10.天使の名を冠する少女
『…こちら、イェグディエル。オーバ』
脳内に立ち込める唯ならぬ怒りを強引に鎮め、通信に応答する。
『こちら、『ウリエル』』
…エバンさん、か
『作戦を開始する。準備は問題ないか』
『もう出来てる。いつでも行ける』
そう答えると無機質な音と共に個別の通信が切れ、再び全体のチャンネルにて無線を受ける。
『16:35。現時刻を持って、作戦を開始する』
切れる直前に数多の足音が響く。間も無くビル群一帯は戦場になる事だろう。
…私も始めよう
先ほどまで無闇な考えに気を取られていたが、仕事はきちんとこなしていた。すでに狙撃地点、建物の構造。気候…狙撃に必要な手筈は整えてある。
私は単眼望遠鏡から目を離すとすぐ横に立てかけてある愛銃を手に取る。
…行こう、ドラグノフ
引き金に右手を、銃身を左腕で抱え込むような姿勢で後ろの壁にもたれ掛かる。それから銃口をやや下に向けた。
私はスコープで事前に目星をつけていた地点を見据える。すでに『王狼派』との交戦は開始したようで断続的に聞こえる通信には戦闘音が含まれている。
するとスコープの先で動きがあった。敵が異変を察知し、部屋の中から出てきたのだ。彼らは『王狼派』の上役だ。
…『神聖力:微弱励起』
グリップを握る右手から白の燐光が発され、それが銃全体を覆っていく。するとフォンフォンという特徴的な音が銃身から響き始めた。銃身内に取り付けられた輪上の魔法陣が回転しているのだ。
…発射
標的を見据え、引き金を引くと弾丸は途轍もない速度で打ち出された。シアーによって激発された弾丸が神聖力を用いた魔法陣の展開によってさらなる加速を得たのだ。
強化された弾丸の飛距離は四キロ以上にも及ぶ。本来の狙撃銃なら仮に当たったとしても致命の威力が出せない領域。それを神聖術が逸脱する。
必要なのは只、この超長距離を当てられる狙撃手のみだ。
だが、これが中々現れなかった。二十一世紀初期にはすでにこの銃は試作されていたが、誰も使うことが出来ず、長らく聖教の武器庫で倉庫番をやっていたのだ。
『千智は狙撃が得意なようだ』
エバンさんにそう言われるまま、九八年製の改造ドラグノフ銃を引き取り現在に至る。私が天使名を賜ったのは吸血鬼の討伐数も勿論だが、この『机上の空論』と化していた銃を扱えるというのが大きい。
…着弾確認。次弾装填
右手でハンドルを引き戻し、再び銃を構える。遊底から排出された薬莢が火薬特有の硝煙混じりの臭いを醸す。私はコンクリの地面と薬莢が奏でるチンという小気味よい音を感じながら、即座にスコープに視線を戻す。
…一発目はわざと外した
目的は他の誘き出しだ。思惑通り、中から次々と吸血鬼が出てくる。それらの頭と心臓に銃弾を見舞い、灰塊へと帰す。十発の弾倉を使い切ると再装填。再び狙撃へと移る。
それを幾度か繰り返すとようやくスコープ越しに存在を感じ取れなくなった。
…けれど
刹那、背後に悪寒を感じた。私は愛銃を手にその場で一転。足で地を捉えるとそのまま神聖力を用い、身体能力を強化し後方へと飛び退いた。
体勢を整え、元いた場所を見やるとそこには空間が丸ごと切り裂かれた鋭利な痕があった。断面はまるで磨かれたかのように滑らかだ。それが月明かりを反射し、前方に佇む人影を照らす。
…それはそうだ、アレだけバカスカ射ってたら位置もバレる
ただそれはこちらの目論見通りだった。私の役目は戦力の分散。狙撃を続けて敢えて敵の捕捉を許し、引き付ける。そうして戦力が薄くなったビル群を聖教で制圧する。
「とんでもない狙撃兵がいるって来てみれば、お嬢ちゃんか。いやすごい狙撃手ってのには間違いないんだけど、なんだか拍子抜けだね」
揶揄うような声音と共にカールがかった長髪を靡かせながら現れたのは、やるせない雰囲気を漂わせた吸血鬼だった。




