4.彼女
——午後
リーリーリー、リーリーリー。
…もう昼か
鈴虫を模したアラーム音が鳴る。スマホを手で探り当てると『停止』。寝落ち特有の重たい体を引き摺りながら起こし、時刻を確認する。
…十二時すぎ。…準備するか
準備というのはバイトのだ。場所はコンビニ。週五で十四時〜十八時の四時間。
今からシャワーを浴びて、軽くストレッチと筋トレをして体を起こさないといけない。
…ミロは
徐にリビングに向かうともぬけの殻だった。
この様子だとミロは部屋に篭っている事だろう。あいつのことだから、仕事の絵でも描いているはずだ。
吸血鬼は伝承宜しく、日中の活動量は落ちるため、実は名のあるクリエイターが吸血鬼でした、なんて事は珍しくない。
ミロも例に漏れず、ネットではそこそこの有名人らしい。詳しくは知らないが。
とはいえ、吸血鬼も人間と同じで才ある者が全てというわけでもない。そんな吸血鬼は夜勤や屋内の仕事に就くことが多い。
かく言う俺も仕事はコンビニバイト、俗にいうフリーターだ。野外に出ることが少ないのと、家から近い事がその仕事を選んだ理由である。
吸血鬼狩りの臨時収入もあるにはあるが、最近はあまりそれには手をつけていない。
なりふり構っていなかった十代の頃は平然と使っていたが、最近はどうもそういう気が起こらない。もしかしたら、真っ当さや誠実さなんてものに惹かれているのかもしれない。
…はぁ…行くか
支度を終えた俺は脳裏で渦巻く考えを一息で吐き出すと、ドアノブを捻った。
* * *
ピココン、ピココン♪
聞き慣れた電子音に迎えられ、店内へ。すると品出しをしていた店長に声を掛けられる。
「やあ、綾人くん。早速で悪いけど、飲み物の補充お願いできるかい?物は後ろに置いてあるから」
「わかりました」
半ば流れ作業で対応すると足早にバックヤードへと向かう。
その時、一人の店員と目が合った。
彼女は目元を柔らかくすると小脇でよそよそしく手を振ってくる。仕草が細やかなのは仕事中だからだろう。
俺はそれに軽く手を振り返しながらスイングドアを抜け、ロッカーへと急いだ。
バイトを終え、時刻は十八時三十分。
コンビニの前には先ほどの彼女の姿があった。
服装は所々控えめな刺繍が入ったブラウスにギャザースカート。
体の前でハンドバックを持ち、スッと筋が通った直立不動を体現した姿勢で虚空を見つめている。
「お待たせ」
声をかけると肩の高さで整えられた花紺青の髪が靡き、体がこちらに翻る。彼女は顔にかかる髪を左手で抑えながら、口元に微笑を湛えた。
彼女は神崎千智。文字通り『彼女』である。
「ううん、全然」
千智は首を横に振りながらやや低い落ち着いた声を響かせる。すると先ほどの微笑みが消え、眉が若干引き攣る。表情としての機微は小さい。
ただ俺には分かる。彼女は今、若干、機嫌が悪い。
「どうしかした?何か悪いことした…かな?」
「綾人、たまには断らないとダメだよ。また店長に仕事頼まれてたんでしょ」
…また、それか
千智はよく俺の『お人好し』な部分を諭してくる。それではいけない、と。気付かぬうちに自分が壊れてしまう、と。
どうやら彼女の父親が似たような性分で、時折顔からはどこか疲れを滲ませていたらしい。
「まぁ、しょうがないよ。店長が一番仕事多いから。それにバイトの子は学生ばっかで入れ替わり激しいし」
口ではそう言いつつも大変なのは事実。
いよいよ帰るという時に仕事が来たり、自分の仕事があるのに途中で別のことを差し込まれたり…。
元々、俺自身、要領がいいタイプでもない。不意に齎されるストレスは計り知れない。それは自分でもよく知る所だ。
ただそれは口にするべきじゃない。今のご時世、生きるのは誰だって大変なのだ。
この不景気じゃ二本足で立つのがやっと。人が、社会が疲れている。だから、せめて俺は人が少しでも楽になれるような寄りかかれる存在でありたい。
数多を救うことは出来ない。けれど、手の届く人の手を握ることはできる。
「…そうやってすぐ相手の肩を持つ。人の気も知らないで」
「?何か言った」
「知らない。…綾人が遅いからお店の時間過ぎちゃうよ」
彼女は徐に携帯で時刻を確認すると俺の手を握り、強引の自分の方に引き込むとそのまま歩き出した。
間もなく握られた手は解かれ、前後の距離は横並びになる。そのまま駅近くの料理店へ向かった。
道中、特に会話はない。けれどこの触れるか、触れないかという絶妙の距離感が心地いい。だが、特段何かに意識を向けていなかったからだろうか。
…もしかしたら、俺が人助けに拘るのは『同族殺し』だからかもしれないな
突如として湧いた思考は喉を支える事なく腑へと落ちて行き、波紋を広げた。
『嗜好派』に属する吸血鬼も全てが悪人かといえば、そうではない。ごく少数ではあるものの期せずして『嗜好派』に属す者もいる。
『嗜好派』の親の元に生まれた。『穏健派』と変わりない生活を送りながらも所属が 『嗜好派』のままだった。状況は様々だ。
ただ『嗜好派』に属する吸血鬼をいちいち判別していては彼らの根絶は難しい。だから、俺は『嗜好派』という括りで『殺戮』する。標的を含めその場に居合わせた吸血鬼は皆殺しだ。
さもなければ『同族殺し』としての素性が露見するという危険性もある。
その中には罪なき者も間違いなく含まれている。
俺は、咎なき者を確実に死に至らしめている。その罪の意識が時に過剰と思える献身となって現れるのかもしれない。——せめてもの贖罪として。
「どうかしたの?綾人」
ふとした声に顔を上げると千智の顔が近くにあった。彼女は若干背伸びをしてこちらの顔を覗き込んでいる。眉はへの字に曲がり、憂慮の色が窺えた。
…表情に出てんだろうな
「いや、ちょっと考え事してただけ」
「…そっか。何かあったら言ってね。どうにかは出来ないかもしれないけど、話なら聞けるから」
「うん、ありがとう」
その言葉に何処か救われたような穏やかな感覚が胸の内に広がる。千智は自身の表情の変化は乏しいが、他者の変化には敏感だ。
今回は俺の表情を汲んで踏み込まないようにしてくれたのだろう。正直、ありがたい。
「あれ?そろそろ」
「そうだね。角二つ曲がったらお店かな」
その時、赤、緑、白を基調とした看板が店内から漏れる暖色光に照らされるのが目に入った。




