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灰の魔導書  作者: 憂姫


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白の塔の影1

王都研究院――白の塔。


 その名の通り、塔は白い大理石で造られ、

 陽の光を受けるたびに、氷のような輝きを放っていた。


 だがその美しさの裏には、

 触れる者の心を凍らせるような冷たさがあった。


 リオンはその塔の前に立ち、

 深く息を吸った。


 昨日の失敗がまだ胸に残っている。

 だが、足を止めることはできなかった。


 「理論は……人を救うためにある」


 誰に聞かせるでもなく、

 その言葉を小さくつぶやく。


 そうしなければ、

 この塔の中で立っていられない気がした。


 塔の入口を守る衛兵が、無表情に彼を見た。

 通行証を示すと、衛兵は軽くうなずき、

 無言のまま扉を開けた。


 中に足を踏み入れると、空気が一変する。


 外の喧騒は消え、

 代わりに、金属と魔法の匂いが満ちていた。


 石の床に響く足音。

 規則的に点滅する魔力灯。


 そして、壁に刻まれた膨大な数式と理論式。


 それら全てが、この塔の“心臓”を形作っていた。


 「リオン・フィン補助生。主任がお待ちです」


 声をかけてきたのは、

 年若い女性研究員だった。


 銀縁の眼鏡の奥に、淡い青の瞳が光る。

 表情は穏やかだが、

 その声には一切の無駄がなかった。


 「案内します。ついてきてください」


 リオンはうなずき、

 彼女の背中を追った。


 廊下を進むたび、

 壁に埋め込まれた魔法陣が青白く脈動する。


 そのたびに、胸の奥で不安が高まる。


 ――この塔は、理論を信仰している。

 人ではなく、理屈が支配している場所だ。


 彼は無意識に拳を握りしめた。


 やがて扉の前で足が止まる。


 女性研究員が軽くノックをした。

 「主任、補助生をお連れしました」


 「入れ」


 短くも低い声が返ってくる。


 中に入ると、

 そこは無数の魔導機器が並ぶ研究室だった。


 中心の机に座っているのは――マルクス。


 白い髭を整え、冷ややかな瞳でこちらを見る。


 「昨日の実験、見たぞ」


 リオンは背筋を伸ばした。

 「……はい。未完成でした」


 「未完成ではない。“未定義”だ」


 「未定義……?」


 マルクスは立ち上がり、机の上の記録書を手に取る。


 「君の理論には確かに一理ある。

  だが、“火”という現象を完全に数式で定義することは、

  まだ誰にもできていない」


 リオンは息を呑んだ。


 マルクスの言葉は、批判ではなかった。

 ただ、真実を静かに突きつける声だった。


 「君の理論が成立するなら、

  “魂”や“感情”も方程式で表せることになる。

  それは……神の領域だ」


 部屋の空気がわずかに震えた。


 「だから、慎重に扱え。

  理屈の光は、人を救うと同時に焼き尽くす」


 リオンは何も言えなかった。


 ただ、マルクスの言葉が胸に深く突き刺さった。


 ◇


 面談を終え、塔を出たとき。


 リオンの足は自然と止まった。


 空は曇り、

 白い塔の影が長く地面に伸びている。


 その影は、まるで人の心を覆い隠すようだった。


 「理屈が……人を焼く」


 マルクスの言葉が、何度も頭の中で反響する。


 けれど、それでも。


 理屈を追わなければ、

 “あの日”の意味を見失ってしまう気がした。


 誰かを救いたいという願いが、

 まだ消えていなかった。


 リオンは拳を握り、

 塔を見上げた。


 その目はもう、怯えてはいなかった。


 理屈の中にある“人の心”を見つけるために、

 再び歩き出した。


ーーー


夕刻。


 塔の影が王都の石畳を長く伸ばす頃、

 リオンは研究院の資料室にいた。


 薄暗い室内に、無数の本と巻物が並ぶ。

 そのひとつひとつに、

 古代から積み上げられてきた「理論」と「矛盾」が詰まっている。


 静寂の中、紙をめくる音だけが響く。


 目の前にある文献には、

 “感情干渉魔術”という単語が記されていた。


 「……感情を、魔力に変換する」


 その理論は、あまりにも危険だった。


 魔力は血統によって発現するもの。

 だがもし、“感情”を媒介として魔力を模倣できるなら――

 貴族以外の者も魔法を使える可能性がある。


 つまり、それは王国の根幹を揺るがす理論だ。


 リオンの手がわずかに震えた。

 そして、無意識のうちに笑みをこぼす。


 「……やっぱり、あったんだな」


 幼い頃からの疑問。

 なぜ一部の人間だけが“力”を持つのか。

 なぜ努力では届かない壁があるのか。


 答えは、今ここにある。


 彼の心の奥で、

 何かが確実に動き始めていた。


 けれどその瞬間、

 背後から微かな足音が聞こえた。


 「あなた……そんな場所で何をしているの?」


 リオンが振り返ると、

 そこに立っていたのは――セリアだった。


 白衣の袖を軽く押さえ、

 困ったように微笑んでいる。


 けれどその瞳の奥には、

 明らかな警戒の色があった。


 「この資料室は、認可を受けた研究員しか入れないのよ」


 「主任の指示で、古い文献を確認していました」


 リオンは即座に嘘をついた。

 セリアは静かに息をつき、

 机の上の文献をちらりと見た。


 「感情干渉……それを、今さら?」


 リオンは答えられなかった。


 セリアは目を細め、

 少し声を落とす。


 「その理論は封印されているわ。

  数十年前に、実験で……多くの人が死んだの」


 沈黙が落ちる。


 リオンの胸の奥で、

 冷たいものと熱いものが交錯した。


 「でも、封印されたってことは……

  “成功例”があったからだ」


 その一言に、セリアの表情が揺れた。


 「あなた、まさか――」


 リオンは目を伏せ、

 静かに笑った。


 「僕はまだ、何もしていません」


 「でも、やるのね」


 セリアの声は、少し震えていた。


 「あなたが何を背負っているのか、私は知らない。

  でも、これ以上は――危険よ」


 「危険なのは、ずっと前からです」


 リオンは視線を上げ、

 まっすぐにセリアを見つめた。


 「生まれた時から、魔法を持たない者は“危険”なんです。

  力を持たないというだけで、

  命の価値まで低く見られる。

  僕は、それを変えたい」


 その言葉に、セリアの瞳が揺れた。


 彼女は何かを言いかけて、

 結局、言葉を飲み込んだ。


 「……あなたって、ほんとにどうしようもない人ね」


 小さくつぶやき、

 資料を抱えて踵を返す。


 その背中に、どこか切なさが滲んでいた。


 リオンは黙って見送った。


 そして、机の上の文献を再び開く。


 “感情干渉魔術”――

 禁忌の理論のページに、

 確かに記されていた言葉を目で追う。


 〈人の心の波を、魔の力に転ずる〉


 リオンの胸の奥で、

 何かが燃え上がる音がした。


ーーー


夜の研究院は、昼とはまるで別の顔をしていた。


 廊下の灯は最低限に絞られ、

 塔の外壁を伝う風の音が、まるで生き物のように響く。


 リオンは静かに息を潜め、

 懐に小型の光石を忍ばせながら資料棟の奥へと進んでいた。


 そこには「封印区画」と呼ばれる部屋がある。

 正式な研究員でさえ、立ち入りには上級許可が必要な場所だ。


 だが――今夜、彼は踏み込む。


 己の中に芽生えた理論を、

 ただの空想で終わらせたくはなかった。


 扉の前に立ち、

 鍵穴に細工した金属片を差し込む。


 微かな音を立てて、古びた錠が外れる。


 中は、冷たい空気と古い紙の匂いに満ちていた。


 光石を掲げると、

 壁一面に封印文様が浮かび上がる。


 幾重にも重なる魔法陣。

 それらを見ただけで、

 どれほど危険な研究が行われていたかがわかる。


 「……これが、“感情干渉”の記録……」


 中央の机に置かれた古いノートを手に取り、

 ページを開く。


 そこには、異様な実験記録が残されていた。


 〈対象:第13実験体/血統不明〉

 〈目的:感情刺激による魔力擬似発現〉

 〈結果:暴走。心停止〉


 〈対象:第14実験体/庶民出身〉

 〈感情反応強度:極めて高い〉

 〈結果:暴走。記録者死亡〉


 次の瞬間、

 リオンの指が止まった。


 〈第15実験体:セリア・エルノート〉


 息が詰まる。


 そこに書かれた名前を、

 何度も見返す。


 「……嘘だろ」


 震える指先で、続きの文字をなぞる。


 〈結果:部分成功。感情刺激による魔力共鳴を確認〉

 〈被験者は自我を保持しつつ覚醒。以後、研究中止〉


 リオンは目を閉じた。

 あの優しく微笑むセリアが――

 かつてこの実験に関わっていた。


 そして今も、生きている。


 「だから……あの時、止めようとしたのか」


 リオンの胸の奥に、

 静かな怒りと悲しみが入り混じる。


 彼女は、自らの過去を隠し、

 それでも人を救おうとしていたのだ。


 その重みを思うと、

 胸が痛くてたまらなかった。


 ノートを閉じ、

 リオンは深く息を吐いた。


 ――この理論を完成させる。

 それが、彼女を救う唯一の方法だ。


 だが同時に、

 どこかで冷たい囁きが響いた気がした。


 〈理屈の光は、人を救いもするが、焼きもする〉


 マルクスの声が脳裏に蘇る。


 「……それでも、進むしかない」


 そう呟いた瞬間、

 背後から小さな音がした。


 ギィ、と扉がわずかに開く。


 光が差し込み、

 そこに立っていたのは――セリアだった。


 「……リオン。やっぱり、ここにいたのね」


 その声は、悲しみを含んでいた。


 「見たのね。私の記録を」


 リオンは黙ってうなずいた。


 「どうして……言ってくれなかったんですか」


 「言えるわけ、ないでしょう」


 セリアの瞳が潤む。


 「過去を語れば、あなたが私を“実験体”として見ると思った。

  あなたの目だけは、そうなってほしくなかった」


 「そんなふうに思ったことは、一度もない」


 リオンの声が震えた。


 「あなたがどんな過去を持っていても、

  僕は――あなたを尊敬しています」


 セリアの目が大きく見開かれ、

 やがて静かに伏せられた。


 「……本当に、あなたは愚かね」


 その声はかすれて、

 泣き笑いのようだった。


 「でも、ありがとう」


 その瞬間、

 研究室の外で警報音が鳴り響いた。


 「封印区画への侵入者を確認――!」


 衛兵たちの足音が近づいてくる。


 セリアがリオンの腕を掴む。

 「逃げて!」


 「あなたは?」


 「私は大丈夫。あなたは、ここで捕まったら終わりよ!」


 ためらうリオンの背を、

 セリアが強く押した。


 「早く!」


 リオンは歯を食いしばり、

 暗い廊下へと駆け出した。


 警報音が塔全体に響き渡る。


 彼の胸の中で、

 セリアの叫びと、マルクスの言葉と、

 燃え盛るような決意が渦を巻いていた。


 ――理屈の光を、必ず“人のため”に使う。


 それが、今の彼を支える唯一の信念だった。


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