17.我儘な決断
「で、どうすんの?」
「『どうすんの?』って」
俺は突然の問いに鸚鵡返しする。それを聞いたミロは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「いや…いやいやいや。話何も終わってないだろ。君はまだ千智ちゃんと付き合うつもりか。あの子確か修学支援だっけか、聖教の庇護受けてただろ。可能性は高いぞ」
ミロの視線が鋭くなり、俺を見据える。
…確かにそうだ
俺は逃げるように視線を逸らし、考える。
ミロの言う通りだ。廃ビル群で出会った千智によく似た修道女。千智自身も先日会った時に『聖教から支援受けてるから、ちゃんと大学行かないと…』と口にしていた。
例の少女とは別人だとしても末端の祓魔師である可能性は否定できない。
吸血鬼と人間のカップル。それだけでも充分危うい。加えて方や『同族殺し』方や『七天の担い手(かもしれない人物)』となれば、晒されるリスクは計り知れない。
…やはり、これ以上は
だが、その時、内にモヤりとした何かが立ち込めた。彼女のこと。そしてこれからの自分の活動を考えたら、別れた方がいい。それは分かっている。
ただこの形容し難いどんよりした物は何だろうか。これは以前にも経験がある。
そうだ。そもそも吸血鬼と人が付き合うのか危うい。そう考えた時に胸に支えた感覚とよく似ている。
…そうか。俺はまだ彼女と
『同族殺し』。俺の中に住まう悪魔。深い憎しみと私怨に満ちた復讐の権化。
そうではないただの『犬塚綾人』を見てくれるのは彼女だけだ。俺の交友関係の中で普通をくれるのは彼女だけ。
束の間の日常。
ミロとは違う意味で気兼ねなく居られる人。それを離す事を惜しいと感じているのかもしれない。
そう考えると少し胸に立ち込める霧が晴れるような気がした。
…当たらずとも遠からず……か
兎も角、今の俺にとって彼女の存在は大きい。少なくとも心の拠り所にしているのは確かだった。俺は徐に辺りを見回し、自分の椅子を見てとるとそれを引いて座した。
「…ミロ」
呼びかけた声は自分が思っている何倍も弱々しかった。か細く力強さはまるでない。自分でも解っているのだ。これからする提案、それが途轍もなく自分本位で情けない事を。
「…なんだよ」
ミロは俺にぶっきら棒に返してくる。彼は察しが効く。俺にはもはや声色から俺が何を口にするのか解っているように感じられた。
「…もう少し。せめて千智の正体が聖教の祓魔師だって分かるまでは一緒に居させてくれないか」
俺は俯き、片手で頭を抱え、背を丸めて…。大罪人が赦しを乞うように喉を鳴らした。
「わかった」
ミロはすんなりそう言った。俺は思わず顔を上げる。彼はパソコンで動画を開いているのか、ただその音声だけが居間に流れる。
暫しの沈黙。
「…どうして」
気まずく感じた空気を破ったのはまたしても俺の声だった。
理由を問うとミロはパソコンを閉じ、俺の前で片膝をついて俺を見上げる。
「僕だって鬼じゃない。僕は君の《《友達であって》》『監視官』だ。最優先は君の幸せ。優先順位は『監視官』の方が下なんだよ」
「ただ何もしないってわけじゃない」
ミロはローテーブルに置いていたスマホを手に取り、電源を入れる。素早く何度かタップすると俺の方へと携帯を向けた。そこに映されていたのは住宅街。その中には彼女の暮らすマンションもある。
……!
流石は幼馴染…腐れ縁というべきか。俺がこの決断をするのも予め想定していたのかもしれない。
「行動が分かる程度の監視はする。ごめんだけど、綾人には内容を伝えられない。変に情報流されても困るからな。…そこは『監視官』の領分だ、弁えてくれよ」
ミロはバツが悪そうに頭を掻きながら、視線を逸らす。
「ありがとな、ミロ」
俺は思わず安堵を溢す。
「おうよ。感謝しろよ」
ミロは気恥ずかしさを滲ませながら、鼻を擦る。
千智には申し訳ないが、暫くは耐えてもらうしかない。まあ、ストレスになるような甘い追跡をミロがするとも思えない。疑いが晴れれば、彼も監視を辞めてくれるだろう。
すると打って変わって神妙な面持ちでミロがこちらを見た。
「綾人、これだけは守ってくれ。僕が止めたら、問答無用で関係を終わらせる…いいな?」
「ああ、わかった」
唯一提示された条件に俺は首肯した。
間もなくカーテンの隙間から朝日が差し、早朝の青が明日の始まりを告げる。
『王狼派残党掃討作戦』。激動の一夜はこうして幕を閉じた。
* * *
《——千智》
…あれが同族殺し
ビル群の制圧の成功が無線を介して耳に入るが、不思議といつものような達成感、気持ちの晴れやかさはなく…むしろ心には曇天があった。原因は明らかだ。
『同族殺し』。
決して目撃されることはなく、ただその手口だけが知られていた『吸血鬼狩り』。それを見たのだ。一目見て確信した。…ああ、コイツがそうだ、と。
殺意を内に秘めた佇まい。戦い慣れた絶妙な重心、距離感。私を穿った熱のない視線。それらが眼前の存在を世紀最大の殺人鬼である事と物語っていた。
…ただ『王狼派』の彼が言った通り、吸血鬼としては弱い
私が目撃したのは撤退の一部始終だ。あの『影』への呑まれ方。
あまりにも遅い、遅過ぎる。
素養のある吸血鬼なら赤子でもあの速度ということはあるまい。つまり、吸血鬼としては遺伝子的に劣性。あの強さは鍛え上げられた結果なのだ。
…何が彼をそこまで駆り立てる
行方を眩ました後に残されたのは吸血鬼の遺骸飲み。服装からここまでの道中で報告に上がっていた『槍の吸血鬼』なのは明らかだ。
周囲の環境をよく理解し、闇に潜み死角から投擲によって戦力を着実に削る。吸血鬼らしい狡猾な手口だ。話によれば、彼女は中位。それも限りなく上位に近い吸血鬼と聞いていた。
…あの程度の能力しかない吸血鬼が倒せるとは到底思えない
『同族殺し』は聖武器を使用するが、それを用いた神聖力の励起は出来ないはずだ。確か昔に捕縛した吸血鬼を対象に実験が行われ、もれなく灰塊と化している。だから、こんな芸当できようはずもないのだ。
下剋上。
私からすれば、天地がひっくり返っているようなものだった。そんな怪異のような相手が聖教を目の敵にした時、私たちは戦い抜けるだろうか。そんな疑問が脳裏でチラつく。
『イェグディエル、ビル群を索敵しながら、撤退せよ』
思索に耽っているとまたしても無線に遮られた。全く、この通信機は偉大だ。考え事に耽ってしまう哀れな兵士を即座に戦場へと引き戻すのだから。
『こちら、イェグディエル。…了解』
私は無線先のエバンさんに返事し、一息つく。
…帰ろう
妙な事を考えている。多分、疲れているのだ。今日の授業は二限から。暫く寝てもお釣りがくる。そう足を踏み出した時、脳裏にある人物が湧いた。
背が高く、何処かやつれている彼。それは綾人の姿だった。
…何でこんな時に
いよいよ私はおかしくなってしまったのかもしれない。祓魔師としての活動中に恋慕に耽るなどどうかしている。
私は頭をブンブンと横に振り、思考を振り払うと拠点へと退却した。




