2 島田健人
島田健人が、岡田太一たちのクラスに転校してきたのは、10月のことだった。6年生の2学期という中途半端な時期だが、遠方から引っ越してきたので、前の学校には通えなくなったのだ。
このクラスに健人の知り合いは1人もいない。正直、仲良くなれるか不安だったけれど、新しいクラスメイトたちはみな親切だった。先生から事前に言い含められていたのかもしれない。
健人の隣は、元井優美という活発な女の子だった。
「島田君は今、どこに住んでるの?」
「矢部町だよ。お父さんが家を買ったんだ」
「矢部町……」
優美は唇に指を当てて考え込んだ。
「学校の近くね」
「うん。だから、毎朝寝坊しても間に合うよ」
「いいなあ」
優美はため息をつく。「あたしなんか、毎日二十分もかけて通ってるんだから」
その時、クラスメイトの太一が優美の元にやってきた。
「元井、今月号ができあがったって」
太一はA3の紙の束を両手に持っていた。
「ああ、ありがと」
健人は首を傾げた。
「今月号?」
「学校新聞よ。あたしと岡田は、新聞委員だから」
太一が新聞を1枚、健人にくれた。できたばかりの新聞はほかほかと温かかった。紙面に大きく特集記事が組まれていて、見出しは「食欲の秋! おいしい食べ物とその料理方法」だった。
「面白そうだね」
さんまのたたきの作り方なんて、どこで知ったんだろう。太一が胸を張った。
「7月号で失敗して先生に怒られたから、頑張ったんだよね」
「失敗?」
「そう。怖い話の特集にしようとして、調査が上手くいかなくって」
悔しそうに語る太一の隣で、優美が呟いた。
「そういえば、矢部町って」
「え?」
優美の顔は曇っていた。
「“あの家”があるところね」
太一が顔をしかめた。
「やめなよ。島田は引っ越してきたばっかりなのに」
「ごめん」
気になって、健人は尋ねてみた。
「あの家って?」
優美は迷っていたが、やがて答えてくれた。
「矢部町にね、おばけやしきって呼ばれてる空き家があったの。そこで首のない女の幽霊が出るってうわさがあったから、あたしたちで調査に行ったのよね」
「怒られちゃったけどね」
太一が困ったような顔で笑った。
「空き家? そんなの、近くになかったけどなあ」
「もうリフォームしちゃったみたいだから。そう、あのおじさんが言ってたね」
「うん。新しい人が住むんだって」
おばけやしきに住むなんて、なんかすごく嫌だな。健人はそんなことを思った。怖い話の類いはあまり読んだことも観たこともない。驚かされるのが苦手なのだ。
「島田の家は、どんな感じ?」
「あ、広くて良い感じだよ。それに、やっと自分の部屋をもらえたんだ!」
がらんと広い自分の部屋は、ワックスの匂いがぷんぷんしていた。床と壁は張り替えたのかしみ一つなかったし、日当たりも良い。これからこの空間で好きなように過ごせるのだと思うと、わくわくが止まらなかった。
「僕も自分の部屋がほしいな。兄さんたちと3人で使ってるから」
「窮屈そうね」
「うん。兄さんが好き放題してるから、あんまり部屋にはいられないし」
太一は大人びた仕草で肩をすくめてみせた。
「そうだ、来月号は自分の部屋特集にしようよ。1人の部屋があればどんなに楽しいか、アンケートを集めるんだ」
「あんた、それお母さんにアピールしたいだけでしょ」
「いいじゃん、きっと喜ぶ人もいるよ」
健人は口をはさんだ。
「ぼくでよかったら、何でも手伝うよ」
「ほんと? じゃあ、最初の取材は島田君ね」
「部屋も見てみたいな」
健人は笑った。
「ぜひ、遊びにきてよ」
健人が帰宅すると、母は買い物に出かけていた。おやつのスイートポテトがテーブルに置いてあったので、1つかじりながら自分の部屋に向かった。宿題は部屋でしよう。勉強机の横にランドセルを置いて、健人はまずベッドにダイブした。
引っ越しははじめてだったけれど、新しいクラスメイトとも仲良くなれそうでよかった。優美と太一の笑顔を思い出し、ほっと息を吐く。
枕元に、前の学校の友人たちからの色紙がある。昨日読み返していたのだ。転校するのは、やっぱり寂しくて怖かったから。
色紙を取り上げて、本棚に飾っておこうとした時、健人はふと動きを止めた。
色紙をどけた跡に、長い髪の塊が落ちている。何十本もの黒髪が、ごちゃごちゃにもつれあってまるで小動物のように丸まっていた。
誰の髪だろう? 試しに1本つまみ上げてみたけれど、健人の髪よりも何倍も長い。健人の母もショートヘアだ。
健人はその髪の毛をまとめてゴミ箱に捨てた。そして、初日そうそうたくさん出された宿題にとりかかった。
太一と優美、それに隣のクラスの木村誠司が健人の家に来たのは、土曜日のことだった。学校新聞の取材という名目だったけれど、友達を新しい家に呼ぶのははじめてだったので、健人は張り切っていた。
「お邪魔しまーす」
3人は家に着くと、声を揃えて挨拶した。健人の両親は嬉しそうに新しい友達を出迎えた。両親にあれこれ世話を焼かれるのが気恥ずかしくて、健人は3人をさっさと自分の部屋に連れて行った。
「あとで、手作りクッキーを持っていくからね」
居間から母がそう呼びかけた。適当に返事をして、健人は部屋の扉を閉めた。優美が嬉しそうに両手を合わせる。
「手作りクッキー? すごく楽しみ!」
太一はきょろきょろと部屋の中を見回している。マンガばっかりの本棚、誕生日に買ってもらったフィギュア、参考書と小説が積み重なった勉強机。太一はため息をついた。
「やっぱりいいなあ。自分だけの部屋」
「岡田君ももらえばいいじゃない。余ってる部屋とかないの?」
「物置しかないよ」
言葉を交わす2人の後ろで、誠司が立ち尽くしていた。健人は見かねて声をかける。
「座らないの?」
誠司ははっと健人を見下ろし、それから慌てて首を横に振った。その顔は少し青白い。
「どうしたのよ?」
優美が聞いた。誠司はためらいがちに口をぱくぱくしていたが、やがて優美と太一に厳しいまなざしを向けた。
「……何で黙ってるんだよ」
「え? 何のこと?」
誠司は何かに腹を立てているようだった。不穏な空気が部屋を支配する。彼は低い声で言った。
「ここは……あの家だ。家に入る前から分かった。それは、2人もだろ」
優美と太一がびくりと肩を震わせた。健人だけが分かっていない。
「何の話をしているの?」
優美と太一が顔を見合わせて、黙り込んだ。代わりに誠司が話してくれる。
「おばけやしきの話は、太一がしたんだろう。俺たちが調査に行った、空き家の話。そこに首なし女の幽霊が出るってうわさだった」
「だけど、うわさはあくまでうわさよ」
「いい加減なことを言うなよ!」
誠司が声を荒げた。「元井さんも覚えてるだろ。あそこには、たしかに「なにか」がいた。首なし女だったかどうかは分からないけどな」
「『なにか』……?」
「音がしたのよ」
優美が小さな声で言った。「姿は見なかったけど、変な音が」
「音だけじゃない」
そう言って、誠司はカバンから1枚の写真を取り出した。差し出されるままに健人はそれを受け取った。
一目見て、写真を投げ出しそうになった。一対の目のアップだった。深い皺が刻まれた眉間と、血走った2つの目。ばさばさの長いまつげ。それ以外の部分は病的に真っ白だった。
写っているのが誰か、健人には分からない。
「それ、床を写したつもりだったんだ」
誠司の声は震えていた。
健人は、写真と目を合わせた。じっと見ていると、まばたきさえ重なるような気がした。
「これが、おばけやしきにいた「なにか」なの?」
「もうやめましょうよ、木村君、島田君」
健人はむしろ落ち着いて尋ねた。
「そのおばけやしきが、今僕らが住んでいるこの家なんだね?」
引っ越しにあたって昔からあった家を買い取ってリフォームしたことは、健人も知っていた。想定していたよりもずっと安い値段で買えて両親が喜んでいたことも覚えていた。点と点をつなぎ合わせるのは簡単だった。
「参ったな……」
健人は頭をかいて、写真をひっくり返した。誠司が後ずさりする。
「悪いな、島田。帰る」
「あ、うん」
「ちょっと、木村君!」
誠司は部屋を出ていった。それと入れ替わりで、母がクッキーとコーラを持ってきた。すっかり気まずくなってしまった空気をなんとか変えるために、健人は対戦型のゲームを取り出した。
幽霊はあまり信じていないけれど、怖くないわけじゃない。特に、電気を消した部屋に1人でいると。
誠司が持ってきた写真は、適当な本に挟んだ。どの本かも忘れてしまったくらいだ。けれど、あの目は健人の脳裏に焼きついていた。
「健人?」
はっと体を起こすと、扉を開けて母が覗いていた。
「ああ、ごめんなさい。起こしちゃったのね」
「ううん、起きてたよ」
母は微笑んだ。
「今日は新しいお友達が来てくれて、良かったわね」
「……うん」
「急な引っ越しだったからね、寂しい思いをさせちゃったんじゃないかって思っていたのよ」
「大丈夫だよ」
「よかった」
母は健人の頭をそっと撫でた。
「母さん……」
「なあに?」
「どうして、この家を買ったの?」
母はにこりと笑った。
「前に住んでいたところより広いところがよかったのよ。健人はずっと1人の部屋がほしいって言ってたでしょ?」
「……うん」
もう一度健人の髪を撫でて、母は部屋を出て行った。
健人は欠伸をして、目を閉じた。猛烈な眠気が襲いかかる。
次に目を覚ましたのは、夜中らしかった。部屋の中は真っ暗だったが、次第に目が慣れてくる。外からのわずかな明かりがカーテンの隙間から差し込んでいた。
ぼんやりと目を開けていた健人は、ベッドのそばに誰かが立っていることに気がついた。
長いスカートと、足が見えた。足の先は何故かぶらぶらと床の上で揺れていた。目を上にやって、健人はその理由を知る。
大きな体は、縄にぶら下がっていた。白い首に縄が巻きついて、赤いあざができているのが分かる。だけど首の先__頭は見えない。
だから首なし女なのだ、と健人は了解した。何故か頭がしびれたようにさえていた。まだ夢を見ているような気分だった。
けれど、不思議なことが1つある。誠司の持ってきた写真だ。あれ、目の写真だったけれど、首なし女にどうして目があるのだろう?
首筋に生暖かい感触が走った。全身が強張る。けれど声はでなかった。逃げることもかなわなかった。
健人は、目の前の首を吊った体が消えるのを待った。それか、朝日が昇るのを。固まった時間は永遠にも思えた。
顎がくすぐったい。かきむしろうとして、柔らかい手触りのするものに気がついた。髪の毛だ。さらりとしていて、長さと量があった。
揺れているスカートから、視線を動かす。すぐ近くにいるものに。
知らない女の顔が、横にあった。目が合うと、女は歯をむき出してにいっと笑った。
それが、健人の最後の記憶だった。
続きは明日です。




