60.境界
《——綾人》
——???
目が醒めると俺は真っ白な空間にいた。
…あれ?俺はさっきまで真祖と戦って……
千智は。そう思い、辺りを見回すとそばで横たわり、寝息を立てている彼女の姿が目に入った。俺が肩を揺すると千智は額に皺を寄せ、微睡から醒める。
その時、可愛らしい声が耳に入った。
「あ、起きた!初めまして。綾人くん、千智ちゃん」
「あなたは…」
千智が寝ぼけ眼で反射的に問う。眼前にあるのは肩から掛けた布…トガだろうか。それを羽織った少女の姿があった。琥珀色の瞳に透き通るような白の絹髪。妖精を想起させる色素の抜けた肌。そして、何より歪な頭の上で浮遊する光芒を放つ輪。
俺は、その人離れした容姿に不気味さを覚え、同時に本能的な忌避感を得た。
「私は…えっと名前ないな」
丸っこい顎に人差し指を当て、点を見上げ考え込む仕草をした彼女は、何か閃いたのか「あっ、そうだ」と、パッと明るい声を響かせる。
「エル。うん、これがいい!私は『エル』。君たちが天使っていう存在だよ〜」
「えっ!」
腰に手を回し、体を仰け反らせる少女。それに驚く千智。そんな『敬え!』みたいな露骨な主張をされても…と思う俺を他所にエルと名乗る彼女は話を進める。
「あっそうだ!時間ないんだった!二人とも立って!立って!」
促されるままに俺たちはその場で立たされる。そのままエルは歩き出し、俺たちは互いに顔を見合わせてから頷くと、とりあえずついて行くことに決める。
「私さ〜、ずっとね。綾人くん達見てたの。『えっ、鬼と祓魔師が恋愛⁉︎大丈夫!』って」
突然振り向く彼女から俺たちは反射的に視線を外す。他者に恋模様を見られるのは、たとえ天使と言えど、恥ずかしい。
「でも、二人ともすっごく幸せそうだから、応援したくなっちゃって。綾人くんが吸血鬼ってバレてちょっとヒヤッとしたけど、それでも二人、仲良しだったから凄いな〜って思ったよ」
満面の笑みをこちらに向けるエル。そこに他意はない。純粋に俺たちの成就を喜んでくれているのだ。俺は思わず微笑む。
「あっ、ここ!」
少女は何もない所で止まった。相変わらず景色に変化はなく、遮蔽物のない白の空間がただただ続いている。
「なあ、エル。俺たちは生きてるのか?」
俺はふとそう聞いた。未だ状況は飲み込めていないが、長らくこの環境にいるからだろうか。次第に考える余裕が内に生まれるのを感じる。
「うん、まだ生きてるよ〜」
彼女は中空に液晶のようなものを出すとそこには真祖の城——都庁の屋上が浮かぶ。そこに蠢く二つの影。
…俺たちがいないんだったら。一体誰が
疑問を呈した直後、それに応えるように映像が拡大され、戦闘が写し出される。そこにいたのは血まみれの金獅子。
「…誰」
「ミロだよ、あいつは獣化の異能持ちだ。あいつ、真祖直属部隊の獅子将軍。その直系の子孫なんだ」
そう応えると、千智は率直に驚く。
「えっ。ミロくん、そんな凄い血筋だったの。多分、強いんだろうな…とは思ってたけど」
この反応は自然だ。吸血鬼の最優良家系。本来なら国が監視する対象。聖教からすれば、いつ暴発するか分からない爆弾を野放しにしていたようなものだ。
だが、これには訳がある。ミロの出自が判明したのは、穏健派が彼を保護した後の話。これまでニコ爺が懐刀として隠匿していたのだ。
「そうそう。今だから言うけど『同族殺し』は三年前に死にかけて、穏健派に捕まってね。ミロはその血筋と強さから俺の『監視官』に選ばれた。だから、一緒に住んでたんだよ」
この戦いの行く末がどうなろうと、すでにミロの秘匿は難しい。そう判断した俺は包み隠さず全てを語った。
「あ、そうだったんだ。でも監視官と監視対象の間柄にしては仲良いよね。綾人とミロくん」
「俺たちはニコ爺の施設で一緒に育ったから。幼馴染…いや、腐れ縁みたいな。そんな感じ」
その時、映像を見ながら、与太話に興じていた俺たちをエルの声が制止させた。
「もういい?ちょっと急ぎたいから本題に入るね」
エルが虚空に手を翳すと、キーボードとモニターのようなものが現れ、彼女はカタカタと打ち込みを始める。彼女はその手を止めずに口を開いた。
「私ね、綾人くんに渡したいものがあったの」
「渡したいもの?」
俺が疑問符を浮かべると、グラフやプラグラムが乱立する画面を見ながら、首肯する。
「うん。『ロンギヌスの所有権』」
さも当然のように繰り出されたその言葉に俺は絶句する。思わず、横を見ると唖然した表情を浮かべる千智が目に入った。
「…ロンギヌスの所有権」
「うん。それを渡すには、どうしても綾人くんにここに来てもらう必要があってさー」
俺が復唱すると、エルはここがどんな場所なのか、俺たちが何故ここにいるのかを話し始めた。
曰く。ここは現世と天界の狭間『境界』と呼ばれる場所らしい。死に向かう魂が天界に向かう通路。そして、天使が下れる最下層。許可なく現世に赴く事は出来ないとエルは言う。
「だから、綾人くんにはここに来てもらったの。…私が来れるのはここまでだから」
エルは申し訳なさそうに声色を暗くする。理屈は分かった。だが……。
「どうして俺はここに来れたんだ?」
その問いに彼女は即座に答える。
「体と魂の繋がりが薄くなったからだよ。ここは時間を超えた空間。人が『四次元』と呼ぶ場所なの。体と魂が強く繋がってると、どうしても世界に流れる『時間』の影響を受けちゃう。そうすると魂は三次元に縛られる。
人がここに来るのは『生まれる時』と『死ぬ時』だけ。そして、魂の初期化を経て、再び現世に送り返される。それが輪廻の仕組み」
…だからか
俺たちがここにいるのは、意識を失い体を離れたから。そして、エルはその機会を伺っていた……。
「エル、俺たちが真祖に殺されて、あの世行きになったらどうするつもりだったんだ?」
すると彼女は眉を顰め、一瞬手を止める。逡巡するような間が訪れ、切り替えるように息を吐いたエルは再びキーボードを打ち始めた。
「…そこは賭けだった。でも、真祖なら瀕死にしてから殺す可能性が高かった。アーカイブで見た真祖は強い人に敬意を払ってたし、綾人くん達は真祖に唯でやられるような人じゃないって信じてた」
柔らかく落ち着く声音で呟いた。やがてエルが手を止め、虚空に四角形の箱が現れる。彼女がそれに触れると同時に箱が紐解かれ、中から長方形のカードが出現した。
「はい、綾人くん。これがロンギヌスの所有権。あとは槍が君に応えてくれるかどうか。頑張って」
差し出されたカードに手を伸ばし、受け取るとそれは仄かな光を帯び、体の中に溶け込んでいった。
「あとこれは千智ちゃんに」
「えっ」
静観していた千智は驚きながら、恐る恐る手を伸ばす。相手は信仰の対象。慄くのも無理はない。エルの手に触れた瞬間、突如として千智が崩れ、俺は慌てて体を支える。
「エル、何を…」
俺は困惑した視線を彼女に向ける。
「千智ちゃんの魂を経由して、『純粋な神聖力』を体に届けたの。千智ちゃんは適性が高いから少しだけなら、薄めたのじゃなくて『本物』を使える」
エルの言葉を聞きながら、俺は千智の顔を覗き込む。瞑られた瞼がピクリと動き、彼女はゆっくりと目を開いた。
「大丈夫?」
「うん。ちょっとびっくりしただけ。…ありがとうございます、エル様」
「いーよ、全然気にしないで。私がやりたくてやってる事だから」
エルはこちらに向き直り、顔の近くで両手を振りながら、眉根を上げる。それから再び宙に浮くモニターとキーボードの方を向き、一つのボタンを押した。
するとまっさらの空間の中に光芒を放つ扉ほどの発光体が現れ、俺はあまりの眩さに目を細め、眼前に手を翳す。徐々にその光量になれ、警戒を解くと後方からエルの声が響いた。
「あれは現世に続く扉だよ。それじゃ頑張ってね。私は祈る事しか出来ないけど」
直接、干渉出来ない事が歯痒いのか、エルは唇をキュッとキツく結んでいる。
「大丈夫。ここまでお膳立てしたもらったんだ。勝つさ」
「天使様の祝福を直接受けて、負けようものなら、他の祓魔師に合わせる顔もありません」
互いに強気の言葉を返すと俺たちは手を繋ぎ、光の門へと足を踏み出した。




