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第42話『“記憶の剥離”と、眠る貴族』

「──確かに、今期に入ってから“記憶障害”の症例が急増している」


 


 王都の中央医術院、重厚な石造りの回廊を抜けた最奥──

 関係者以外立入禁止とされた封鎖病棟の一室。


 


 白衣を纏った老医師は、机に並ぶ十数冊のカルテに目を走らせながら、静かに口を開いた。


 


「発症者はおおよそ三十代から五十代の男性。主に貴族、官吏、軍属、商家の主といった、経済的・社会的に余裕のある者たちだ」


 


 アリシア・ルーンフィールドはその場に立ち、凛とした声で尋ねる。


 


「共通点は?」


「場所、時期……そして、いずれも“風俗街ユグノール通り”を訪れた直後に発症している」


 


「やっぱり……!」


 


 アリシアは拳を握りしめた。


 医術院の記録によれば、彼らは全員ローズ・セレナーデという高級風俗店に通っていたという。


 


 そして症状の共通点は、ただ一つ。


 


 ──「内容を覚えていない」──


 


 何があったか、誰と過ごしたか、店の内部の記憶はすべて曖昧。


 けれど、口を揃えて「幸せだった」「また行きたい」と言い続ける。


 


 その目は──まるで、夢から覚めぬまま。


 



 


 隔離病室の一角。


 カーテンの向こうには、点滴を受けながらベッドに横たわる男たちが並んでいた。


 


 皆、目を開いている。瞬きもする。呼吸もある。

 だが、誰一人として、こちらを見てはいない。


 


「……笑ってるのに、泣いてるように見える」


 


 アリシアは呟いた。


 口元に微笑を浮かべたまま、涙だけが頬を伝っていた男を見て。


 


 魂が……どこかへ連れ去られたかのようだった。


 


「“記憶の剥離”……まさか、魔術的な干渉が?」


 


「可能性はある。だが魔力反応は微弱で、追跡も検出も困難だ。

 まるで、“夢を見ていた”としか言いようのない状態で、目覚めても現実と区別がつかない」


 


 老医師は、肩を落としながら続けた。


 


「我々はこの症状を“原因不明の癒し症候群”と仮称している。

 そして……治療法は、まだ見つかっていない」


 


 アリシアの背筋に、冷たい汗が流れた。


 



 


 一方その頃──


 


 《ローズ・セレナーデ》、夢のような装飾に包まれた個室のベッドの上。


 常盤流星は、ふと、目を開けた。


 


 濃密な香水とバラのアロマに満ちた空気。

 夢の中にいるような感覚がまだ残っている。


 


「……ふぅ。最高だった」


 


 彼は枕に顔を埋めた。


 目の前にあったのは、非の打ちどころのない“理想の接客嬢”。


 肌も声も仕草も、完璧に“男の理想”を再現していた。


 


 ──だが。


 


「……いや、待てよ」


 


 流星は、身体を起こして天井を見上げる。


 


「幸せだ、満たされた。心も体も……だけど……」


 


「……なんか、俺じゃねぇな」


 


 違和感。それは小さな石ころのように、心の靴の中で引っかかっていた。


 


 彼は、心の中で言葉を探しながら、ぽつりと呟く。


 


「風俗ってのは、癒しってのは……リアルだからこそ意味があるんだよ」


「作られた夢じゃ、俺の煩悩が……泣くんだ」


 



 


 ──ギィ、と扉が開く音。


 


「ご満足いただけましたか、常盤流星さま」


 


 現れたのは、深紅のドレスを纏った《ローズ》。


 完璧な姿勢。柔らかい声。微笑みの奥に、気配一つ揺るがない優雅さ。


 


 だが──


 


 流星の目は、もう騙されなかった。


 


「なあ……アンタ、何者なんだ?」


 


 ローズは微笑みを崩さない。


 


「わたくしは、癒しを提供する者です。疲れた心を、傷ついた魂を、優しく包み込む者──ただ、それだけ」


 


「嘘だ。あんたの“癒し”で、何人が廃人になった?」


 


 ローズの微笑みが、わずかに歪んだ。


 


 その肩越しに見えた別室──

 男たちが、並んで寝ていた。


 目を開け、微笑んだまま、何も語らず──ただ“眠っている”。


 


 生ける屍。いや、“夢に囚われた人形”。


 


「皆さま、満たされたのです。もう、何も悩まず、苦しまず、傷つく必要もありません」


 


 ローズの声は、ひどく優しかった。


 だが──その“優しさ”こそが、残酷だった。


 


「──ずいぶんと冷たい癒しだな」


 



 


 その直後。


 医術院から戻ったアリシアたちは、ギルド本部へと駆け込んでいた。


 


「ギルド長、緊急報告です!」


 


 アリシアは息を切らしながら言う。


 


「“記憶障害”の原因は、《ローズ・セレナーデ》である可能性が極めて高い。

 院内では“癒し症候群”と呼ばれていますが、実際には、魔術的干渉の疑いが濃厚です」


 


 ギルド長も真顔で頷いた。


 


「……実は、我々の内部でも噂が立っている。“あの店に入った者が、出てこない”と──」


 


「っ!!」


 


 リリアが即座に駆け出す。


 


「……待ってて、流星!!」


 


「ちょ、あんたまだ何も準備──!」


 


「うるさいッ!! あいつ、ああ見えて純情なんだよッ!!」


 



 


 ──夢の館、再び。


 


 流星はゆっくりと立ち上がった。


 視界が揺れる。空気が甘い。

 それでも、剣を抜いた。


 


 シュイン、と空を裂く音。

 その刃が、香の空気を断ち割った。


 


「……アンタの“癒し”は、俺の求めるもんじゃない」


 


 ローズが首を傾げる。


 


「何故ですか? あなたは、幸せだったでしょう?」


「──現実でこそ、風俗には意味があるんだよッ!!」


 


 その叫びに応えるように、ローズの瞳から光が失われる。


 


 穏やかな表情が、無表情へと変化する。


 まるで──仮面が剥がれたかのように。


 


「……やはり、あなたは“危険”な存在ですね」


 


 その言葉と共に、部屋の壁が揺れる。


 空間が歪む。


 


 現実と幻の境界線が、崩れ始めていた。


 


 ──さあ、“夢魔”との決戦が始まる。

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