20.混迷
「…ルシオがやられた⁉︎」
普段、表情の乏しいエバンが目を見開き、驚愕の色を露わにする。その日、聖教会上層部は騒然となった。
現行の『七天の担い手』の中でも最強と名高い祓魔師『ルシオ・バーンスタイン』が遺体となって発見されたのだ。
『嗜好派の動きが日本で活発化している』
世界中の祓魔師を束ねる総本部から命を受け、ルシオが日本の地に降り立った翌日の出来事だった。
エバンは例の日の記憶を反芻する。
『エバン。すぐで悪いが、本部に行く前にやる事が出来た』
たった一つ。その通信を最後にルシオは姿を消した。
それ自体は珍しくない。
ルシオは勘の鋭い人物だ。きな臭さを感じ、動いた先には『嗜好派』の悪事を未然に防ぐ事も少なくない。何よりその類稀なる神聖力との親和性、継戦能力の高さから独断行動を許されていた。
——そんな彼が死した。
それは聖教会にとって由々しき自体だった。一騎当千の猛者の死。存在自体が抑止力となる者の喪失。そしてそれを打ち倒した一柱の吸血鬼の存在。
混迷を極めるのも無理はなかった。
「ど、どうするんだ⁉︎あの『ミカエル』が日本に来た瞬間に死んだ!」
「総本部に何と申し開きをすべきか…」
「それ以前に…『ミカエル』。ルシオ・バーンスタインを殺せる程の力を持つ吸血鬼の存在など…。それに聖槍『ロンギヌス』まで行方知れずとは——。もしや『同族殺し』の…」
彼の死の発覚からさらに一日。急遽、本部で開かれた会議には聖教会の上役が集められた。しかし、類を見ない状況に集められた人々は困惑を露わにし、平行線の議論を繰り返している。
…『同族殺し』の線は薄い
話に耳を傾けながら、エバンは胸中で呟く。同族殺しが本丸なら現場にはルシオ以外の神聖力の痕跡、さらには使い捨てられた聖武器の模造品があってもおかしくない。
…それにあそこには強靭な能力を使った痕があった。
同族殺しは能力が弱い代わりに聖武器を使っている節がある。冷静に考えると彼もしくは彼女の関与していない可能性が高い。
…実際の所、何者かとルシオがあの場で交戦。そこに『同族殺し』もしくは何者かが居合わせ『ロンギヌス』を奪取した。そんな所だろう。
実際、聖武器の所持者が亡くなり、武器が行方不明。数年後に質屋で見つかったと言うことは過去にもあった。それに現状、ロンギヌスが行方知れず、と言うのは棚に上げていい。アレの継承者は選ばれていない。それに一般人では真価を発揮する事は限りなく不可能だからだ。
『神器は天使に認められなければ、使えない』
その絶対条件がある限り、あの槍を含め真の聖武器『神器』は障害になり得ない。
…これ以上は無駄か
不毛な言い合い、責任の押し付け合いに嫌気が差したエバンは一人席から立ち上がる。喧騒の中、大理石の床をコツコツと踏み鳴らす音が響いた。
「おい、『ウリエル』何処へ行く⁉︎まだ話は終わっていない——」
その様子に気づいた一人の男がエバンを呼び止める。『七天の担い手』の退席。それは結果として、堂々巡りの議論を静止させた。
議席の方へと翻ったエバンは屹然とした出立で聞き返す。その瞳には『やる事は決まっている』とでも言うように冷淡さが滲む。
「何処へ——。そんなものは決まっている。皆も知っている事だろう『例の噂』を」
その言葉に人々は三者三様の対応を取った。視線を逸らす者。目を見開く者。嫌悪感を露わにする者。その中の一人がエバンを訝しむように見つめながらも声を上げる。
「『例の噂』…嗜好派が真祖復活を企んでいるという実しやかなアレだな」
「ああ。それにこれはルシオ…『ミカエル』も言及していた。我々はここ数年の嗜好派の活性は計画的だと見ている。調べれば分かる事だが、余りにも攫われた人が多すぎる。殺すではなく、攫う。拉致だ。可笑しいと思わないか」
エバンはただ問いかける。
「私はこの聖典『マルティクス』の所持者として、本来の任に戻る。『真祖の心臓』を封じる彼の地の守り手。その任を全うする」
彼はただそう宣言し、会議場から姿を消した。
議場を後にしたエバンの通りすがりに会釈をする者が一人。その人物を目にしたエバンは歩みを止めた。
「…情報提供、感謝する。ブラッドフォード卿」
「お気になさらず。私は勇者さまが作ったこの秩序を守りたいだけに御座いますれば」
片方を閉じ、片目を開けて神妙な面持ちで老紳士は言葉を返す。
「…現場の痕跡は紛れもなく、彼奴のものでした。ご容赦下さい、今代の『ウリエル』様」
老人はそれだけ述べると杖を二度鳴らし、忽然と姿を消す。報告を受けたエバンの顔には一層に深刻さが宿る。
「…守り抜かねば、この平和を」
小さな呟きと共に彼は足を踏み出した。
エバンが去ってから暫く。議場には喧騒が舞い戻っていた。
「ああ、くそっ!いつも神器の継承者は勝手が過ぎる。天使に認められたかなんか知らんが、天使以前に人様をだなぁ!」
一人が声を荒げ、長机を力任せに叩く。その言葉を皮切りに暫く陰口が続いた。だが、日頃の鬱憤を共有したからか、ルシオがいなくなった事は定かでないが、平静を取り戻した彼らは会議を粛々と続けた。
決定事項は二つ。
一つ、ルシオバーンスタインの死の秘匿。
(『七天の担い手』含め上層部には通達)
一つ、エバンの支援部隊の編成。
一つ目は教会のこれ以上の混乱と嗜好派の活性化を防ぐため。二つ目は言い方に問題はあるが、エバンの言葉も考慮した方がいいという運びになった。
——斯くして突如、聖教会を襲った荒波は落ち着きを見せ、そして地獄の釜は煮立ちを迎えた。




