1-2 少子化って?
「失礼します」
カリカが学園長室に足を踏み入れると、ふくいくとした花の香りに迎えられた。心を落ち着かせる効果がある、植物科によって品種改良された魔法の花がデスクに飾られている。
他はこれといって目立つものはない。応接セット、書類収納用の本棚のみだ。学舎は立派に作ったが自身は贅沢を好まなかった先代学園長ガーベラの好んだデザインを、現学園長もそのまま十数年使い続けている。
「いらっしゃい、カリカ。どうぞかけて」
学園長サルビアが穏やかな視線を向けながらデスクから立ち上がった。先ほどの学園葬では黒の喪服だったが、それよりは明るい紫のスーツに着替えていた。
銀色交じりの白髪は活力に輝き、その背は一本筋が通ったようにまっすぐ。すでに八十代半ばを迎える老齢だが、いささかの気力の衰えも感じさせない。ガーベラ亡き今、現代最高の魔法使いのひとりと目されるであろう人物である。
「申し訳ないわね。貴女も遊びに行きたかったでしょう」
「ガーベラ先生らしい遺言でしたね。みんな喜んでました」
「お若い頃はとても厳しかったけれど、ひ孫世代ともなると目に入れても痛くないほどの可愛がりようで。もう少し、そのお姿を見ていたかった」
サルビアは七十年前に設立されたエクリプス魔法学園の第一期生。ガーベラに直接指導された最初の世代だ。かつて苛烈な攻撃魔法で名を馳せたガーベラの教えは大変なものだったという。しかしカリカにとってはどこまでも優しい近所のおばあちゃんだった……。
「どうぞ、カリカさん」
隣の給湯室からメイドがお茶を運んできた。人ではない。半世紀以上も稼働し続けているという噂の自律魔導人形である。外見はほぼ人と変わらないが、すぐにそれとわかる硬質な耳当てが特徴だ。見るたびに外してみたいと思ってしまう。
「ありがとうございます。これもいい香りですね」
「ガーベラ先生が一番好みだったハーブティー、シルバーウィンドよ。頭がスッキリすると言ってね。全盛期には日に十杯は飲んでいたわ」
互いに一口飲み、喉を湿らせる。
「それで、ご用件は」
昔を懐かしんでいた柔和な表情がスッと消えた。
やはり相当に重要な話らしい。でなければ直接の呼び出しなどありえない。
「偉大な魔法使いガーベラ先生によって発展した、この魔法文明社会。今後も途絶えさせてはなりません」
「はい。私も立派な政治家になって社会に貢献したいという思いを強くしたところです」
「そう。魔法政治学科である貴女の、その大きな志を見込んでいるの」
エクリプス魔法学園の中にあって、もっとも特異な存在とされるのが魔法政治学科だ。
植物科など他の学科は、多彩な職業の人材育成を目的としている。一方で魔法政治学科は、魔法をいかに社会に役立たせるか俯瞰的視点を持てる人材――将来の官僚・政治家候補の育成を目的としている。魔法を知らない者だけでは現代魔法社会は適切に運営できない。
当初政治にはまったく無頓着だったガーベラが、戦友であり学者として名を成したベンダーの助言を受け入れて創立した学科である。カリカがこの進路を志したのも、曾祖父ベンダーの影響が大きかった。
「実は当学園は以前から、ある問題の対策を講じるよう王命を受けているのです。カリカもその対策チームに入ってもらいたいの」
「まだ学生の身である私が、ですか?」
「カリカはもう、下手な官僚よりも優秀でしょう」
魔法政治学科は他の学科と違い定員がある。一年目の基礎科での成績上位者のみに入ることが許される。
幼い頃から曾祖父の薫陶を受けていたカリカは、入学試験トップで学園に入学した。一年後には近年まれに見る優秀な成績で魔法政治学科に入り、たちまち当代一の才女と称えられた。しばらく前に執筆した論文は政治論文コンテストにおいて満場一致、史上最年少で最優秀賞に選出され、その名は王の耳にも届いているという。
「王命を受けてというのは穏やかではないですが、それほどの難題なのですか」
「ええ。これはガーベラ先生の存命中は本格的に取り組むことはできませんでした」
ますます不穏な物言いだったが、カリカは余計な口は挟まなかった。
「その問題は、ガーベラ先生の功績も深く関わっているのです。……あの方が世界中に広めた魔法によって、社会は大きく発展した。とりわけ男性社会から転換し、女性の活躍が目覚ましくなった」
女性の社会進出促進こそ、ガーベラ最大の功績と評する者も少なくない。
身体能力でどうしても劣る女性は、男性と比べて活躍できる機会が少なかった。男性の補佐に徹するか、子供でもできるような軽作業に従事するかだ。そして適齢期になれば結婚して家庭に入った。
しかし魔法を扱えるなら、男性以上の活躍ができる。工事・建設現場で女性ばかりの会社というのは今や珍しくも何ともない。憲兵隊のトップは女性であるし、カリカが目指す政治の世界でも重要ポジションの半数を女性が占める。
そして魔法の使えない女性でも、魔道具があれば身体能力のハンデはほぼなくなる。ガーベラが当初から夢見ていた社会は、理想的な形で結実したと言っていい……。
「その結果……と王政府は考えているようなのですが」
サルビアはハーブティーで再び喉を潤した。
「結婚・出産という道に進まなくなった女性たちが増えました。他ならぬ私もそうでしたから」
「……確かガーベラ先生の生き方に感銘を受けて、と聞いています」
「あの方は生涯を仕事に捧げた。あの方に少しでも近づきたい、その一心で私も家族を持つことなく邁進した。今はこんなおばあちゃんだけど、若い頃は結構モテたのよ。でもみんな袖にしてね。もちろんこの生き方になんら悔いはありません。しかし、これからの世代もそれでいいのかどうか」
カリカはだんだんじれったくなってきた。
「王命とはいったい何なのですか?」
「生まれてくる子供が減り、人口がゆるやかに減少していく……これを国際機関は『少子化』と定義しました。この少子化対策をしなければなりません」
少子化。
日々新しい政治用語をインプットしているカリカも聞いたことがない言葉だった。
「子供が減っているなんて初耳です」
「統計上、確かなことです。ベンダー博士が確立した統計学が無情にも弾き出したの。先の魔界との戦争でも一時期子供の数が減ったけど、少子化などとという言葉は使われてはいなかった。この国の固有の問題ではなく、世界的な問題ということもわかっています」
「世界的な……そこまで」
「今はまだ公になっていないけれど、仮にこのことを知れば、ガーベラ先生は深く悩まれたでしょう。自分がそんな社会問題を生み出した原因のひとつだったかもしれないと」
それでガーベラが天に召されるまで本格的に取り組めなかったというのか。学園の運営とは難しいものだなとカリカは思った。
「今すぐに大きな問題が発生するわけではありませんが、数十年後には社会全体において致命的な問題になり得るかもしれません。人こそ社会の土台。その数が減ってしまったら、支えられるものも支えられなくなる」
「難題ということは理解できましたが……本当に私のような小娘がその対策チームに入るのですか?」
「小娘、ね」
サルビアの視線が少し下に落ちた。そこには制服を大きく前方に押し上げる、我ながらよくぞここまでと呆れるほどの双峰がそびえている。近頃また育ってしまったかもしれない。
「どこを見てるんですか」
「貴女が鳴り物入りで入学したとき、もうひとつの意味で大物が出てきたなと思ったものよ」
「冗談はそのへんにしてください」
「失礼。とにかく貴女のような若い世代……当事者が中心になってこそ、この問題は解決に進むと考えているの」
学園長はきっぱりと口にした。
「そう――若者たちが子作りしたくなる画期的なアイディアを考えてちょうだい」
「子作りしたくなるアイディアー???」