24.不和
それは歌舞伎町にある喫茶店から出てからの事だった。俺たちは帰るため、繁華街を抜け、駅へと向かっていた。そんな時、物陰が蠢いた。
ふと明後日の方向を見た瞬間だった。
建物と建物の間の細い通路。暗闇に満ちたその奥に何かがあった。俺は不思議がって目を凝らす。吸血鬼は夜目が効く。瞳を見開いたその時、闇は遠のき、俺はそれを視認した。
横たわる女性とそれを抱える男性。
ただそれだけなら何の問題はなかった。だが、その男の口元からは鋭利な二対の歯牙が剥き出しりとなり…先端からは雫が垂れていた。
それは相手が吸血鬼である事を示していた。
——あいつ…!でも、千智が…
俺は反射的に飛び出そうとした体を間一髪で静止する。
…人を見捨てるのか
俺は自問する。あの様子だと、まだ致死量は飲まれていない。今なら助けられる。
…けど
隣には千智がいる。下手に関われば、俺が吸血鬼だと、『同族殺し』だとバレるかもしれない。第一、彼女自身を巻き込むわけにはいかない。
「…綾人?綾人、どうかした——」
硬直する俺の脳裏に千智の声が響く。その瞬間、視界に青白い燐光が現れた。
「…神聖力:励起」
先ほどまでの穏やかさはまるで初めからなかったのかのように消え、代わりに声色には冷ややかさが宿る。それは一息で消えてしまう蝋燭の灯火のようだった。
明瞭に呟かれた刹那、彼女は瞬く間に視界から消えた。
吹き荒ぶ突風に襲われ、思わず顔の前に両手を翳す。恐る恐る組んだ腕を解くと吸血鬼と戦闘を始める彼女の姿が目に入った。俺は思わず駆け出す。
千智はどこから取り出したのか、拳銃で吸血鬼を牽制。突如の祓魔師の出現に慌てた無法者の吸血鬼は、吸血を中断し虚空へと消える。
「…千智」
彼女に追いつき、思わず声を掛けると眼前の少女は目を細め、悲しげな表情をした…ように思えた。『思えた』というのは次の瞬間には祓魔師特有の屹然とした面持ちをしていたからだ。
「ごめん、綾人。その人お願い出来る?あと近くから応援要請」
俺は彼女が告げた最小限の言葉にただ頷きを返す。
「君は?」
彼女の眼からは先ほどまでの楽しげな様子嘘のように消え、代わりに暗闇が差している。何をやるかは明らかだった。
「私はアレを追う。吸血鬼に天誅を下す」
冷徹な物言い、そして神聖力特有の光を伴って俺の前から消えた。次の瞬間、俺は激流に襲われた。今になって、事実を頭が咀嚼し始めたのだ。
脳裏が五月蝿い。提示された事柄が妄想と伴って、肥大する。焦燥で息切れを覚える。
「…あ…ぁあ」
混乱した俺を現実に引き戻したのは、抱き寄せたままの人の声だった。
…急がないと
俺は纏まらない思考を振り払い、『今』に目を向ける。
吸血鬼に噛まれた人間は放っておけば吸血鬼化が進行し、何れ吸血鬼となる。そうなる前に聖教の処置を受けなければならない。
俺は呻く女性を背で抱え、手元のスマホで聖教支部、もしくは『穏健派』の拠点を検索。目的地を定めると俺は即座にある電話番号を打ち込む。
そしてただ一言。
「…ミロ、千智の追跡を頼む」
それだけ言って電話を切ると俺はその場を後にした。
* * *
《——千智》
…ああ、もう!
地を、壁を蹴り逃走する吸血鬼を捉えながら、私は苛つきを露わにする。
…どうしていつも私の邪魔をするの。今日は楽しい気分だったのに
私の大切な時間を、人を。他人の時間を、人を。何度も何度も…。
もしあの女性が綾人だったかと思うと恐ろしい。
私は祓魔師になってからそういう現場を嫌というほど見てきた。
『ああ、私だけが特別なわけじゃなかったんだ。吸血鬼にかけがいのない人を奪われるのは珍しくないんだ』
幼少の頃の記憶が蘇る。任務について幾許か経った時だったか。記憶が起点となり、より集中が高まっていく。
心に憎悪の熱が灯り、赫怒が燃え盛っていく。しかし、冷静さを失う事はなく、集中状態は加速する。体は熱く、心は冷たく。まるで鎖から解き放たれたように明瞭さを増していく。
…応援は綾人に任せた。私の役割は仲間の到着を待つまでの繋ぎ
あくまで追跡し、逃さないのが今の私にできる精々。武装はハンドガンに替えの弾倉が二本。いつもの武装ならいざ知らず、この装備ではジリ貧だ。
私は脳裏で『境界』を定めると、逃げ果せようとする無法者を前に拳銃を握り直した。




