1-1 学園葬
王立エクリプス魔法学園の長い歴史の中でも、今日ほど沈痛な空気に包まれた日はなかっただろう。
かつて魔王を倒した勇者パーティの一員であり学園の創立者ガーベラが、天寿を全うしたのだ。
「偉大なる魔法使いガーベラ。何万もの紙を用意しても、貴女の功績をすべて書き記すには紙幅が足らないことだろう――」
魔導拡声機を通じて厳かな声が響き渡る。弔辞を読み上げるのはゴールデリア十六世。ゴールデリア王国の君主その人である。
数え切れない功績を残したガーベラだが、爵位の授与などは固辞し続けていた。彼女は名実ともにあくまで一市民にすぎない。税金のかかる国葬などお断り、質素な学園葬で送ってほしいと遺言に残していた。
そんな一市民の葬儀に王自ら足を運び、弔意を示しているこの光景が、むしろガーベラの偉大さを際立たせていた。
「貴女の築き上げた魔法社会は永遠だ。貴女の生徒たちはこれからも世界のために活躍していくだろう。どうか天から見守っていただきたい」
王の弔辞が終わる。すすり泣きの声がそこかしこから漏れ、静謐な大ホールは小雨が降るような悲しみの音で包まれた。
隣の男子がひときわ大きな嗚咽を漏らし、フィクスは思わず声をかけた。
「グラジオ先輩、大丈夫ですか」
「ガーベラ先生はな、おおっ、俺がガキの頃にな、君は立派な魔法使いになれるって言ってくれたんだよ。一人前になった姿を見せたかったなぁ……!」
そうした話は巷にたくさんあった。ガーベラは創立者として長く学園の運営と発展に尽くしたがやがて後進に道を譲り、最後の十数年はこの王都で穏やかに過ごした。
中でも子供と触れ合うのを何よりの楽しみにしていた。魔法の才能のある子供も、そうでない子供も、分け隔てなく可愛がっていた。
「俺も、勇者の面影があるねって言ってくれた思い出があります」
「ふぐうっ、そんなこと言ってもらえるのお前だけだよな。うらやましいなぁ」
「傍系ですけどね」
学園葬は滞りなく終わった。
ガーベラが残した遺言はいくつかあったが、そのうちのひとつは生徒たちに向けられたものだった。
【喪に服す必要はありません。悲しむ必要はありません。せっかく休日にするのだから、私を送ってくれた後は思いきり遊びなさい。おばあちゃんからの最後のプレゼントです】
最後に発表されたこれで、沈痛な空気は一気に吹き飛んだ。生徒たちは大手を振って、笑顔で大ホールを後にした。
「最後の最後まで生徒のことを考えてくれてたな。感謝感謝だ」
さっきまでの嗚咽はどこへやら、グラジオも幅の広い肩を回しながらウキウキしていた。
「先輩は彼女とデートですか?」
「美味いもんでも食いに行くよ。フィクスは?」
「どうしようかな。喪に服すつもりでいたんで」
「お前もデートしろよ。あの子を誘ってさ。失敗続きとか聞いてたけど、今日は仕掛け時じゃないか」
背中をバンバンと叩かれ、たまらずむせてしまう。
「仕掛け時、ですか」
「ああ、ガーベラ先生も応援してくれるって」
「ガーベラ先生がどうしたの?」
いきなり横から躍り出た魅惑的なフォルム、豊かに揺れ弾む膨らみに、フィクスの心臓もドクンと跳ね上がった。
「カリカ、驚かさないでくれよ」
「普通に声をかけただけじゃない。で、何を話してたの?」
本人を前にして正直に言うのは躊躇われた。
「その、ベンダーさんに続いて、勇者パーティ最後のひとりがついに逝ってしまったんだなって」
「うん……三年前にひいおじいちゃんが亡くなって、ガーベラ先生もたぶんそろそろって覚悟はしていたけどね」
カリカは一瞬、切ない顔を作った。その憂いある表情も美しかった。フィクスは男心を掻き乱されながら当たり障りのない言葉を継いでいく。
「みんなすごい人たちだったな」
「私たちも見習わなきゃね。もっと頑張って勉強して」
と、フィクスの脇腹をグラジオが肘で小突いた。やたらニヤニヤしている。
そうだ。これは確かに偉大なる魔法使いガーベラがくれた絶好の機会であるのかもしれない。
「まあ、今日のところは、ガーベラ先生の遺言に従うのもいいんじゃないかな。カリカ、一緒にどこか遊びに行かないか」
フィクスは幼馴染のカリカにずっと好意を寄せていた。
近所同士、伝説の勇者パーティの子孫同士という縁もあって、物心が付いた頃から仲が良かった。カリカは幼少の頃から魔法の才能を見出され、将来を嘱望されていた。少し遅れてフィクスにも魔法の才能があることが判明し、共にエクリプス魔法学園に通えると知った時は一日中はしゃいだものだった。
そうして入学する頃。愛らしかった少女はまだ十代半ばでありながら、女神の美貌と抜群のプロポーションを備える、弾けるように瑞々しい女性へと成長した。天は二物を与えずなどという言葉は彼女には当てはまらないらしい。
「たとえば本屋をのんびり回るとかさ、どう?」
「悪いけど学園長に呼ばれてるのよ。また今度ね」
フィクスはたびたびカリカをデートに誘っては、ゼミの用事がある、資格を取るための試験勉強がある、政治家の講演を聞きに行くなどと理由を付けて断られるのが常だった。しかしこんなパターンは初めてだった。
「どうして学園長が?」
「さあ。見当も付かないけど」
隣ではグラジオが気の毒そうに笑っていた。
「んじゃ、俺は行くから。また明日な」
「アイリス先輩とデートなんですよね? 彼もそう思ってるはずだって、さっき嬉しそうに言ってましたよ」
「以心伝心! 恋人同士とはかくあるべきだ」
グラジオの背中を見送ってから、カリカは申し訳なさそうな顔をフィクスに向けた。
「本当にごめんね。呼び出しなんてなければ付き合ってあげたかったんだけど。今までずっと断ってきたじゃない? たまにはって思ってたのよ」
「その言葉が聞けただけで十分だ。気にしないで早く行きなよ」
「ありがとう。それじゃ」
踵を返すカリカ。スカートが軽く翻り、ふたつの膨らみが重たげに跳ねた。
「まったく、恨むよ学園長」
ひとりごちながら、フィクスは仕方なく下校する生徒たちの波に交ざっていった。