57.届かぬ一手
…彼女は無防備な状態で攻撃を受けた
起き上がった俺は、千智の頭を片腕に乗せる。
「…千智!千智!」
「…ぅぅ」
呼びかけると小さな声が帰ってきた。それに一安心し、俺は玉座を見上げる。
そこには平然とした面持ちで立つ真祖の姿があった。先ほどと違うのは一対の翼とでもいうべき浮遊体。翼一枚一枚が湾曲した三角形の集まりで構成されており、一枚の羽が六個の浮遊体で形成されている。
「いやはや、中々に面白かったぞ。綾人、そして今代のイェグディエル。あの砲台が切り札だったのであろう?攻撃が致命傷に留まったら…全く抜けのないよい戦略だった。…相手が私という事を除けば、な」
喧騒が止んだ屋上は声が嫌によく響く。冷たい風がふわりと吹き、戦場を撫でる。真祖の言う通り、作戦は完璧だった。互いが互いの意図を完全に理解して織りなす自分史上最高の連携だった。それでも真祖を狩ることが出来なかった。
「故に苦しみなく一思いに殺してやろう」
真祖は畳まれた翼を広げると両手を胸の前で交差させる。羽が熱した鉄のように発光し、赤の波動が手の中心で球体を形作って行く。モノトーンと有彩色が揺らぎが収束する毎に入れ替わる現実を疑うような景色の中、俺は眼前に左手を構えた。
負けは確定的。けれど負けを認める事は許されない。最後の最後まで抗う——その意地汚さが『人』であり、人が作り出した社会だ。幾星霜の偶然を経てあるのが、今。動き続ける限り道はある。
『常世為らざる彼方の貴石』
真祖の手を離れた球体が屋上の中心まで浮遊したかと思った瞬間、それを中核に地面が渦巻き、抉れ、発生した強力な力場がその場を支配する。
俺は自身の『影』から六本の聖剣を取り出し、その柄を交差させ、盾を作る。それらを『影』を分割した即席のロープで地面と縫い付け、持ち手を持ち、全身に力を込めた。
「…ぐ……ぐぐ」
求心力に抗うように何度も何度も盾を引き寄せ、迫り来る荒波を耐える。ギリギリと音を立てる奥歯。急速に失われていく握力。感覚が無くなっていく腕を勘を頼りに手繰り寄せ続ける。
その時、柔らかい感触が左手を包んだ。細長く陶器のような肌。それを辿ると彼女が目に入る。その顔は真っ青で体調が芳しくないのは明らか。
「『…神聖力:最大励起』」
千智の腕を伝って、武器に白の輝きが浸透していく。剣で造られた盾はその身を浮かせ、仄かな光を帯びていく。やがて盾に充填された神聖力はその前に光の壁を作り、『球』が創り出す求心力は急速に減退する。
「…一人に、しないで」
その言葉を最後に肩がどっと重くなる。すぐにスウスウと息が聞こえ始め、俺は安心感を覚える。恐らく自身が持てる全ての神聖力を込めたのだろう。
だが、彼女の思いは届かなかった。光の壁がガラスが割れるような音を立てて、崩れ始めたのだ。
…ごめん、千智
俺は盾の持ち手を放し、千智を横に寝かせると、『影』から一振りの槍を取り出す。体を悪寒が撫で、全身の毛が逆立つ感覚を覚えながら、俺は槍に手をかける。握った瞬間、左手が凍て付くような激痛を訴えるが、俺は本能に逆らい、柄を握り込んだ。
武装するは『神器:ロンギヌス』。聖教の保有する武具の中で最大の攻撃力を誇る長槍。
…狙うは一瞬
光の防壁が消失するその刹那。俺は体を駆け巡る痛みをやり過ごし、ただ機を見る。
…今!
守護する壁全体に罅が入り、再び螺旋に囚われんとするその時、俺は数歩の踏み込みと共に長槍を『球』に向かって投擲した。接触の刹那、甲高い音が耳を劈く。極大の神聖力と血の衝突。それは周囲に特大の衝撃波を生み出し、やがて荒れ狂う暴風となって発散した。
千智を抱え、盾の後ろに身を隠していた俺だったが、烈風は剣の盾を打ち壊し、なおも勢いを失わず、俺の体を結晶体の壁面に叩きつける。千智を離さないようにキツく抱きしめた俺は、壁をずるずると落ち、そして脱力した。彼女の頭がただ左手に重くのしかかる。
…すまない、みんな
浮かぶは俺を受け入れてくれた展望台の面々。駆けつけてくれたニコ爺、その傘下の特殊部隊の彼ら。そして、守りきれなかった恋人の顔だった。
託してくれた彼らへの悔恨を唱える最中、俺の視界は暗転した。




