港湾都市のアラエル商会(裏) Ⅱ
匂いってのは良くも悪くも物事を呼び起こす。釜で焼き上げられたパンの芳醇な小麦の匂い、波音とともに肌を撫でる海の独特の潮の匂い、そして目の前で起きているような何かが焼け焦げて燃え尽きていくような煤と血の匂い。
「……何度嗅いでも、この匂いに忌避感が無くなってるってのは、俺が染まっているってことなんだろうな」
親父と話した翌々日の明朝、俺たちは予定どおりに問題であった麻薬の元となる麻の畑を強襲し、そしてこの悪魔の畑を管理していた人間たちを捕えるお仕事を勤めて、そして同時にこの畑の管理をしていた小屋の中身を無傷で手に入れ、物色していた。
「兄さん、そちらはどうですか」
「重要そうな書類は無さそうだな。あるのは入手経路と販売ルート、それと買った顧客のリストだな」
「それはそれで充分に重要な書類では?」
「それはそうなんだがな」
わざわざ麻薬の密造密売なんてやらかし、しかも教会にまで潜り込んでる連中のアジトだ、だいそれた計画書とかは無いだろうが何らかの目的を示すものぐらいあってもおかしくないはずだ。
「感が外れたのか……」
だが探しても一向に見つからない。空振りかと思ったそのとき、ふと足元に違和感を感じた。
「なんだ、冷たい風?」
いくら4月の明朝だからとはいえ、明らかに普通の風とは違う冷たい風が足元を通った。
しかも今は麻薬のもとになる畑を焼いてる最中だ、そういう意味で生暖かい風が通るならいざ知らず、冷たいというのは明らかにおかしい。ということは、
「ラスティ‼地下だ、どこかに地下への入り口があるぞ!」
「地下……っ‼」
俺の言葉を聞いた弟分がすぐにエルフの魔法……精霊魔法と呼ばれる特殊な魔法を発動させると、現れた緑色の光……風属性の精霊が部屋中を回り、そしてこの小屋に置かれていたベッドの上で停まった。
「ベッドの下か‼」
「お前たち、すぐにそのベッドをどかせ‼」
「へいっ‼ラスティの兄さん‼」
ラスティの指示を聞いた巨漢の部下二人が軽々とベッドを持ち上げようとすれば、どういうわけか全く動く気配がない。
「仕掛けか……ベッドの裏や床、壁を徹底的に調べろ‼どこかに何かしらのスイッチや装置があるはずだ‼」
「へい‼アルゼイの親っさん‼」
「任せてくだせぇ‼拾ってもらった恩、なんとしてでも報いさせてもらいまさぁ‼」
「現場は残さなきゃならねぇんだから壊すなよ」
「勿論でさぁ‼」
なんとも暑苦しい連中だが、この場にいる俺以外の全員が同じように士気を高めていやがる。
「……ありやした‼クローゼットの中‼」
「ホントか‼」
おかげで真面目に真剣に探してくれたおかげで、すぐに仕掛けが見つかってくれる。
「へい‼どうやらそこだけ壁をくりぬいてるみたいで、なにやら怪しいボタンが一つ‼それと何やら樽にヒモのようなものが飛び出したマークが描かれたボタンが」
その言葉に瞬時に絵の書いてないほうを、と言いそうになったのを寸でのところで抑えた。絵の内用が俺の予想通りだとしても、万が一、怪しまれても良いようにあえてそういう風にしている可能性も否定できないからだ。
「絶対に押すなよ‼怪しいほうも絵が書かれたほうもだ‼恐らくだが、どちらかがこの屋敷を自爆させるスイッチだ‼間違えて押せば俺ら全員木っ端微塵だぞ‼」
「木っ端っ……‼アルゼイの親っさん、なんでそう思うんですかい?」
「樽にヒモ、つまりそれが意味するのは鉱山なんかで使われる爆発石を樽に詰めたもんだ。もしそれがこんな場所で爆発してみろ、どんなに強力な魔法で守ったって意味がないぞ」
何せ爆発石は地球で言うところのダイナマイトのようなものだ。地下深いところでしか採掘されず、流通も国によって厳格に管理されているが、仮に拳大の大きさのそれを爆発させようものなら、魔法使いの中級火魔法であり、戦術魔法の『フレイムボール』一発分に相当する。
中級の戦術魔法一発の威力が、魔法一に対して百人を戦闘不能にさせると考えられているこの世界で、そんなものとほぼ同じ破壊力のそれが爆発すればどうなるかは想像に難くない。
「スイッチに描かれている絵が、爆発石に繋がってるって直接的に意味してるのならともかく、ここは敵地だ、万が一にも逆……俺たちのような部外者を騙すためにあえて逆にしていれば、俺たちはまんまとそれと引っ掛かって御陀仏だ‼分かったら、どっちがどっちか分かるまで、絶対に誰にもそれを触らせるな‼」
「わ、わかりやした‼」
見つけた部下が慌てるように返事をし、俺はすぐさま備え付けの机の全てを確認し始める。
「他の連中はすぐに机の書類、本、メモに至るまで全てを調べろ‼こういうのは必ず、間違えないように記録を執っているはずだ‼バカ正直には書いてないだろうが、何かしらのヒントがあるはずだ‼なんとしてでも手がかりを探せ‼」
ラスティも俺の指示を聞いてすぐに全体に指示をかけるが、俺が動いた瞬間に馬鹿でない連中はすぐに動き出していて、そうでない連中は他の場所にヒントが隠されてないか、床や壁などをしらみ潰しに探し回り、
「っ、見つけました‼親っさんの言う通り、樽にヒモの絵が書かれてたほうが開閉ボタンだ‼もう一つのがこの建物の自爆に関するものって書いてる‼」
「ホントか⁉」
五分も経たずに部下の一人が呼んでいた本、いや、日記帳らしきものを掲げて大声で喋る。俺もすぐに中身を確認すれば、確かに日記には絵が書かれてるものこそがベッドの床を開閉する装置だと書かれていた。
「ラスティ、簡易でいい、精霊に鑑定してもらえるか?」
「すぐに……うん、どうやら風の精霊の様子からして、この文章に嘘が書かれてる心配は無さそうです」
「よし、すぐにそのボタンを押せ‼俺とラスティの二人で地下に潜る。あと2人着いてこい、残りは気絶させた密売人ないし密造人の尋問とこの部屋を守れ‼衛兵隊が来たら事情を話してこの小屋に隠されている爆発石を探して解除するように頼め、良いな?」
「わかりやした‼」
威圧感たっぷりの返事を聞いた俺はクローゼットの前に立っていた部下に合図を送ると、そいつはすぐさま問題のスイッチを押した。
するとまるでベッドの床が持ち上がるように傾いて開き、やがてベッドが垂直になるとそこには地下へと続く階段が姿を現した。
「ラスティ、前を頼む」
「お任せを」
そう言ってラスティが進み、その後ろをくっつく形で俺、そして後ろに部下という形で降りていく。ラスティが火属性の精霊を呼び出したので視界はそれなりに明るく、そして地下がそこまで広いものではないのがすぐに分かった。
「これは……研究室みたいなものか?」
「その……ようですね」
地下にあったのは地球での一人暮らしマンションの1室より少しだけ広いぐらいの空間で、なおかつ机にフラスコやら試験管やら、まるで科学実験でもしていたかのような物品が幾つも散乱している。本棚にも本だけでなく何やら動物が入っていたであろう籠が幾つも置かれている。
「ちっ、どうやらここの中にいた連中は逃げたみたいだな」
そして部屋に付けられたなぞの扉を開いてみれば、そこにはどこから掘り進めたのか分からない洞窟があり、常人の耳でも微かにだが逃げる足音が聞こえた。
「追いますか?」
「いや、初見の場所でむやみやたらに人員を分けるべきゃないだろ。それにどうせ、今から追いかけたところで撒かれるのがオチだ」
一応尾行のために痕跡を探ったりする訓練も実働班はしているが、こういうのはリュスクのような情報班の専門で練度もそこまでだ。
それよりもこの場に残った情報を少しでも広い集めるのが重要だ。
と、その時本棚に置かれた本の一つに興味深いものを見つけ、俺は確認のために少しだけ開いて読んでみれば、その内容に少しだけ怒りが湧いた。
「……お前ら、手分けしてここにあるもの全部押収しろ。俺はうえに戻るから、ラスティの指示をちゃんと守れよ」
「分かりましたが、親っさんはどうするんで」
「ん?あぁ、ちょっと野暮用だ」
俺はその本を片手に持ちながら上に上がり、小屋から出て部下が尋問してる場所へ足早に向かう。
「え、親っさん、どうしたんすか」
その尋問の場に居た部下の一人が、まるで怯えるような声で問いかけてきた。隣には衛兵の連中もいて、俺に気づいたのかすぐに敬礼をしてきた。
「コイツらは教会の人間か?」
「え?あぁ、はい。服装もですが、ポケットに教会の人間しか身に付けられない護符を身に付けてましたんで」
「そうか、ならちょうど聞きたいことがあってな……」
俺は笑うようにそう言えば、部下も教会の人間も背筋が凍ったかのように固まった。うん、自分でもそうなるとは思う。だって言葉は笑ってるのに、表情が能面のようになってたら誰でも恐怖するだろうから。
「なぁ、お前らさ……子供ってどう思ってる?」
「……」
「俺はお前らみたいに元貴族じゃねぇからさ、毎日生きるのに必死だったわ。スラム生まれだから毎日が喧嘩、暴力、弱いガキはすぐに死ぬような地獄を生きてきたからさ、こういう権力や金をもってから、多少ではあるけど孤児院に定期的に寄付とかするようになったわけさ」
元地球の日本人として、成り上がって金や権力を得たからこそ、自分が味わった地獄を後ろの世代の連中には味わわせたくないから、俺はヤクザでありながら偽善を行っている。
「なぁ、お前らさ……嬉しいか?孤児院のガキ連れてきて薬漬けにして金持ちに売っぱらうのは?」
「っ……‼」
「お、親っさん、どういうことっすか?」
「どうもこうもねぇよ。この生臭坊主供はな、教会で運営してる子供を連れてきては薬の実験台にして、挙げ句用が済んだら金持ちの変態にガキを売って資金源にしてやがった。この本に、そのときのガキの様子やらなんやがしっかりと書かれていやがる」
瞬間、周囲に動揺が走る。捕まった連中も、俺の部下達も、そして衛兵の皆が動揺し、俺は部下が持っていた剣を貰い、鞘に入ったままのそれでおもいっきり目の前の生臭坊主の頬に殴り付けた。
「別によ、それだけなら俺はなんとも思わなかったさ。これでも裏の人間だ、孤児を暗殺者に仕立て上げたり風俗に埋めたり、そういうのは幾らでも聞きあきるほどに聞いてるさ」
「ぐっ……な、ならなぜ……」
「なぜ……なぜ、か。そりゃ単純な話だ……お前が俺の知り合いの子供を連れてきて薬漬けにして売ったからだ」
そう言いながら手に持った、俺がとある孤児院の子供にあげた日記帳を強く握りながら睨み付ける。
「この日記は昔、俺が親父から商会を継いで暫くして初めて寄付した孤児院で、俺が1人のガキにプレゼントしてやった、世界にたった一つのオリジナルのもんだ。去年、そいつは良いとこの商会に拾われたって聞いて、いつか将来、仕事をしながら酒を酌み交わしたりしたいって思ってたんだよ」
「親っさん……」
「なぜだって聞いたな、単純な話だ……俺の知り合いに手を出して怒らないでいられるほど、人間できてねぇんだわ‼それも裏と関係ないカタギを、だ……楽に死ねると思うなよ生臭坊主が‼」
俺はヤクザとしてこの世界で生きると決めた、だからこそ、身内が受けた理不尽は理不尽で返すと決めている。
「い、イカレてやがる……」
ぶん殴った生臭坊主が怒りの形相で睨み付けるが、それこそ今さらって話だ。
「イカれてねぇで裏社会の人間やれる分けねぇだろ、クソガキが」
俺はもう一度剣でぶん殴り、目の前のクズを潰した。簡単に殺しはしない、なぜなら
「俺はアラエル商会の商会長だからな、落とし前は良いほうも悪いほうも、大量に利子を着けて返すって決めてるんだよ。俺は、な」