2-1 カリカと実家へ
「フィクス先輩、実は世界は大ピンチだったんですか?」
始業前、植物科の教室に入ろうとしたところでディアンにいきなりそんなことを言われてフィクスは首をかしげた。
「どうした急に」
「今朝の新聞見てないんですか? 子供の数が減ってるっていうの」
「ああ、少子化のことか」
昨日聞いたとおり、少子化問題は今朝の新聞や魔導映像機で大きく報じられていた。
食堂でも少なからず話題にされていたし、こうして話を振ってくる知り合いがいる。おそらくは世界中がこの話題で持ちきりなのだろう。
「なんということでしょう! 勇者たちが魔王を倒して平和になったはずのこの世界から、いずれすべての人間が消え去ってしまうのです!」
「今すぐどうこうって話じゃないだろうけど」
「でもでも、ディアンたちも真剣に考えないといけないんじゃないですか? ディアンたちの世代が問題なければいいってわけじゃないでしょう?」
グッと両拳を可愛く握りしめながら、翡翠色の瞳を真剣そうに向けてくる。
ディアンは一学年下の後輩だ。植物科に入ってくるまでまるで接点はなかったはずだが、なぜだかすぐさま懐かれてしまった。そのちんまい体も相まって、子犬のようという形容がピッタリである。
「まあ、俺たち一学生に何か具体的にできることはないだろ」
「そうですかね?」
「そうだって」
カリカのことは伏せておく。学園から公式に発表があれば別だが、軽々に言いふらせることではない。
「というわけで、今日もしっかり勉強しなきゃな」
「はーい」
エクリプス魔法学園の入学者は最初の一年、基礎科で身体強化や魔力制御など、魔法使いに欠かせない基本能力を徹底的に学ぶ。その後、それぞれの希望・適性に沿った学科へ進み四年間学ぶ。
フィクスの所属する植物科は、植物から抽出される有効成分の魔法的活用、植物の効率よい生産などを研究する学科である。
近代農業の父とも呼ばれる勇者パーティの僧侶キュラスを、フィクスは絵本で読んでから尊敬していた。数十年に及んだ魔王軍との戦いで疲弊した大地は容易に回復するものではなかった。そこでキュラスは、豊穣の女神プレグナの加護を持つ癒やしの魔法を農業に応用した。
この手法は上手くいった。収穫量が増えるだけでなく、病気や虫害にも容易に負けない作物が獲れるようになった。世界の農業は歴史上かつてない改革を果たし、以来、あらゆる国の人類は食料に困ったことがない。
「それで昨日はどうでした? グラジオ先輩」
午前は何事も終わり、昼休み。フィクスは食堂でグラジオとランチを共にした。
「アイリスのやつ、最近かなりあれだ、グイグイ来てな。へへ、幸せだよ」
一学年上の先輩であるグラジオは、魔法政治学科のアイリスという女生徒と恋人関係になっている。その仲の良さは互いの学科でなかなかに有名だった。
「そういうお前は災難だったな。せっかくカリカ嬢を誘ったのに」
「ええ、まあ」
昨夜のことはもちろん秘密として、参考までに聞いてみたかった。どうすれば自分はカリカといい感じに進展できるのか……。
「グラジオ先輩とアイリス先輩も、幼馴染なんですよね?」
「ああ。昔から仲が良かったんだけどさ。俺のほうから『恋人同士になってみないか』って持ちかけて」
「そ、そんなことでいいんですか」
「意外とそんなもんだって。お前もシンプルに言ってみたらどうよ。幼馴染のままはイヤだって」
「幼馴染! なんて素敵な響きですか!」
唐突に横から割って入ったのはディアンだった。フィクスは食べていたものを吹きだしかける。
「で、幼馴染という単語しか聞こえなかったですけど何の話してたんです?」
「なんでもない、なんでも」
こうして男同士の話をしている最中も、平べったいボディを遠慮なく割り込ませてくるから困ったものだった。本人はまったく悪気がないので強く言えないのだが。
「あーあ。ディアンもフィクス先輩と幼馴染だったらなぁ」
「だったらどうなるんだ」
「幼馴染にして後輩というポジションは最強ではないですか?」
「意味がわからないって」
呆れて返すフィクス。グラジオはニヤニヤと見つめるばかりだった。
腹ごしらえを終えて教室に戻る。午前は共同授業、午後はそれぞれのテーマに沿って個人研究を進めていく。
フィクスの専攻は植物を原材料とする魔法薬だ。全般的に平凡より多少上程度の成績の彼だが、魔法薬に関しては際だった才能を示していた。恩師キュラスの指導の賜物だった。
「怪我に病気、あるいは生まれながらの疾患。どれだけ魔法社会が発展しても、不幸はなくならない。飽食と言える時代になって、むしろそのことを痛感しました」
神父は晩年、フィクスにこう語った。
「幸福を増やすのが食料なら、不幸を減らすのは薬です。これからの時代、魔法薬はもっと大事になるでしょう」
おかげで昨夜は、カリカをセクハラから守ることができたのだ。貴重な魔法薬だったが、少なからず好感度もアップしたようだった。
しかし打算は不要だ。これからも真摯に勉学に打ち込み、あくまで世のため人のために研究していけばいい……。
と思っていたところで放課後、カリカがフィクスを訪ねてきた。
「ちょっと例のことで相談があるんだ」
「お、おう?」
学園一の才女、そして人並み外れたスタイルの持ち主の登場に周囲は色めき立った。グラジオとディアンは愉快な顔をしながら様子を眺めている。
「カリカ嬢からフィクスを誘うってのは初めて見るな」
「間近で見るとマジすごいおっぱいですね……ディアンの頭くらいないですかあれ」
「ほら、来て」
生徒たちの視線を振り払うように踵を返すカリカ。フィクスはあくまで彼女の顔から下を見ないようにしながら後に付いていった。
「これからウィードさんに会いたいの。フィクスの実家に行っていいかな」
「ひいじいさんに?」
「少子化対策チームの一員として、幅広い年代の人からお話を聞きたくて。それでまずは、今や数少ない勇者パーティの同世代に」
先日の会合でも少し話に出たので思いついたのかもしれない。
フィクスの曾祖父。世界を救った勇者の弟として名を知られるウィードは、これといった才覚のないごくありふれた一般人だった。
しかし兄のメアニルが魔王を討伐したあと、家族ならではの視点で勇者の伝記『メアニル伝』を著した。手始めに幼少期から王都出立までを書いた第一巻は空前のベストセラーとなった。続けてベンダー、キュラスに取材した第二巻の魔王討伐編も大ヒット。卓越した文章力ではなかったが素朴な筆遣いによる読みやすいテキストは老若男女に親しまれた。この二冊は今、勇者研究の第一級史料となっている。
「いきなり降って湧いた現代問題だ。ひいじいさんに話せるようなことが何かあるのかな」
「あると思うわよ。ウィードさんって五人も子供を作ったのよね。どうしてそんなに作ったのかとか」
子供を作る。
香り立つように豊かな肢体のカリカが言うと、妙に艶のある言葉に聞こえた。
「とにかく話を聞けるうちに聞いておきたいの。ガーベラ先生も亡くなってしまって……勇者世代の残り時間はもう少ないって、あらためて知ったから」
「……わかった。俺の家に行こう。今の時間ならのんびり読書でもしてるよ」
「いつぶりかしら? もう十年くらい行ってなかったわよね」