子猫を救った、その横顔
今日は日曜日だ。
いつもならゴロゴロしてテレビゲームをするのが定番。だが、今は居候がいる。ゲームは出来ても、ゴロ寝は無理――なんでかって?それは、子供二人が騒がしいからだ。
だから今日は、軽い散歩に出ることにした。本屋に寄ったり、レンタルショップでDVDを借りたり……要するに気ままなぶらぶら。
外に出掛ける場合の、休日の過ごし方だ。
……なのだが。
「はぁ……」
今日に限っては“同行者”がいる。しかも二人も、もちろん……ケルとスゥだ。
そっくりな容姿、違うのは髪色とスゥの方が少しつり目だ。
食欲が旺盛なところは全く同じだし、むしろどちらが一杯食べれるか競い合っている。
また、性格も違う。
ケルは空気を読むし、素直なところがあるのだが……問題はスゥだ。
空気を読まないし、いつも上から目線だし、完全に俺を下に見ている……なのに、お母さんの前では従順なのが余計に腹立つ。
「タチバナ! お腹へった!」
「スゥもお腹へったワン!」
散歩といっても、結局は二人に合わせる形になる……ほら来た。歩き始めて数分で、これだ。
「だめだめ。食べ過ぎは良くないって母さんにも言われたろ」
「……分かった。我慢する」
その一声で、ケルは素直に頷く。いい子だ。二週間前よりも約束通り、俺の声を聞いてくれるようになった。
だが――
「スゥは我慢できないワン! ムリワン! 何かよこすんだワン!」
こっちは何一つ聞いてくれない……ほんと、めんどくさい。
「ダメなもんはダメ」
「ニンゲン……私を怒らせるなよ、ワン」
しかも最近気付いたんだが……語尾のワンを忘れたり思い出したり、キャラ作りが雑すぎる。
癖なのかと思ったが、わざと語尾にワンを付けているらしい。
そこは頑張って、キャラ設定を守ってくれ。
「スゥ、我慢しよう」
「ケルのくせに、姉でもある私に意見をするのかワン?」
「誰が姉よ! どっちかっていうと私が姉よ!」
「そんなはずないワン!」
「ある!」
……はい、お決まりのパターンの姉妹げんか。
「もう分かった! 帰りに何か買ってやるから、今は我慢して!」
「「ほんと!?」」
便乗してケルまで目を輝かせる。顔を赤らめて笑顔……なんでお餅みたいに膨れてんだよ。
ムカついたので、くしゃっと頬を潰しておく。
結局、帰りに何か買う約束をしてようやく収まった。
出会った頃に比べれば、人前で耳や尻尾を出す頻度も減ったし、まだマシだ……と思った矢先。
「ふんがっ!」
ケルがピョコッと耳を出す。即座に押さえ込み、注意。
スゥは嬉しさのあまり尻尾を出す。ブンブンブン♪と横に振る、はやいはやいはやい!
反転、背後から叩いて注意。
注意して、安堵する間もなく、おならのような煙を出して犬に変身。
驚きまばたきをする周囲の人に、「It’s showtime!」
いきなりマジックショーを開始。俺は観客の視線を必死に誤魔化す羽目になる。
……こんなの、気が休まる暇なんてない。
休日なのに、自分の時間なんて夢のまた夢だ。
「もういいや……帰ろう」
そう、帰路に向かおうとすると――人の姿に戻ってシンクロ叫び。
「「まだ帰らないよ!」」
「二人が息ぴったりに拒否……休日のパパってこんな気持ちなんだろうか。まだ高二の俺にそんな経験いらないんだけど?」
「……タチバナ、何言ってるの?」
「あれ……また声に出してた?」
「うん」
「はぁ……」
最近、心の声が漏れ出すことが増えてる。
「ニンゲン、ボソボソ何を言ってるワン? お腹へったのかワン?ちゃんと食べなきゃ大きくなれないぞ……ワン」
たまに手が出そうになる、そんな手を握って、「ぐっ、俺が抑えているうちに、は、早く……!」なんて遊ぶ俺も大概か。
「へんなタチバナぁ……あっ!」
ケルが突然、走り出した。
「おい、遠く行くなよ……」
その先にいたのは、前にも見た白い猫。
「しろさん、こんにちは!」
「にゃ、にゃーぉ!」
また、会話してる……? まぁ、女の子が猫と戯れてるだけに見えなくもない。
「え? 助けてって……どうしたの?」
「にゃんにゃん、にゃんにゃん!」
「分かった! どこに行けばいいの?」
なんだか、様子がおかしい……?
「スゥ、あの猫、何を言ってるか分かる?」
「わかるワン」
「なんて?」
「仲間が危ない。わしの力じゃどうにもならん、頼む……助けてくれ、って言ってる……ワン」
「……は?」
二週間で理解した。この二人は普通の人間でも犬でもない。
なら、本当に……この猫に何かが起きてるのかもしれない。
「タチバナ……しろさんに――」
「ケル! 俺も行く……いや、みんなで行こう!」
「え……いいの?」
「困ってるんだろ? 助けてあげよう!」
ケルの表情が一瞬で輝いた。
それは太陽が雲の隙間から顔を出すような、無邪気で眩しい笑顔。
「え……スゥも?」
「そうだよ、みんなで行くんだ!」
白猫は小さな足で路地裏の奥へと駆け込む。
その背を追い、ケルが跳ねるように走り出す。
「タチバナっ、はやくはやくー!」
立花も慌てて追いかける――が。
「……ふん」
スゥだけは足を止めていた。
腕を組み、眉をひそめ、不満そうに鼻を鳴らす。
「困ってるからって……なんで私まで」
その声は誰にも届かず、二人の背中はもう遠い。
スゥは渋々歩き出した。けれどその瞳の奥には、どこか陰りがあった。
路地裏へと走り出した白猫。
その速さは驚くほどで、視界から見失わないようついていくのがやっとだった。
白猫は止まることなく突き進み……反対側の通りへと飛び出すと、ようやく足を止める。
その先には――小さな橋、「山川橋」があった。
「にゃんにゃんにゃー……」
白猫の声ではない。
だが確かに猫の声だと分かる。しかし姿は見えない。
「タチバナッ!」
ケルが声を上げ、橋の下を指差す。
後から来たスゥと俺は身を乗り出して覗き込むと――そこにいたのはキジ柄の子猫だった。
川はそこまで大きくはない。けれど小川ほど浅くもなく、水量も深さもそこそこある。流れは急ではないが、子猫にとっては恐怖を覚えるに十分だろう。
塀に取り付けられた梯子。その僅かな手すり部分に、子猫はしがみつくようにしていた。
登ってきたのか、それとも逃げる途中に落ちたのか……。
「にゃんにゃんにゃーぉ……にゃーお」
白猫が必死に鳴き続ける。
はい、通訳お願いしまーす。
「カラスに襲われてる猫たちを見つけて、他の子は隠れられたけど、この子だけ狙われて落ちちゃった……って言ってるワン」
スゥが解説する……あの短い鳴き声に、そんな長文が詰まってるのか。猫語って万能すぎない?と思いつつ、梯子に目を向け深呼吸して腕をまくった。
「よし、事情は分かった。何とか助けてみるよ」
「大丈夫? タチバナ?」
「うん、頑張ってみるよ……」
「なんなら、私が助けてもいいよ?」
「え……ケルが?」
「うん」
「できるの……?」
「今の私には魔力があるからね!」
魔力。犬に変身できるあの力のことか……いや、あれの原理ってなんなんだ?
メイドの話じゃ、もともと魔力を持ってたけど、地球に、日本に来たら失って、飴玉ほどの石を食べたら復活したとかなんとか……やっぱ中二病だろ。
こじらせてるなぁ。可哀想に……ま、俺も似たようなもんか。
「ねっ! 私が助けるよ。しろさんにも色々教わったし!」
「にゃんにゃん……にゃーぉ」
……でも、小さな子に頼んでいいものだろうか。
いや、普通じゃないのは分かってる。けど周囲の視線が気になるし、けっこう抜けてるところあるからな。
気づけば人だかりができ始めていた。
ざわめき、指さし、スマホを構える人たち――もうマジックショーみたいなことは勘弁だぞ。
「い、いや……やっぱり俺が――」
「バカバカしいワンッ!」
スゥの鋭い声が遮った。
「え……?」
「スゥ?」
ぽかんとする俺の前で、スゥは腕を組み、さらに釣り上げた目でケルを睨みつける。
「ケル……お前、この世界に毒されたかワン?」
「え……?」
「確かに、ここ暫くはこのニンゲンの家を根城にしてるワン。でもワン? スゥたちの目的、忘れてないワンか?」
「も、目的……わ、忘れるわけないじゃない……私が忘れるわけないでしょ?」
――目的? この世界のご飯を食べ尽くす、とかか?
「なら、そんな意味のないことに魔力を使うのはやめるワン。時間のむだワン!」
「じ、時間のむだ?」
「そうワン。時間のむだ、魔力のむだワン」
ケルの髪が一瞬、ふっと逆立った気がした。
「……スゥの言いたいことは分かる。けど私は……困ってる人、頼ってくれる人を無下にはしたくない」
難しい言葉を知ってるし、その考えは立派だ……ただ、人じゃなくて猫だけどな。
「はんっ……下らないワン。困る?頼る?そんなもの、私たちには関係ないワン」
「スゥ……訂正して」
「訂正? する必要ないワン」
「訂正してっ!」
二人の間にピリピリとした空気が走る。
ゴゴゴゴと、漫画的な擬音が浮かび上がって見えるのは、たぶん俺の妄想のせいだ。
「にゃ……! にゃんにゃんにゃんにゃんっ!」
白猫が急に騒ぎ出す。
振り返った俺の視線の先に――知った顔。
「わ、わかさ……」
春月わかさがいた。
地元が一緒だし、休日にここにいても不思議じゃない。
けれど彼女は、すでに梯子を降りて子猫を抱きかかえ、這い上がってきていた。
「もう、大丈夫だよ」
「にゃ~ん……」
救われた子猫は、一目散に路地裏へと消えていった。
白猫もまたケルに何かを鳴いて告げると、すっとその場を後にする。
そして俺の視線は――幼馴染である春月わかさへ。
「お、おい……わか……」
声を掛けようとした。けど、言葉が喉で止まった。
二週間前、俺のことを忘れ、嫌うように距離を置いた、あの出来事が尾を引いていたから。
風紀委員長から聞いた話では、体に異常はない。
ただ、頭をぶつけた際に心に抱えていたストレスが引き金となり、端的な部分を失ったのではないか――そう診断されたらしい。
ストレス。
端的。
正直、俺にはよく分からない。
あの元気の塊みたいなわかさが、ストレスなんて抱えていたなんて。
けど、気絶する直前、俺の安否を心配していたと聞いた。
気が動転するほどに。
それが極度のストレスになった可能性はあるし、それを否定できないと風紀委員長も言っていた。
――結局、原因は俺なんだ。
俺の行動が、わかさを追い詰めていた。
「タチバナ……?」
ケルが俺の顔を覗き込む。
俺はわかさに声を掛けるのをやめ、深呼吸して方向を変えた。
「……二人とも、ケンカはやめてなんか食べに行こう。お腹減っちゃったよ」
その言葉に二人は一瞬で満面の笑みに戻る。
このケンカはいつものことだ。
家にいても、ゲームしてても、小さなことで言い争う。
けど結局――食欲さえ満たされれば仲直りする。
安上がりで、そして易い。
……でも。
俺とわかさの関係は、そう簡単には戻らない。
いや、戻す資格が俺にない。
わかさに極度のストレスを与えた原因は、この俺だ。
だから嫌がる彼女に話しかけることなんて、できるはずもない。
俺がいなければ――わかさは幸せなんだから。
楽しそうに笑っていられる――そんな日常が、変わらずにあるのだから。
春月わかさ。
あいつは人気者で、スタイルが良くて、元気で、友達も多くて、社交的で……きっと助けられている人は数え切れないほどいるだろう。
だからこそ、俺ひとりに構う理由なんてない。
さっきの子猫だってそうだ。
困っているものを見捨てられない。お人好しすぎるんだ、あいつは。
だから――周りより付き合いが長いだけの俺なんかと時間を過ごすよりも、他の人に囲まれていた方が、あいつは幸せだ。
俺がいなくても楽しくやっていける。
いや、いない方が楽しくやっていけるんだ。
だから俺は、あいつから距離をとる。
今まで助けてもらった分――せめて幸せになってほしい、今はそう思っている。
「……タチバナ」
「ん、なんだ……ケル?」
ケルが突然、俺の腰にぎゅっとくっついてきた。
子供の純粋さゆえか、犬としての本能か――必要以上に寄り添ってくれる。
「タチバナは一人じゃないよ……」
「……いや、歩きづらいんだが」
「いいのっ! このまま行くのっ!」
「はぁ……まぁいいや。ん?」
ふと気づけば、ケルの腰から尻尾が生えていた。
いや、ケルだけじゃない……スゥもだ。
俺は慌てて二人の尻尾を隠し、その場からそそくさと立ち去る。
周囲の人たちは気づいていない――ただ、一人を除いて。




