58.獅子奮迅①
《——???》
「ああっ!まだってか」
強風の吹き荒れる屋上よりさらに上。柱状の結晶の頂点に胡座を組む影が一つ。誰一人居ないその場所で彼は煩わしそうに足を揺らす。その口調、態度から苛々している事は明らかだ。
綾人が真祖を追い詰め、千智が激鉄を打ち、中空に弾き出される。
「ちょっと前に行ってたら、勝てたんじゃねーの!」
彼は片耳を押さえ、罵声を浴びせる。鮮やかな黄色い栗毛が特徴的な彼は友の窮地に思わず立ち上がる。
『|常世為らざる彼方の貴石』
真祖の起こす嵐の超常。夜空に曇天が立ち込め、荒れ狂う風が戦場から遠く離れた巨大結晶の上まで届く。
「流石にヤベェって!僕なら、綾人たちここまですぐに運べる」
彼は視線を床にやり、早口で捲し立てる。
「ああっ⁉︎だから、何でだよ!」
しかし、叫びはするが動かない。体を打ち出さんとする本能を理性が済んでの所で止めているのだ。やがて綾人が『ロンギヌス』を握り、『球』に向けて放つ。発散した風が『球』を中心に爆散し、綾人と千智が吹き飛ばされたその時。
「…もういいんだな」
彼はポツリと呟くと、戦闘服の襟を正し、戦場に飛び降りた。
「まさか『|常世為らざる彼方の貴石』を防がれるとはな」
大階段を降った真祖は戦いの爪痕が色濃く残る床を踵で打ち鳴らす。彼女は少々面白くなかった。『心臓』だけで出来る最大の技で敵を殺せなかった。最強を自負する彼女が求めるは圧倒的な勝利。戯れに興じながらも本気を出せば、一撃で仕留められるという優位性。綾人の悪あがきは真祖の誇りを少なからず傷付けた。
しかし、同時に彼女の関心を買っていた。あの吸血鬼を何が突き動かすのか。
真祖は、答えをすでに知り得ていた。
戦いの前に行っていた事が全てだ、と。
幾星霜、知性生物を見てきた彼女には、目を見ただけで本当か嘘はすぐ分かる。だが、問題はその意志力だ。生命の危機に瀕しても綾人は決して芯を曲げなかった。むしろ自ら命を削り、神器に手をかけた。平和を求めるそれだけか。
…いや違う
青年の所まで歩いた彼女は内に湧いた疑念を否定する。眼前には一人の祓魔師を抱えたまま、気を失った綾人。彼の体はひどく傷ついているが、祓魔師のそれは浅い。
…なるほど
真祖はその姿を見て、確信した。彼女だ。この祓魔師が綾人をここまで駆り立てる。
「そうか、時代はそこまで来たか」
眠る娘の顔は吸血鬼に抱かれていると言うのにどこか幸せそうだ。それを見る真祖の顔には穏やかさがあった。
「勇者よ、世界は——」
徐に見上げた彼女は口を噤む。視線の先にあるのは、急速に落下する敵影。真祖は再び顔面に邪悪を張り付け、後退し、新手を睨んだ。
「悪いんだけど、僕の友達に近づかないでくれる?お婆ちゃん」
黒い作業着にタクティカルベストをつけた戦闘服。その格好に不釣り合いなニコちゃんマークの入ったアイボリーのニット帽。幼い顔立ちに特徴的な瑠璃色の瞳。双眸に静かな怒りを込めたミロは真祖を睨んだ。
「貴様、ライオネルか。いや、彼奴は『最終戦争』以前の戦役で勇者に狩られたはず…」
考えるままに視線をズラした彼女は、やがて何かに思い当たったのか、再びミロを見据える。
「先祖返りか。全く妙な巡り合わせよ」
「あれ。お婆ちゃん、そういうのすぐ分かっちゃうんだ。僕はミロ。山形ミロ。…今、ちょっと機嫌悪いんだよ。変な奴らに絡まれて、友達こんなにされてさ。だから——」
刹那、そこに舞うは土煙。音もなく消えた彼の拳がひたと真祖の横腹に据えられる。瞬間、撃ち抜かれた拳は、何故か巨大な結晶体を砕いていた。
「真祖様、『転移』はずるいんじゃないの」
構えを解いたミロは、斜め前方に視線をやり、不平を漏らす。彼の言う通り、真祖は攻撃が当たる直前、周囲に散らばる瓦礫となった結晶体と自身を入れ替えていた。
ミロは『転移』と形容したがその表現は適切ではない。転移と違い『門』を開かない分、過程が短縮された戦闘向きの『置換』。目に見えるものという制限を得る代わりに速度に特化した能力。
「何、使えるものは使うのが一流よ」
「だったら、僕もフルスロットルで行こうかな」
ミロはズボンのポケットから一つの赤い丸薬を取り出すとそれを口に放った。それは、千智が綾人を暗殺しようとしたその日、彼女の前にチラつかせたもの。噛み砕き、飲み込んだ刹那、ミロの額に青筋が浮かび、彼を包む雰囲気が柔和なものから好戦的なものへと変わる。
「変、し——」
「させると思うか!」
真祖が即座に生成した槍をミロに向けて放つ。しかし、それは二回り以上も大きくなった腕に阻まれる。掴んだ槍を力のままにへし折ったミロは、半身が獣へと転ずる中、ため息をついた。
「はぁ…お婆ちゃん、知ってる?変身中は待つのがマナーなんだよ」
そこには「全く分かってない」とでも言うように首を傾げる金獅子の姿があった。




