お化けのダンス
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、今日は明るいうちから月が見えるなあ。
夜の黄色や銀色チックな光もいいけど、こうして昼の下から見上げる姿もなかなか……。
月もまた、人が地上に出てくるより前から、ずっと地球の上に浮かんでいるものだ。光こそ、もとをただせば太陽から放たれているものの照り返しだが、昔の人にとっては同じ、光り輝くものの印象が強かったろう。
なにせ、空からの光は避けるすべがない。建物の中、地面の中へ逃げ込んだとしても、地上にある何かはそれを受けざるを得ないからね。
その浴びられる環境。もし、意図的に操作できるやつがいたとしたら?
僕の聞いた話なんだけど、耳へ入れてみないか?
お化けのダンス。
その話題があがったのは、学校で怖い話大会を開いたときだったか。
この世にはときどき、表に出てこられない者たちがひっそり集まって、会合を開くことがあるらしい。
学校の集会に似て、お堅いものからレクリエーション的なゆるいものまで行うことは様々。その後者の最たる例が、このお化けのダンスに相当するのだという。
これがどんちゃん、音を出すタイプの会合だったらまだありがたい。人間、あやしい物音がしたら警戒するものだからね。
そこから遠ざかろうとする人もいれば、興味本位でのぞこうとする人もいるだろう。仮に後者のようなケースで、かの会合の場へ入り込んでしまったとしても、無意識で身体の防衛本能が働く。
知らず知らずのうちに、会合に影響を与えないような動きを取るから、大事に至ることはめったにないのだと。
もっとも、他に影響を受けてしまった人やものと関わってしまった場合は、そうとも限らないというのだけど……。
このお化けのダンス、どうにか見てやれないものかと、僕は考えていた。
刺激の少ない時間に慣れると、いつもとは違うものに手を出したくなるもの。このダンスの場をどうにか抑えられないかと思ったんだ。
聞いた話によると、そのダンスの場を仕切るのはガイコツらしい。理科室で見る骨格標本のごときものが、踊りまわっているのだとか。
目撃談は複数主あり、それこそ飛んではねるような派手な動きから、舞踊を思わせるようなゆったり、しなやかな動きまであるらしい。
ただ、共通点のひとつが、いずれも心ここにあらずな状態のときに、出くわすことができたということ。
「探そう、探そう」と意識している者で、出くわすことのできたケースは存在しない。
みんな、それとは関係ないことを考え、ぼーっとしているときに会うことができた、とのことだ。
時間帯は問わないらしく、陽のあるうちに遭遇することもあったらしい。
共通点の二つ目が、月の出ている時間帯であること。
昼間で出会えたというのも、ちょうど今みたいに、空へ白い月がのぞくような場合であったのだそうだ。
これは前者の条件より、気づくのが遅れたという。奇妙な現象に遭遇して、冷静にあたりを見回して確かめられる人は、そう多くないからね。だいぶ証言を重ねた末に判明したのだそうだ。
そして、偶然に出会えたお化けのダンスも、気づいた人間側が何かしらアクションを起こすと、たちまちお開きになってしまう。
その場を動こうとしたり、声や文明の利器を使って周囲に知らせようとしたりすると、彼らはぱっと、たちどころに姿を消してしまうのだとか。
はじめから、その場にいなかったように彼らはいなくなり、証拠を残さない。ゆえに、この話も伝聞でしか伝わっていなかった。
ふーん、面白いじゃん、というのが第一印象。
当時の僕は写真やビデオとかに、いまひとつ魅力を感じられずにいたのもある。
やはり「生」の感動や迫力には、遠く及ばない。無理やり枠の中へおさめられてしまう映像よりも、そこにとどまらないものを含めた空気感があってこそ、目にする意義があるのだ……とね。
とはいえ、お化けのダンス探しは難航した。
話に聞いている通り、「探したい、出くわしたい」という欲を徹底的に自分の中からかき出していかねばならない。
月が出ているのをちらりと確認したら、期待のきの字も心に抱かず、町中を練り歩かなくちゃいけないわけだ。
別の考え事をしながら、歩き回る。こいつは相応に危険なことだった。
交通量の発達した現代かつ、乗り手もお行儀よくて優しい人ばかりと限らない、と来たら、迷惑をかけがちな僕をとがめてくるのは自然なことだろう。
自転車のベル、車のクラクションを食らうなどしばしばで、あまりにぼーっとするものだから、足元の段差に気づきそこねて、肝を冷やすこともあった。
しまいには本格的に足を滑らせて、おかしな手の付き方をして、骨を折る始末。子供ながら、恐ろしくなるようなのめりこみ具合だったと思う。
さすがに、自由が利かなくなる痛みとなると、関心もそちらへ向いてしまった。
娯楽、興味は心のゆとり。大事が横たわるなら、優先順位を下げられる。
僕はケガに意識をとらわれた。普段の生活でも、考えるのは腕の不自由と、それらをどうカバーするかばかり。
だから、その夜の外出から帰るとき、月が出ているかどうかも、ましてやお化けのダンスのことも何も考えてはいなくて。とぼとぼと、いつもの帰り道を歩いていたんだよ。
うつむき気味だったから、ぶつかるまで気が付かなかった。
いつも家へのショートカットに使う公園。目をつむってでも通り抜けられるほど、なじみの場所ではあったけれど、周囲を気にしていなかったからね。
「ごめんなさい!」と反射的に何歩か下がりながら、うつむいた頭を、なお深々と下げる。
けれども相手は、動きや言葉を返す様子を見せない。
不審に思いながら、顔をあげた僕の目に映ったのは、天へ向けて大きく伸びをするガイコツの姿だった。
ちょうど月の光が、スポットライトのごとく当たる中で、骨格標本の骨格が大きくその身体を伸ばしている。
公園のそばの土たちは、わずかな光も受けてはいない。このような光のあたりかたを、僕は知らない。
まるで本来あるべき光を、この体操するかのごとき格好のガイコツが、すべて集めて受けてしまっているかのようだ……。
ぼんやり考えてから、僕ははっとお化けのダンスの可能性に思い当たった。
食い入るようにガイコツを見る僕は、やがてその右腕の骨のみが、細かいヒビが入っているのを見て取った。
気のせいか、ガイコツの浴びる光のうち、右腕全体だけが一段と強い光を受けている気が……。
考える間にガイコツは、だらんと伸ばしていた腕を下ろす。
浴びていた光の強さも弱まり、よりはっきりと骨が見えるようになっていたけど、先まで見えていたひびが、すっかりなくなっている。
このとき、ずいっと僕は半歩ほど後ずさってしまっていた。
ガイコツの突然の動きに、身体が反射的に動いてしまったのかもしれない。
とたん、スポットライトくらいの大きさだった月の明かりが、ぱっと公園の半面ほどへ一気に広がった。
おそらくは、本来の月のあたり方へ戻ったのだろう……と悟ったときには、もうガイコツの姿は影も形もなかった。
あれが「ダンス」と形容できるものかは分からない。
ただ分かるのは、ほどなく僕の右腕の骨折はたちまち完治してしまったこと。
それと入れ替わるようにして、友達が僕とまったく同じ箇所を骨折してしまったことだった。
お化けのダンス。
それはケガあるもののために、ケガなきものから奪って補填させる行い。
何も知らなければ「事故」とか「奇跡」とか「運命」とか呼ばれてしまうような現象の中身を、具現化したものじゃないかと思うんだ。