表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰の魔導書  作者: 憂姫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/10

プロローグ【灰の書を拾う少年】

冷たい雨が降っていた。

 その日、街の空は一度も晴れなかった。朝から黒い雲が垂れこめ、灰色の霧が石畳を濡らし続けていた。


 貧民街の外れ。崩れかけた古書店の裏路地で、一人の少年が濡れ鼠のように本を拾い集めていた。

 名は――リオン・アーデル。

 身なりは粗末で、靴の底はとうに穴があいている。けれど、その瞳だけは濁っていなかった。煤と泥の中でも、何かを探すように輝いていた。


「……また、紙が腐ってやがる」

 ぼそりと呟きながら、彼は破れた羊皮紙を手の甲で拭った。濡れた指先に墨が滲む。

 古書店の主人が投げ捨てた「売り物にならない本」を拾い、乾かし、修復して再び売る。それがリオンの仕事だった。

 金にはならない。だが、活字の形を覚え、言葉を知ることができる。

 それだけで、彼にとっては十分な報酬だった。


 ――その日、彼は一冊の異様な書物を見つけた。


 瓦礫の陰に、灰色の革装丁。背表紙には何の題名もなく、ただ古びた金属の留め具だけが鈍く光っている。

 拾い上げた瞬間、皮の表面に微かに浮かぶ文字が見えた。

 それはリオンの知るどの言語でもなかった。

 だが、直感した――これは、ただの本ではない。


 開こうとした刹那、掌に熱が走った。

 まるで火傷のような痛み。

 慌てて手を離すと、本はぴたりと沈黙し、再びただの古びた本に戻った。


「……なんだ、今のは……」

 息を整え、そっとページをめくる。

 中身は、すべて空白だった。

 ただ、最初の見開きだけに、薄く灰のような筆跡が浮かんでいた。


> “観測する者こそ、理を操る者なり。”




 それが、最初の言葉だった。


 リオンはその一文を、何度も何度も読み返した。

 意味は分からない。けれど、胸の奥がざわついた。

 まるで、誰かが心の奥底で扉を叩いているような感覚。


 夜。

 薄暗い宿の一室で、リオンは油の切れかけたランプを灯した。

 雨音が屋根を叩く。

 部屋の隅には、修復途中の本や紙くずが積まれている。


 テーブルの上に「灰の魔導書」を置き、リオンは羽根ペンを握った。

 書き写し、分析し、理解する。それが唯一の道だ。

 貴族だけが使える“魔法”というものを、彼は書物の中にしか知らない。

 火を生み、風を操り、時に命を奪う神秘の力。

 庶民には一生届かぬ奇跡。

 けれど、もしも理屈があるなら――人間の手で、それを再現できるはずだ。


「……観測、理、操る……」

 呟きながら、紙の上に円を描いた。

 そこに数字と記号を重ね、線を結ぶ。

 それは魔法陣を模したものだったが、彼に魔力はない。

 結果は当然――何も起きない。


 失敗。

 何度も繰り返しても、ただ紙が汚れるだけ。

 それでもリオンは止めなかった。


 夜が明けても、眠ることなく観察を続けた。

 炎が灯る瞬間の空気の揺らぎ。

 風が流れる角度、音の震え方。

 街のあちこちで、貴族の魔法を「観測」し、記録した。


 そしてある日。

 彼は、気づいてしまう。


 魔法の発動に共通する「前兆」があることを。

 魔力の流れではなく、世界そのものの“歪み”が、発動直前に生じていることを。


「……これは、力じゃない。理屈だ」

 呟いたとき、胸の奥で何かが弾けた。

 灰の書の文字が、淡く光った気がした。


 その瞬間、部屋の空気が変わった。

 油ランプの炎が小さく跳ね、机の上の紙くずがわずかに浮かび上がる。

 リオンの瞳が、驚きに見開かれた。


 それは一瞬の出来事だった。

 浮いた紙はすぐに落ち、炎は静まった。

 けれど、確かに――世界が応えた。


「……やった、のか……?」

 自分の手を見つめ、息を殺す。

 震える指の先に、微かに熱が残っていた。

 それは、魔力の発現とは違う。

 世界の理を“触れた”感覚。


 リオンは、唇の端をかすかに上げた。

 笑うというより、覚悟の表情だった。


 彼にはまだ、魔法は使えない。

 けれど、“魔法を理解する者”にはなれる。

 そしていつか――その理をもって、魔法を超える。


 その日、貧民街の片隅で、一人の少年が「灰の魔導士」として歩き出した。

 誰にも知られぬ小さな一歩が、やがてこの世界を変える最初の振動となる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ