38.ミロの号哭
「ごめんな。ちょっと家、汚れてる」
武器一式をボストンバッグに詰めた私はその足で彼らのシェアするアパートに来ていた。
「普段は綾人が全部、家事やってるからさ。僕も気合いで洗濯と掃除は頑張ったけど、料理は慣れなくて…」
苦笑いする彼の先には積まれた食器の山が見える。床には所々に散乱した服。床を覆っていないのを見るに、彼なりの努力しているのだろう。
私も一人暮らしを始めた頃は、掃除、炊事、洗濯…エトセトラ。中々うまく出来なかったものだ。何処かその風景に懐かしさを覚える。
暗殺は失敗した。その事実は手痛いが、何処か気持ちは晴れやかさだった。
「ミロくん、少し片付けしようか」
それから私たちは掃除を始めた。
「いや〜〜助かったよ。マジ神!」
ローテーブルの座椅子を引いて座ったミロくんは両手を合わせて嬉しそうにする。
綾人が言っていたように本当に裏表のなら感情表現の素直な方だ、とそんな彼を見て思う。話をするならとテーブルの上にはマグと茶請けが並べられている。
「それで、綾人は…」
掃除中は「長くなるから」と先延ばしされていたのだ。綾人は今、座敷でスウスウと心地良さそうに寝息を立てている。
「…あれ。『ロンギヌス』を使った影響で腕の裂傷が酷いけど、命は大丈夫。『聖痕』も少しずつ良くなってる。ちょっと前から夜は動けるようになってるしね…薬ありきだけど」
ミロくんの顔には悲痛さが滲む。その目の先には立てかけられたままの『ロンギヌス』があった。
…間違いない、本物だ
一見し、私は確信する。まるで意志を持つかのよう神聖力の揺らめき。その場にあるだけで感じる威圧感。アレは『神器』だ。
「『ロンギヌス』はその内返すよ。多分、ニコ爺、通した方がいいと思うし。でも、最近、ニコ爺、連絡つかないんだよね」
「ごめん」と彼は言い、『ロンギヌス』から視線を外す。
「……」
「……」
不自然な間が広がる。初対面特有のものに居心地の悪さを感じる。
この家に来る時、ミロくんを常に席を外していた。恐らく私たちに気を遣ってくれていたのだろう。
私は視線を右往左往させて気を紛らわしていると、ミロくんが私をじっと見つめて、物々しく口を開いた。
「…そろそろ、本題に入ってもいいかな。…単刀直入に言うと綾人を殺さないで欲しい」
「……」
和やかな雰囲気はふつと消え、代わりに重苦しいものが辺りを包み込んでいく。
「僕から言うのは、お門違いなのは分かってるんだ。けど…言うよ。祓魔師を辞めて綾人と何処かに行ってほしい」
…ガタッ
あまりに身勝手な要求に机の上に置いていた手に力が入り、卓上が揺れる。思わず、膝立ちになっていた私は座り直し、深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
「…すいません。でも、ミロくん。私が『イェグディエル』なのを知ってるって事は、私の事調べたんだよね。私が吸血鬼と一緒に居られると思う?」
その問いに罰の悪そうな顔をし、気休めだろうか。マグに口をつけるとゆっくりとそれをコースターの上に置いた。
「ま、そうだよね。君の両親は、『血の衝動』に駆られた吸血鬼に殺された。それで、吸血鬼全体に黒い感情を向けてるのも知ってる。祓魔師になったのも復讐が理由だって言うのも」
「…‼︎だったら」
私は思わず感情的になり、声を荒げる。胃が沸騰するような感覚を受けて、その勢いのまま言葉を発しようとしたその時——。
「綾人も同じなんだ‼︎」
「……え?」
私は大声で制され、困惑する。瞬間、私は魂を抜かれたような虚脱感を味わう。
「小さい時、『嗜好派』の子供に人の友達を皆殺しにされたんだ。綾人は怒って犯人を殺した。それで同じような人が増えないようにって、その願いが、吸血鬼への怨讐が、『同族殺し』にあいつを走らせたんだ…」
ミロくんは俯き、悲痛な面持ちで頭上の髪をクシャリと握る。声はか細く願望を糸として錦を織るように紡がれる。
「もういいじゃないか。あいつを解放してやってくれよ」
その言葉に含まれる意図の重さに私は眉を顰める。彼は知っているのだ。綾人が何を経て、今があるのかを。
「綾人は、君と出かけた時…すごく楽しそうな顔をするんだ。穏やかで安心したようなそんな顔。あいつが持ってる唯一の『今』が君なんだ。だから、あいつと一緒に居てやってほしい」
私は連なる言葉に心が揺れるのを感じる。ただ一人の友達のためにここまで出来る人はどれだけいるのだろうか、と。
そして、驚いた。それ程の事をさせる『犬塚綾人』という人物の人間性に。
訪れる静寂。私は思案し、手元にあったマグや茶菓子に口をつける。そうしているとミロくんは悪戯っぽい笑みを浮かべ、ダメ出しのように口を開いた。
「それにな、ここだけの話。綾人には『同族殺し』絶世期に稼いだ金が数億単位である。あいつは『真っ当な金じゃない』って言って全然手ぇつけねぇけど。
…でも、千智ちゃんのためなら、全然使うと思うぜ。それにトンズラする時のゴタゴタは『穏健派』でも面倒見れる。何たってニコ爺と君の師匠エバン・K・オリバーは繋がってるからな」
……⁉︎
「っっ、けほっけほっ」
私は思わぬ事実に喉を詰める。ミロくんに「大丈夫?」と心配されながら、落ち着きを取り戻す。
「本当?今のエバンさんとニコ・ブラッドフォード卿が繋がってるって話」
「ホント、ホント。もう四、五年の付き合い…ってやべっ。これ言っちゃダメな奴だ」
ミロくんは慌てて両手を口に重ね、大袈裟な動きをする。私はあまりに素っ頓狂な動きに笑ってしまう。
「ふふっ。ミロくん、ダメだよ。秘匿事項でしょ?それ」
深刻さから一転。空気が弛緩したと思った刹那、私たちの持つ携帯が同時に鳴動した。
——アドレスは、『聖教本部』
それを見た瞬間、体が怖気に震われ、心臓が凍りつくような感覚に襲われた。




