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負う者

「竜追いやってるからにゃ、これくらい覚悟してたけど」

 布団の上で、疲れた声で禄一が言った。

 晒しを巻いた上半身、右半分は歪な線を描く。竜に持っていかれた腕はどうしたって戻らない。

「子どもたちも嫁さんも、禄一が生きてただけ良かったろう」

 それでも、命からがら帰って来た父に、夫に縋りついて泣く者たちからすれば、命があっただけでもマシだったはずだ。

 どうなっても、生きていれば。

 そう、八神が思いたいだけかもしれないけれど。

「どうかねえ。稼げない親父なんて、邪魔なだけじゃないかね」

 自嘲気味に笑って、禄一は肩を落とした。

「まあでも、八神があの竜を打ち取ったんだろ? おかげで全員死ぬようなことがなくてよかったわ」

 八神は首を振った。素直に謝意を受け取る気にはなれなかった。

「イサナだっけ? この子も助かったしな。熱も下がったし、骨もくっつけば歩けるようになるだろ」

 禄一の布団から少し離して引かれた布団に、イサナが眠っていた。


 あの後、イサナは朦朧としたまま禄一の家へと運び込まれた。

 まさかイサナの正体を明かすこともできず、どうやら父親は竜に食われたらしい――ということになった。

「イサナをこの家に置いてくれて助かった」

「まあ、お前ずいぶん気にかけてたからなあ」

 禄一は気のいい笑顔を浮かべた。

「そりゃ父親がうっとおしかったもんだから、あの子もひとくくりに憎らしかったもんだけどよ。でも、父親だって死んじまえば仏様よ。あんな小さい親なし子を叩きだすほど、俺も村のもんも薄情じゃねえさ」

 親のない子は村の中でも珍しくはない。竜追いを親に持つ子が多いし、そうでなくても、厳しいこの世の中では、子が一人残されることも少なくはない。そうした子らは、村の者たちでよく面倒を見、気にかけながら支えあっていた。

「この村が、イサナを受け入れてくれればいいんだけどな」

 いや。

 それだけじゃない。


 イサナが、人間を受け入れるか。

 竜を、父親を殺した人間を、受け入れることがあるのだろうか。

 小さく寝息をたてる幼子の顔を、八神は見つめる。

「八神はそのうち、ここ以外の狩場も回るだろう?ここを離れても、たまには会いに来てやんなよ」

 熱の冷めたイサナの額に手をかざす。頭を撫でようとして、父親を殺したこの手で触れていいものかと戸惑い、触れるのをためらった。

 その手を、小さな手が掴む。

「おじさん、行っちゃうの?」

 目を覚ましたイサナが、小さく言った。

「イサナ、起きたか」

「……行っちゃうの?」

 イサナは重ねて問う。

 イサナの父を殺したこの山に抱かれたこの地は、もはや辛かった。

 今更、竜を殺した感傷に振り回される自分が嫌だった。

 八神はゆっくり頷く。


「……連れてって」

 すがるような小さな手に、力がこもった。

「おじさん、どっか行っちゃうなら。私を連れてって」

 もう下がったはずの熱に浮かされるようにイサナは言った。

 正気とは思えなかった。

 だって八神は、この子の同胞を、父を、殺したのだから。

「だって、俺は」

「どうしていいか、わからないの。みんな怖い。みんな嫌い。お父さんを殺したのだって、許さない」

「おいおい、竜が親父さんを食っちまったのは、何も俺たちのせいってわけじゃねえと思うぞ」

 そう言う禄一は知らない。

 イサナには八神を、人間を恨む権利があるということを。

「帰りたい、みんなのところに。でももう帰れない」

 八神は唇を噛む。

 自分はイサナから、故郷まで奪ってしまった。


「俺は、ひどい人間だ」

 竜を追って生きることを、善と悪で分けるつもりはない。

 それでもイサナにとっては、悪だろう。

「うん。ひどいことをした」

 イサナはひどく静かに言った。

「だから、せめて一人にしないでよ」

 ぼろぼろと、大粒の涙を流してイサナは泣いた。

 幼い少女は、憎むべき相手にすがるしか寄る辺がなくて。

 八神は小さな手を握り返した。

 弱い者を育むにはあまりに不器用で、傷だらけで、血の匂いの染みついた手だ。

 それでもこの幼子の手を引いてやらなければならないと思った。

 一度手を離して、硬く拳を握る。

 両の拳を床について、イサナに向かって深く深く頭を下げた。

「すまない」

 何の許しも得られない。

 重く、苦しいものを背負って。

 今まで竜を食らって生かされてきた命で、八神は守るべき小さな者の命を負うのだ。




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