4 生永詩織(2)
誠司は、少し悩みが晴れたような顔で帰って行った。ずっと一人で抱えていたものを打ち明けて、楽になったのだろう。だが、伯父も詩織も、彼の疑問に対する答えを出せずにいる。
「あの子は……」
詩織が言いかけると、来客用のクッキーをつまんでいた伯父がこっちを見た。
「あの子は、どうして伯父さんに相談しに来たんだろう」
「他に話せる相手がおらんかったんやろ。警察や学校にこんなこと言っても、信じてもらえる訳がないしな」
伯父の専門は日本史だったが、彼は霊や魂にも興味を持っており、オカルトに関する資料を何冊も集めていた。授業でもその話をすることがよくあるらしい。
「それに……俺らにまんざら関係なくもない。首なし女の霊が出たのは、矢部町の廃墟らしい。……何となく察するやろ?」
詩織は息を呑んだ。
「……何の話?」
伯父は紅茶をぐっと飲み干し、詩織をじっと見た。
「詩織。今から言うことは、お前にとっても俺にとっても嫌な話や。けど、いつかは向き合わなあかん問題やとずっと思っていた。お前も、腰据えて議論できる年齢になったやろ」
「嫌だって言ったら?」
一緒に暮らし始めてから、伯父はいつだって詩織に優しかった。詩織がわがままを言わなかったためかもしれないが、声を荒げたことも、(生徒に対するように)成績について厳しく説教をすることもなかった。
だが今は、詩織の希望を聞いてくれそうにもない。
「嫌でも、聞いてもらわなあかん。お前と俺と、それにお前の父さん母さんにも関わることや」
断固とした口調で、伯父はそう告げた。詩織は諦めて、伯父の向かい側に腰掛けた。さっきまで、誠司がいた席だ。
伯父より先に、詩織が口を開く。
「……さっき、変な女の人がいた」
伯父は眉をつり上げただけで、何も言わず続きを促した。
「家の前に、島田健人君のポスターをべたべた貼ってた。多分、誠司君の家にビラを巻いたのと同じ人だと思う」
詩織は先程の出来事を思い出し、身震いした。
「最初は、肌色のマフラーを巻いているんだと思ったの。でも、違った。マフラーだと思ってたのは、その人の首だった。長い首が何重にもとぐろを巻いていて、バランスを崩したら……頭が地面に落ちたの」
吐き気がこみ上げ、詩織は口を必死に抑えた。伯父は真剣な顔で待っていた。落ち着きを取り戻してから、詩織はささやいた。
「……私は、『あの女』だと思った」
伯父が身を乗り出す。
「顔に見覚えがあったんか?」
「ううん。顔なんて覚えてない。勘よ、ただの勘。でも、絶対そうだと思う。だって、うちに島田君のポスターを貼るなんて、おかしいもの。全然知らない、聞いたこともない子なのに」
「そうやな」
伯父はメモを取りつつ、険しい顔で呟いた。
「あの女、今更何をしようとしてるんや」
詩織の両親は、彼女が三歳の年の元旦に亡くなった。伯父の妻も、従兄弟達も、祖父母もだ。皆同じ場所、同じ日に亡くなり、残された二人は必然的に身を寄せ合って生きていくこととなった。
結束の強い一族だった。本家・分家合わせて十五名が毎年元旦に集まり、新年を祝う慣例となっていた。詩織もお気に入りの熊のぬいぐるみを抱えたまま参加して、従兄弟達と大騒ぎをして遊んだものだ。
悲劇はその日の昼に起きた。宴会を始めたすぐ後に皆が眠気を覚え、広い畳の部屋で寝ていたところを包丁と鎌で惨殺された。たまたま酒を買いに出かけていた伯父と詩織が戻ってきた時、生きている者は一人もいなかった。
犯人は親戚の中の一人の女だった。分家筋で、その日は島根県から新年会の為に上京していた。女は凶行に走った後、凶器を持ったまま家を飛び出し、そのまま一昼夜周囲をうろついていたところ逮捕された。
詩織はその当時のことをほとんど覚えていない。周囲がばたばたしていたこと、もう両親には会えないのだと伯父が言葉を尽くして説明してくれたこと、警察が家に来ている間隣家でおせち料理を食べさせてもらったこと__十五年も経った今では記憶の遙か彼方である。
ただ、今でも詩織の目の奥底にこびりついている色がある。赤だ。詩織がその時着ていた赤いワンピースと、倒れていた皆の服が同じ色だった。外から戻ってきて、中の有様を一目見て、最初に抱いた感慨がそれである。
今ではかつてよりずっと頭が働くようになり、あの時の光景を鮮明に想像できるようになった。夜、詩織は時折夢を見る。自分と同じ赤い色の服を着た親戚たちが、周りを取り囲んでいる。ただ、それだけの夢だ。
逮捕された女は、親戚達からひどい扱いを受け続けた、積年の恨みが爆発したのだというようなことを供述した。裁判が長く続いた後、死刑を宣告され、数年後に執行された。それで全てが終わったのだと、詩織は思っていた。
事件が起きた本家は、矢部町にあった。事件の後売りに出されたが買い手がつかず、長いこと廃墟として朽ちていった。近隣の子供達からお化け屋敷と呼ばれていることを詩織と伯父は知っていたが、関わろうとはしなかった。
「『あの女』の幽霊が出たってこと?」
伯父は険しい顔のままうなずいた。
「出るだけやったら別にいい。あいつも嫌な死に方したからな、成仏できんのも無理はない。けど、他人を巻き込むのはあかん。論外や」
伯父はまるで、やる気のない学生のレポートを批評するような言い方をした。
「俺ら親戚に恨みがあったから、あんな事件を起こしたんやろ。気持ちはまあ少し、ほんの少しだけ__分からんでもないわ。親父はあの女や当時の俺みたいな、職業不定の人間にきつくあたったし、他の人間もあの女を庇おうとはせんかった。子供らには狂人扱いされてたしな。引っ込み思案で上手く話せん、それだけの理由で」
「……知らなかった」
「でも、それは人を殺していい理由にはならん。親戚の集まりが嫌なら、新年会に参加せんかったらよかったんや。実際、あの女の家族は、ずっと前から正月にも盆にも顔ださんようになってた。縁切ってもよかった。一族の結束なんてもの、今の時代そう大事なもんでもないんや」
そうかな。詩織は心の中で反論する。血のつながりがあるからこそ、詩織は伯父と安心して生活していられる。伯父に甘えることができるし、伯父がある日、突然詩織を捨てることはないだろうと楽観できる。他人の養子になっていたら、こうはいかなかっただろうと思っていた。
「来る必要のない新年会に顔出して、逆上して。首吊られたことを今はまた逆恨みして誰彼構わず危害加えてるんやったら、俺らがあの女を止めてやらなあかん。親戚やしな」
伯父は立ち上がり、本棚から一冊の分厚いノートを抜き出した。詩織は尋ねる。
「あの人の家族は?」
伯父は頁をめくりながら答えた。
「事件が起きるとすぐに、島根の家から引っ越した。父親は多分どっかで生きてるはずや。母親は、当時からおらんかった。……それに、」
伯父はある頁をじっと見た。
「あいつの姉は、首を吊って自殺した」
「えっ」
詩織は驚いた。姉がいたことも、亡くなったことも知らなかった。
「しかも、自殺したのはな。あの女__妹の死刑が執行されたのと同じ日や」
部屋の温度が少し下がった気がした。詩織は無意識に玄関の方を見た。
「妹さんが死んだのを知って、悲しかったのかな」
「違う」
伯父が即座に否定する。
「姉が死んだのはその日の朝。死刑執行されるのも大体朝や。いくらなんでも、そんなにすぐに報道されるはずがない」
「じゃあ、どうして……」
伯父は首を横に振った。
「分からん。だから、当時の事情をよく知っている人間を見つけなあかん」




