アラエル商会のお仕事(裏) Ⅲ
その日の夜、俺はあのブタ奴隷商人から得た情報をリュスクに伝え、件のルバンダという奴隷商人の情報を探らせると、護衛も連れずに街の中のとある酒場に足を向けていた。
「いらっしゃい……って、アルゼイの坊っちゃんじゃないか」
「……いい加減、坊っちゃんはやめてほしいんだけどな」
酒場の店主でありウェイターでもある女主人の挨拶に苦笑し、いつものようにカウンター席に座る。
「で、今日は何にすんだい?今日はヒラメの良いのが手に入ってんだよ」
「ならそれのおすすめを。あと鶏肉の半身焼きを1枚と適当な飲み物を」
「はいよ。木苺の果汁で良いかい」
頷いて答えれば女主人は元気よく奥へと行ってしまった。
「……もう十年近く経つのか」
ここは俺が親っさんが俺とラスティが初めてのシノギを認められて、その祝いとして連れてきてもらった店で、それ以来何かにつけてはこの店でラスティやエレジア、リュスクに色んな部下達を連れて飲んでは騒ぎ、時には喧嘩して、良い思い出も嫌な思い出もたくさん紡いできた、ある意味での聖地だ。
(そういや、ここに一人で来るのは何年ぶりだろ)
最低でも二週に一度のペースで通ってはいるが、大抵は部下達の誰か一人は一緒に来ていたのを思いだし、そういえば一人で来ることが久しぶりであることにふと気づくと、同時に建物の中に視線を自然と向けてしまう。
スラムから急激に発展して、その成長に置いていかれたようなボロボロの土壁、そしてそれに合わせたような古臭く、しかしきっちりと丁寧に手入れの行き届いたカウンターにテーブルに椅子達、最新気鋭の港湾都市には似合わないような古ぼけた内観でありながら、今日も今日とて騒がしい客達の乾杯や喧騒の音が楽しく響いている。
「どうしたんだい、うち一番の商会の長ってやつがしんみりとした雰囲気だして」
そんなノスタルジーにも似た何かを感じていれば、頼んだ料理と飲み物を持ってきた女主人がそんなことを言ってきた
「そんな雰囲気してたか?」
「無自覚かい?」
「……いや、ここに初めて来たときを思い出してたから、そのせいかもな」
「寂れてた頃の事は思い出さなくて良いんだよ」
呆れるように答えるが、その表情は俺と同じく懐かしそうな雰囲気をしていた。
「寂れてたって、スラム街も同然だった場所で酒場なんてやってれば当然じゃないか。むしろよくもまぁ飲食店をやる余裕があったと思うさ」
「ハン、人間生きてりゃ腹が減るもんさ。腹が減ればろくなことを考えない、そうなりゃ大抵殺しか盗みに走る。なら腹一杯食わせて、少しでもマトモな考えをさせて金を稼がせたほうが、アタシも嬉しい客も嬉しい、街も少しはマシになる、良いこと尽くめじゃないかい」
「普通の人間はそこまで考えが回らないと思うがな」
だがそういえば、俺たちが考えた商品を最初に卸した相手も、この女主人だったのは因果か運命なのか。
「うちの『塩』はどうだ?」
「仕入れたときと相も変わらずだね。岩塩に比べて丸みがあるのに旨味も強い、それでいて保存もしやすい。重宝してるよ」
「そりゃ毎日毎日、文字通り汗水垂らして作ってるからな」
俺が最初に作った商品、それは日本人ならば海の近くでとなれば簡単に思いつく『海塩』だった。
この世界では基本的に岩塩が主流で、海塩は流通どころか作っているところも少ない。その理由は単純明快で、海には浅瀬でもかなり危険な魔獣がそれなりの数棲息しているからだ。
たかがそれだけと思う者も多いが、存在事態が魔力の塊のような魔物が棲息しているこの世界の海では、海水にも多量の魔力が溶け込んでおり、海洋生物型の魔物は陸上生物型の魔物に比べて強い傾向にある。
実際、陸上生物型の魔物で最弱と呼ばれる『ゴブリン』の冒険者対応ランクがGと最低なのに対し、同じく海洋生物型の魔物での最弱と呼ばれる『サハギン』は、ゴブリンと同程度の体長・知能であり最弱ながら、その冒険者対応ランクはEランクと二段階も上だ。
ゆえにこの世界では漁師以外が海に出ることは殆ど無く、国家間貿易も海洋ではなく陸路を主体に行われてきた。少なくとも、俺が親っさんに認められるまでは。
「けど、海の水にはかなりの魔力があるって話なのに、塩には魔力がないってのは不思議なもんだね」
「水に溶けてる魔力は蒸発させて気化させると、水蒸気とともに魔力が殆どが蒸発するのは、魔法大学で昔から知られてたそうです。だから海の塩についても多少は研究していたらしいですが、コストが釣り合わないからやってなかったそうです。
それに厳密には塩に魔力が全くないわけじゃないけど、教会のほうで確認してもらったら、それこそ致死量になるような量を一気に取らない限りは接種しても自然に排出されるらしいですよ」
まぁそんなに急に接種したらその前に死ぬのがオチだが、普通の生活をする程度の量ならば何も問題は起きない。
「へぇ、そんなにコストがかかるのかい?」
「えぇ、いつも卸してる塩の入った大きな袋一つ分作るのに、最初期の頃は最低でも一週間近く掛かりましたからね。卸値の大半は薪代で消えましたよ」
ちなみにうちのやり方はかなりシンプルで、濾過して不純物を取り除いた海水を幾つもの鍋で沸騰させて半分まで嵩を減らして濃度を上げ、減ったもの同士を同じ鍋に移してまた半分まで減らして濃度を上げを繰り返し、最終的に再沸騰前の濃度が50%を超えた段階で水が完全に無くなるまで蒸発させ、最後に数日温室のようなガラス張りの部屋で自然乾燥させるというやり方をしている。
まぁ50%になる前にすでに濃度的には飽和水溶液状態を超しているので塩を採ろうと思えばできるが、その度に手間が増えるので最後に一括で集めるやり方にしているわけだが、この精製方法の欠点というのが薪代……つまりは燃料費がバカにならないというわけだ。
「ここら辺は港湾都市であると同時に、山々に囲まれた都市だから今はなんとかなってますけど、今後のことを考えれば他の燃料を探さないとダメですね」
「確かに、薪だってタダじゃないし貯めこむにしてもかなり嵩張るしね」
薪を作ると簡単に言うが、そもそも使い物になる薪にするには最低でも半年から一年の乾燥が必要になる。魔族との戦争が終わった今、木材は住居や建物にも使用するから高騰していくのは目に見えてると考えた場合、卸値を上げることを考えなければならなくなる。
少し前の幹部会でもこの話題は当然あがっており、素直に値上げするか、付加価値をつけたなにか別の商品を新たに作るかと、喧々諤々とまではいかないが紛糾した会議になったものだ。
「ついでにアンタのところの塩の工房、薪の煙が凄いって結構な噂になってるよ」
「う、気をつけてはいるんですが、やっぱり薪を燃やすと煙はどうしても……って、そういえばこの店、料理で結構な薪を使ってるはずなのに煙臭く無いですね」
建物に煙突はあったが、それにしたって殆ど薪を燃やしたときの独特の煙臭さを感じなかった事に疑問を浮かべれば、女主人は豪快に笑って答えた。
「ハハハッ‼そりゃ、うちは薪じゃなくて木炭を使ってるからね。薪に比べりゃ煙は出ないさ」
「木炭……木炭があるんですか⁉」
まさかの単語に俺は前のめりになって聞いた。
「おや、天下のアラエル商会の長も木炭自体は知ってたのかい」
「えぇ。何せ木炭は薪に比べて燃焼時間も長く煙を出さない、料理だけでなく陶芸に使うこともある燃料の一つですから」
「へぇ陶芸にも使われるのかい。暫く前に薪売りのところの商人が薦めてくれてね、料理みたいに大量の薪を必要とする物事には最適だって売ってきてね、薪よりも仕入れ値は少し張ったし着火に少し時間は掛かるが、それを差し引いても煙も殆どでないうえに無臭で持続力も高い、良い取引をしたもんだよ」
彼女の言うとおり、木炭は燃料効率としてはかなり高く、そして今現在発見されていない石炭や石油といった工業的なパラドックスを引き起こしかねない危険物を除けば、最高峰の燃料資材だ。なんとしてでも手に入れる価値がある。
「おばちゃん、その木炭を卸してる薪売りって、材木ギルドのところで違いないか?」
「そうだよ。なんだい、興味があるのかい?」
「あぁ、できればあとで現物を見せて貰いたいが、構わないですか」
「どうせサンプルに欲しいとでも言うんだろ?飯を食べたら分けてやるから、今は冷めないうちに食べて、そんで街に金を落として頂戴な」
そう言って豪快に笑って離れていく女主人に笑って返せば、頼んだ鶏肉を躊躇わずに頬張る。塩やスパイスの香りも見事だが、同時に心地良いような炭の独特の香りに、この世界にうなぎは居ないのかと少し的はずれな思いを考えてしまったのは、元は地球の日本人ならではだと思う。




