33.エウカリスティア
…うっ
エバンは瓦礫と砂塵の中で考える。飛ばされる最中、聖典を唱えた事で思いの他、軽傷だ。
…これが伝承の存在
ルシオは立ち上がりながら、舌を撒く。『ロンギヌス』を持つルシオを倒した存在。
ダニエル・ストーカー。
ニコ・ブラッドフォードと同じく元は真祖に仕えていた大昔の遺産。
現代の吸血鬼などアレからすれば、赤子のようなものだろう。
チラリと眼下で戦う術士団を見やる。だが、今のエバンに彼らを援護する余裕はない。ここで自分があの怪物を惹きつけ続けなければ、戦況はさらに悪化する。
…出し惜しみはしていられまい
エバンが決断したその刹那、土煙が凪いだ。目の前には腕を振り被った姿勢のダニエル。
『第三章/四節/安息日に善を行うのと悪を行うのと。また命を救うのと殺すのと——』
唱えながらもすでに体勢を整えていたエバンは聖剣を中腰に構える。
『——そのどちらが良いか』
再びダニエルの拳が迫るその瞬間、剣の帯びる青白い燐光が輝きを増し、やがて高まった神聖力は剣を中心に結晶化し、刃渡りを伸長する。
「おおぉぉぉぉぉぉ‼︎」
もはや短剣ではなく大剣となった剣をエバンは気迫を滲ませて全身で振るった。
「っっ!」
気配を察して飛び退いたものの先程とは桁違いの速さの攻撃にダニエルの反応が一瞬遅れる。刹那の間に高密度の『影』を展開したが——足りない。
何十の層にもなるそれをまるで紙が如く易々と切り裂き、彼の体に大きな切り傷を残す。
そのまま宙で体を捩ったダニエルは着地の折、勢いのままに後退する。どうにか片膝と手を地面につける事で相殺し、彼は前方を見上げた。
「ッフ……」
ダニエルの顔に笑みが浮かぶ。見据える先にあるには、二対の翼に幅広の大剣の切先を下に向けて屹然と立つ男の姿。体で抱え切れない神聖力が青と白の粒子となって、彼の周囲を漂っている。
——天使
そう形容するに値する神秘がそこに顕現していた。
「フ、フハハハハハハッッ!興が乗ったぞ。今代のウリエル。まさかその聖句を唱えるとは。……ウリエルよ、名は」
「悪鬼に名乗る名などない」
エバンはただ毅然と答える。その答えにダニエルは少々、残そうに眉を顰める。
「…そうか。それは惜しい。……では眠れ、聖典の担い手よ」
ダニエルは『影』から一振りの片手剣を取り出すと歩き出す。その速度は徐々に早くなっていき、ある瞬間二人の体がその場から消えた。
刹那、相対。強い衝撃が空間を軋ませた。
剣と剣の拮抗は高周波を奏で、お互いの剣を削っていく。『結晶化』した大剣と『血』で作られた剣は互いを侵食しながらも破壊の側から直ちに再生し、拮抗が続く。
それから始まるは、無数の交錯。何度もの斬り合いの中、両者、唯ならぬ傷を帯びていく。一方は即座に傷を塞ぎ、一方は聖言によって再生。
ダニエルの顔には悦が浮かんでいるが、エバンのそれに余力はない。彼の体には所々罅割れたような痕が覗き、また灰のようなものが舞っている。
「はぁ…はぁ…、っっ。『タリタ…クム』」
エバンは息切れを飲み込み、『再生と奇跡の言葉』を口にする。もう何度目かも分からない聖言で骨が見える腕が元通りになって行く。だが、反して彼の体は限界を迎えようとしていた。
それも当然、エバンが詠唱した『第三章/四節』は『制限解除』の聖句。祓魔師の体に注がれる神聖力の制限を取り払い、無尽蔵に取り込む自殺に等しい行い。
本来なら、唱えた刹那に肢体が砕けてもおかしくはない。
そう為らないのはエバン自身の神聖力への適性。更には鍛え上げられた強靭な体。そして、類稀なる信仰。
余りある祓魔師としての才能によるものであった。
…まだ足りない
だが、そんなエバンの中にも焦りが生まれる。とうに限界を超えた自分と互角以上に戦う相手。すでに自身は満身創痍。一方、相手は攻撃を受けているものの依然として余裕が感じられる。
相手は不死。こちらは定命。
無限の再生と有限の再生。どちらが先に倒れるのか。そこに一考の余地もない。
エバンは戦いの中で聖典を自身に引き寄せ、更なる詠唱を口にした。
「『取れ、これは私の体である』『これは多くのために流す契約の血である』——汝、聖餅と葡萄酒をその手に——」
「——『エウカリスティア』」
その刹那、エバンを中心に光の柱が現れた。




