50.恋路実れど、戦は終わらず
俺は千智の元に急ぐと『影』による半球の防護壁を解く。刹那、花紺青が靡いた。胸に飛び込んできた千智を抱き留める。
「その右手…」
「無くした。ちょっと無理したから。…でも、君を守れてよかった」
「何が『守れてよかった』よ。格好付けないで」
弱々しい拳が胸を打つ。千智の体は震えていた。怖かったのだろう。逆の立場で彼女が戦っていたら、肝が冷える。身を寄せる彼女の背を撫でながら、俺は徐に戦場を見やる。どうやら俺があの白髪の吸血鬼と戦っている間に制圧を終えたらしい。
「…本当によかったよ、君が無事で」
俺は安堵を覚えると自然とそう零していた。夜の静けさを取り戻す展望台でただ胸元の彼女の啜り泣く声が響く。しじま、顔を上げた千智が口を開いた。
「綾人はまだ私のこと、好き?」
見上げる彼女の視線をまっすぐ見て言葉を重ねる。
「…好きだよ、こうやってヒーロー気取るくらいには」
すると見据える俺を見て、怯えたような様子を見せた千智は唇を震わせながら、話し出す。
「私、綾人殺そうとした」
「…知ってる。でも、それは生きるためだ。仮に死んだって、その先で君が笑って生きられるなら喜んで命を差し出すよ」
即答すると彼女は再び俺の胸に顔を埋めて、シャツを手で握り込む。
「いつもいつも人の事ばっかり。…綾人に『自分』はないの?」
悲痛さを滲ませ、絞り出された声。それは自身を顧みる事の出来ない俺を糾弾するかのようだった。声が空気に溶け、余韻が完全に溶け入る中、俺は眉を顰めて答える。
「多分……無いんだろうね。きっとたくさん殺して、殺して、殺し続けて…きっとおかしくなってしまったんだ。一時の激情に侵されて、自我をすり減らして…ただ吸血鬼を狩る怪物と化した俺には…きっと何もない」
服を握り込む力が一層強くなる。千智の息が浅くなり、体が強張っていくのを感じる。伝わるのは憐憫と憂い。憂慮に満ちた視線がこちらを向く。そんな彼女を俺はきつく抱きしめた。頭を耳元まで下げると目を瞑り、囁く。
「…でも、そんな空の俺に『普通』を…『幸せ』をくれたのが君だった。一緒に笑って楽しんで、時々喧嘩して…血の色一色だった俺の世界を鮮やかな色を付けたのが神崎千智——君だ。だから、君が全部なんだ。たった一つの俺の欲。君以外はどうでもいいんだよ。君が笑って過ごせるなら、他のことはどうだって」
自分でも驚くほどの詩のような表現。だが、それは決して綻ぶ事なく、するりと口から流れた。心臓がどくどくと脈打つのと同時にどうしようもない多幸感を感じる。俺は体を包む余韻にひかれながら、彼女の体を放す。
「ずるいよ、綾人は…。…そんな、ことさ、言われたら…、さ。嫌いになれなくなっちゃうじゃん」
紡がれる言葉には嗚咽が滲む。溢れる涙を握り込んだ手でぬぐい続ける。
…やばい、どうしよ、泣かせちゃったよ
内心、しどろもどろになった俺は助け舟を探すように辺りを見回す。その時、一人の女性と目が合った。先ほど千智の治療に当たっていた女性だ。その人は俺の視線が自身に向いている事に気づくと、悪戯めいた笑みを浮かべる。
「あ、いっけないんだ〜!女の子泣かせるようなのはモテないぞ〜」
泣き顔を隠す千智を自身に抱き寄せ、こちらの指を向ける。
「違うのっ、違うのっ、やめてよ、あきちゃん!」
慌てふためき、台詞を否定する千智。
…いや、それよりも今、『あきちゃん』って
その名前で浮かぶのは彼女の友達の『西宮明希』。千智と打って変わって快活な人…。
「君が西宮さん?」
「あ、千智から話し行ってる?どもども、私が明希で〜す」
象徴的なポニーテールをを靡かせながら、ぱっちりと開いた目を瞑り、こちらにウィンク。手にはおまけのピース付き。所謂、『ギャル』を絵に描いたような印象を受ける。
「あれ〜、どしたん?綾人くん、固まっちゃって」
千智から手を話し、こちらの脇腹をぐいぐいと抉ってくる。
「…いや、随分と友好的だなと思ってさ。…もう俺の正体も分かってるだろ」
瞬きの刹那、彼女の手が背に回され、次の瞬間、目の前には銃口があった。
「ちょっとっ!明希ちゃん‼︎」
「綾人くんはこうされるって思ったわけだ」
千智が静止するのを待たずに同時に銃が天井を向く。…元々攻撃するつもりはなかったのだろう。拳銃をホルダーに納めると西宮さんは手を腰につき、リラックスした姿勢をとった。
「一応、名乗ってくれる?」
俺はそれにこくりと頷き、口を開く。
「犬塚綾人。吸血鬼。『同族殺し』。そう呼ばれる聖武器使いの吸血鬼だ」
「うん、じゃあ、これからよろしくね。綾人っち」
にかっと輝くような笑顔と共に手が差し出される。俺はその手を前に一瞬、躊躇に駆られる。
…俺は吸血鬼
思わず、下がりそうになる手を彼女が掴む。
「吸血鬼とか人とかどうでもいいじゃん。確かに吸血鬼にもいい悪いはあると思うよ。けど、それは人も一緒じゃん。…あんたが助けてくれなかったら、私たちはあのエトワールとかいう吸血鬼に皆殺しにされてた。ここにあんたを否定する人はいないよ」
「ねぇ、みんな‼︎」後ろに振り返りながら、手を掲げる彼女。ハキハキとした声はよく響く。彼女の声に呼応し、窓際で休憩中の人や負傷者の手当てをしていた人、また負傷者自身…その場に居合わせた祓魔師全員が片手を振った。
「ね!ま、上は分かんないけどさ、私たちは味方だよ。それにあの千智の彼氏でしょ〜。知ってる?千智って二人の時、彼氏くんの話しすんの。それもすっごい楽しそ〜に。独り身の私を差し置いてだよー、信じらんなくない?」
少々オーバーなジェスチャーを挟みながら、こちらを指さす西宮。
「…確かにそれは良くないね。独身だと効くからね、その手の話は」
俺はそれに含み笑いをしながら答える。
「だよねー。まあ、程々ならいいんだけど」
両手を宙に上げながら、呆れる西宮にそれに抗議する千智。
…千智ってあんな砕けた表情もするんだ
言い合いをする二人を見ながら、新たな発見をする俺だった。
…あとは真祖
落ち着きを取り戻した俺が目下の問題を考えよう——その刹那。
途轍もない轟音と共に天井が波状に割れ、一帯が土煙に覆われる。やがて晴れる視界に映るは一人の乱入者。
長身、痩せ型。肩まであるぼさついた髪に見るものに恐れを抱かせる深い闇を宿す菫の瞳。地を引き摺る長いローブを旗めかせる彼に感じたのはエトワールをも凌ぐ圧倒的な『力』だった。




