているようにも感じる。
もしかしたら、俺たちの幼少を懐古し、物思いに耽っているのかも知れない。
「…そう、ですか」
そうは言われても、だ。
気まずいものは気まずい。何せ、俺は自分から『穏健派』を去った身だ。そして五年の歳月の後に身が危うくなって戻ってきた。『穏健派』閥を体良く使っているだけなのだ。
その時、ニコ爺が意味深長に鼻を鳴らした。ゆっくりと顔を上げ、俺に視線を合わせると柔和な瞳でこちらを見据えた。
「綾人くん。君はどうやら戻ってきた事を未だに憂いているようだね。何、子供に反抗期は付き物だ。結局、収まるところに収まった。それにあれはアレでよかった。『穏健派』のあり方を見直す機会にもなったからね。確かに保守的過ぎるのも問題だと」
それはミロからも聞いたことのある話だった。俺が『穏健派』を去った後、俺の活動地域では一時的に『嗜好派』吸血鬼の犯罪率が低下していたらしい。
それを見た『穏健派』の上役は全国的に時折、見せしめとして『嗜好派』の一部を摘発するようになったとか。
要は『抑止力』だ。
無罪だった場合は釈放されるが、そういった事が行われているという事実が『嗜好派』に取っては一つの縛りになる。人を襲う衝動に狩られた時に『穏健派』の存在がチラつく。
その逡巡は大きな抑止となる。
「まあ、世間話は程々にしよう。だが、その前に一つ。ミロくんには今度ドレスコードというものを教えよう。世の中には場に即した服装というものがあるものだ」
ニコ爺はシワの入った手を掲げ、人差し指を立て何処か愉快そうな声色を出す。
ミロは片手で頭を抱え視線を逸らしながら、「…すんません」と申し訳なさそうにしていた。




