29.どうしようもない現実
「…やっぱり」
「千智ちゃん。ちょっと嘘ついているでしょ?」
…⁉︎
思わず心臓が飛び跳ねる。グッと飲み込む唾が瞬間的に固くなり、喉が詰まりそうになる。
「千智ちゃん、変わってないわね〜、その癖」
坂口さんはあっけらかんとした口調で私の左手を指差す。
「右手で左手を摩る癖。千智ちゃん、昔から都合が悪い時はそうするでしょ」
彼女は眼鏡のブリッジを徐に押し上げるとベッドに手を着き、私の方へ上体を近づけて来た。
「誰にも言わないから、報告書にも書かないし」
目の前で私に囁くと坂口さんは椅子に座り直した。記録を取らないためかボードを手に取る様子もない。
…それに私はよく知っている
この人は言った事は守る。戦犯級の聖教や社会への文句も上司への愚痴も何一つ本部に通達されていない。
本当にこの人は興味本位で知りたいだけなのだ。
「実は…綾人と…『同族殺し』と私、恋仲なんです」
「…そうなんだ、続けて」
言いたい事はあったようだが、彼女は口と引き結び、ただ先を促した。
「…はい。あの日、彼と遊ぶ約束があってその時に吸血鬼に遭遇したんです。それで…」
私はそこで言葉に詰まった。すると坂口さんが言の葉を拾い上げるようにして口を開く。
「なるほどね。『同族殺し』の綾人くんは偶然じゃなくて、必然として現れたわけだ。君を助けるために」
「…はい。そして行方知れずだった『ロンギヌス』を使って私を救ってくれました」
「ああ、あの『結晶化』現象も彼の…」
彼女は納得するように頷く。
やがて私は全容を語った。元々、彼とはバイト先で出会った事。
今に至るまで吸血鬼と微塵も気付けなかった事。
吸血鬼を愛してしまった自分をどうしても許せない事。
すると聞き届けた彼女はぽつりと言った。
「殺すしかないね、彼氏くん」
私は自分の中で血の気が引くのを感じた。その感覚に何故と疑問符を浮かべる。相手は吸血鬼だ。慈悲の必要はあるだろうか。
だが、思いに反して勝手に口が言葉を紡ぐ。
「でも、彼。すごく優しいんです。一緒にいると安心するんです。それに——」
坂口さんは続く言葉を私の前に平手を翳す事で遮った。
「千智ちゃん。今ある選択肢はそれしかない。ボロが出る前に根っこを叩くの。『七天の担い手』が吸血鬼と恋仲。これだけでも十分危うい。けど、そこは大きな問題じゃない」
その時、憐れむような視線が私を突いた。
「他の子だったら、私も『祓魔師』の引退を勧めるんだけど…。御法度とはいえ、当人たちの幸せが一番だから。でも、あなたの場合はややこしい」
「…ややこしい?とは」
私は話の勢いに呑まれるまま聞き返す。すると彼女は一息ついてからゆっくりと話し出した。
「…あなた、身寄りがないでしょう。聖教の支援も慈善じゃない。あなたが祓魔師として結果を出し続けてるから、彼らもいい顔をする」
「じゃあ…」
「そう。あなたの意思は関係ない。あなたが生き続けるために彼の存在は隠蔽するしかない。そのまま問題を放置出来ない。他の誰にも勘付かれて見なさい。…最悪、あなた自身が」
——首斬りよ
坂口さんは自身の首を人差し指でなぞってジェスチャーする。
「そう、ですね」
私はぎこちなく返事を返し、視線を落とす。それを会話の終わりと見てとったのか、彼女は席を立つと病室から姿を消した。
…綾人
心に靄がかかるのを感じる。どうしてだろう。私は吸血鬼の存在そのものが許せなかったはずだ。そのはずなのに。『同族殺し』など非難の的だったはずだ。
悪鬼の偽善者。そう謗っていたはずなのに。
正体が『綾人』と分かったからだろうか。確かに彼は優しかったし、彼との時間はかけがいの無いものだった。
私の中にそれまでなかった何かが満たされていくような充足感があった。
彼の隣は温かかった。
「どうしてあなたなの?」
私は虚空に問いかける。不意に頬を伝った湿り気は塩辛い後味を残した。




