表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

前編 子爵令嬢のあれこれ

 まあ、なんって綺麗な青の瞳なのかしら。まるで精霊の瞳のようだわ。精霊なんて見たことないけど! でもきっと『氷の精霊』がいたらあのように美しい瞳に違いないわ。決めたわ! わたくしはあの方の、アルベルト・エーリッヒ・クヴァンツ様の妻になるわ!



 ユリアーネ・アントイネッテ・アルンシュタットはよく言えば、夢見がちで可愛らしい、はっきりと言えば、思い込みが激しくお気楽な娘であった。


 十七歳という年齢を考えれば、もう少し落ちつきを持ってほしい。そろそろ結婚とまではいかなくても婚約者くらいは決めておきたい、と父であるアルンシュタット子爵は考えていた。しかし、それはまだ難しそうだという現実を、目の前の娘に突きつけられてうなだれた。


「ユリアーネ、我が家はそれなりに豊かであるとはいえ子爵家だ。いくらお前の加護の器が大きくても、侯爵家に嫁げるような家柄ではない。それにお前は一人娘なのだから、婿を迎えなければならないということは、わかっていると思っていたのだが」

「大丈夫ですわ、お父様。侯爵家にお嫁入りしても、わたくしが男の子をふたり産めば、ひとりはアルンシュタットの跡継ぎにできます。それまでお父様がお元気でいらしたら、なにも問題ありませんわ」


 現実的なようでいて荒唐無稽な考えを、さも名案のように言ってのけた娘に、アルンシュタット子爵は呆れた。はあっと大きなため息をこぼして、甘やかしすぎたか、とつぶやいた。


 愛妻家であったアルンシュタット子爵オスカー・ヒエロニムスは最愛の妻の死後、再婚の縁談を全て断り、一人娘のユリアーネに婿を迎えることを早くから決めていた。


 幸い領地経営は順調で、産出する葡萄からワイン醸造を手がけて成功している。そのおかげで、子爵家としてはかなり裕福な家柄となっていた。

 ユリアーネも取り立てて美人というわけではないが、それなりに可愛らしい娘である。なにより子爵令嬢としてはかなり大きな精霊の加護の器を持っているから、婿探しに苦労することはないだろう、と考えていた。


 アンティリア王国が中央に座すその大陸の国々には、精霊の加護の力が漂っており、全ての人がその力を受け止める器を持って生まれてくる。器には異なる加護が与えられ、その種類によって魔力と瞳の色が定まる。


 ユリアーネには母譲りの真紅の瞳、『火の精霊』の加護の器がある。瞳の色の濃さが器の大きさを表すわけではないが、ユリアーネはその美しい色に相応しい大きな器と、強い魔力を持っていた。


 王侯貴族が(から)の石と呼ばれる特殊な石に、魔力を込めると精霊石となる。精霊石があれば、器が小さな者でも大きな魔力を用いることができる。精霊石を作れる魔力を持つことが貴族の資格であり、器が小さく、精霊石を作れない者は貴族の家に生まれても貴族籍に加えられない。

 精霊石を領民に配分して、彼らの生活を成り立たせることも貴族の義務であるからだ。


 その点ユリアーネの器は、それこそ侯爵家にも引けをとらないほど大きかった。明るい金髪に輝く紅玉(ルビー)の瞳、と容姿も悪くない。

 高位貴族の次男、三男や、貴族籍を持てなかった貴族令息の婿入り先としてはうってつけであった。

 実際に、ユリアーネ宛の夜会の招待状が途切れることはなく、正式な見合いの申し込みも山のように届いている。


 しかし、そこはかわいい一人娘の結婚相手、そんじょそこらの馬の骨を選ぶわけにはいかない、とオスカーは吟味に吟味を重ねていた。ユリアーネ自身が社交界に興味を示さなかったこともあり、デビュタント以降は夜会にも出席していなかった。それが裏目に出た。


 その日、ユリアーネは幼なじみのシュトルベルク伯爵令嬢に誘われて、クヴァンツ侯爵夫人のお茶会に参加した。そこでまさかの次期侯爵に、一目惚れをして帰ってきたのである。


 お茶会の席は高位貴族のご夫人やご令嬢ばかりで、ユリアーネはとても緊張していた。そこへたまたま帰宅した嫡男アルベルト・エーリッヒが顔を出し、母の友人たちに挨拶をした。


 艶のある焦茶色の髪に、青玉(サファイア)のように濃く青い『氷』の瞳の貴公子は、次期侯爵という肩書きとあわせて、未婚の貴族令嬢に大変人気がある。

 社交界にほとんど出ていないユリアーネは、そうした噂を知らなかったが、一目惚れには噂話などまったく必要なかった。


「クヴァンツ侯爵家の嫡男、私も耳にしたことがある。若いが大変優秀で将来有望な美丈夫だとか」

「そうなのです。さすがですわ、お父様! 優秀だとか将来がどうとかは存じませんが、美丈夫でいらっしゃるのは確かですわ。でも違うのです、わたくしはお顔の造形ではなく瞳、あの『氷の精霊』そのもののような、美しい青の瞳に心ひかれたのです」


 父親としては「優秀だとか将来がどうとか」のほうが、よほど重要であるということを、露ほどにも考えていない。ユリアーネの残念なところであり、憎めないところであった。


 だが、相手は有力侯爵家の後嗣である。万が一にも子爵家の入り婿になることはないだろう。婿取りの問題がなかったとしても、子爵家の娘が嫁げるような相手ではない。

 愛娘が悲しむ姿は見たくないが、オスカーは親馬鹿で判断を誤るほど愚かではなかった。


「ユリアーネ、わかった。クヴァンツ侯爵家に連なる家柄から候補者を探そう。幸い我が家は選ぶ側にある。姿絵や釣書はたくさん届いているのだから、お前も選びなさい」

「もう、お父様! 全然わかっていらっしゃらないわ。似た方なんて存在しませんわ。あの瞳はあの方だけのものです。わたくしはあの方のもとに嫁ぐと決めたのです!」


「わかっていないのはお前のほうだ! それは無理だと言っているのだ!」


 はじめて愛娘を怒鳴りつけた父親は、大いに動揺して娘の顔色をうかがった。だが、生まれてはじめて父に怒鳴られた娘はきょとんとしていた。


「わかりました、お父様。わたくし、自分でどうにかいたしますわ」

 お気に入りの淡いグリーンのドレスを少し摘まんで優雅に礼をすると、ユリアーネは父の書斎を出ていった。

 愛する娘を怒鳴りつけてしまった後悔と、無駄に前向きなユリアーネがなにをしでかすのかを想像して、オスカーは書斎机に肘をついて頭を抱えた。


 部屋に戻ったユリアーネは、これからどうするべきかを考えて、考えて、考えて……。

 結局、なにも思いつかなかったため、想い人に出会う――ユリアーネが一方的に見つめていただけである――きっかけを作ってくれた幼なじみ、シュトルベルク伯爵令嬢ゾフィー・ヘレーネに手紙を書くことにした。

 箱入り娘のユリアーネが頼れる人は、最初からゾフィーだけであった。


 ――――

 親愛なる ゾフィー


 先日はクヴァンツ侯爵夫人のお茶会に連れて行ってくださって、本当にありがとう。

 あのときのことをいろいろお話したいの。近くうかがってもよろしいかしら?

 相談したいことがあるの。


 ユリアーネ

 ――――


 ゾフィーからはすぐに、明日いらっしゃいとの返事が届いた。

 ユリアーネは翌日、王都で人気のお店の焼き菓子と領地のワインを持って、シュトルベルク伯爵家の王都別邸を訪れた。


「私もユリアにお話したいことができたのよ。ちょうどよかったわ」

 いつも通り、にこやかに迎えてくれたゾフィーは、ユリアーネより身分の高い伯爵令嬢である。だが、幼い頃からとても仲が良く、親友といっていい。

 もともと亡くなったユリアーネの母と、ゾフィーの母が幼なじみだった縁である。


 ユリアーネが、本来なら招待されるはずのない侯爵夫人のお茶会に参加できたのは、ゾフィーの母の代わりに招かれたからであった。

 伯爵夫人の都合が悪くなったために、不参加の連絡をしたところ、それならご令嬢がお友達を連れていらして、との侯爵夫人の提案があったのだ。


「まあ、なにかしら。楽しい話?」

「もちろんよ、ユリアが飛び上がって喜ぶわって、お母様と話していたのよ」


 ゾフィーの加護は『風の精霊』、その金色の瞳をきらきらと輝かせてユリアーネを見つめる。

「もうすぐ、皆さま領地の本邸へ帰られるでしょう? その前に、クヴァンツ侯爵領の本邸に遊びにいらっしゃいって侯爵夫人が! ユリアもぜひ一緒にって!」


 ユリアーネは驚きのあまり、菓子をこぼした。慌てて手を口もとにあてるが、もちろん間に合わない。


「なんで、どういうこと?」

「お母様がこの前のお茶会にうかがえなかったから、お詫びのお手紙を送ったの。それに『もう少ししたら領地に向かいますが、夏の暑さが辛いですわ』って書いたのですって。そうしたら、侯爵領は北でしょう? 『少し涼んでいかれたらいかが?』って。よかったら先日のお友達もご一緒にって!」

「あの、アルベルト様もいらっしゃるのよ、ね?」

「もちろんよ! だから行くでしょう?」


 夢かもしれない、と嬉しさに茫然としたユリアーネの紅玉の瞳がじんわりと曇る。

「やだ、ユリア。泣くほど嬉しいの? もう、本当に恋しちゃったのね」


 ――恋! そう、恋なのよ! 理屈じゃないんだわ。またアルベルト様にお会いできる。でも……――


「……お父様がなんて仰るかしら」

「いざとなったら、わたくしのお父様にお手紙を書いていただけばいいわ。そうしたら、ユリアのお父様も断れないでしょう?」


 いたずらっ子のような言葉に、ユリアーネの顔がほころぶ。

「ゾフィー、大好きよ」

 金の瞳を細めてわたくしもよ、とゾフィーは微笑んだ。


 ユリアーネの予想通り、オスカーはいい顔をしなかったが、拒絶というよりは困惑の表情であった。

「侯爵夫人からのご招待なら、断れまい。しかし、本当に? いや、でもしかし……」


 歯切れの悪い父の様子に少しいらいらしつつも、ユリアーネは努めてお淑やかにお願いした。

「侯爵夫人からも直接ご招待のお手紙をいただきましたの。『喜んでうかがいます』とお返事してもよろしいでしょうか」

 渋々ではなく、困り顔でオスカーはうなずいた。


 本格的な夏がやってきて多くの貴族が領地へ戻る中、オスカーはひとりアルンシュタット領へ帰り、ユリアーネはシュトルベルク伯爵家の馬車に乗ってクヴァンツ侯爵領へと向かった。


「楽しみねえ、ユリアちゃん。侯爵領には大きな湖があって、みなさん馬に乗って行くのですって。風の穏やかな日は、舟に乗って涼むこともできるそうよ」

 少女のようにはしゃいでいるのは、ゾフィーの母ルイーゼ・アマーリエである。


「ルイーゼ様、わたくし、おかしくありませんか? 失礼がないか心配で……」

「ふふふ、大丈夫よユリアちゃん。本当に、かーわいいわねえ」


 ルイーゼは『水の精霊』の加護を持つ、淡い水色の瞳に優しさをにじませて微笑む。隣に座るゾフィーも同じように笑っている。

「さあ、もう少しで着くわよ。心の準備は大丈夫?」

「ゾフィー、だめだと思うわ。緊張して心臓が破裂しそう」


 母娘の笑い声が響く馬車がゆっくりと停まり、馭者が扉をノックする。掛け金を外す音がして、扉が静かに開いた。


 そこには、艶やかな焦茶色の髪に、最高級の青玉の瞳。ユリアーネを魅了してやまないその人が立っていた。


「ようこそ。ユリアーネ嬢、シュトルベルク伯爵夫人、ゾフィー嬢」

 ユリアーネにはアルベルトしか見えていない。親友とその母が、まあ! と顔を見合わせて笑ったことには気がつかなかった。


 侯爵領での日々は夢のようで、ユリアーネはずっとふわふわとした心持ちで過ごしていた。

 アルンシュタット領の本邸があくまでも領主の館であるのに対して、クヴァンツ領のそれは城砦である。


 強固な石造りの城は、物語に出てくるような立派なお城であった。ユリアーネは、子どもの頃に読んだ絵本に出てきたお姫様のお城みたいだわ、と思った。

 一流の料理や菓子に目を輝かせて素直に喜ぶユリアーネを、侯爵家の人々は和やかにもてなしてくれる。


 そしてなによりも、王子様のようなアルベルトがいつも一緒である。ユリアーネの乙女心は大いに刺激された。


 湖へ向かう日は葦毛の美しい馬に乗せてもらい、侯爵夫妻にアルベルト、アルベルトの妹のエレオノーレ・ドロテア、ルイーゼ、ゾフィーと並んで馬を走らせた。

 乗馬があまり得意ではないユリアーネが遅れ気味になると、アルベルトは歩をゆるめて寄り添ってくれた。


「ゆっくり行きましょう。あの人たちは走らせるのが好きですから、あわせなくても大丈夫ですよ」

「ありがとうございます。練習はしているのですが、なかなか上達しなくてお恥ずかしいですわ」

「いや、ご令嬢がそれくらい乗れるなら充分でしょう」


 ――アルベルト様、お優しい。こんなに素敵なお人柄で、侯爵家のご嫡男でいらっしゃるのだもの。きっと社交界のご令嬢たちにも人気よね――


「わたくしはあまり貴族らしいことが得意ではなくて。領地では乗馬よりも、葡萄のお世話やワイン造りを手伝うほうが好きなくらいで」

 ユリアーネにしては珍しく消極的になり、劣等感をみせてしまったが、アルベルトはそれに気づく様子はなく、話を広げてきた。


「アルンシュタットのワインは有名ですね。いただいたものも、とても美味しかった。私は、旅人の(てい)でさまざまな土地を見て回ることがあるのですが、子爵領にもうかがったことがあります。土地にあった葡萄を育てて、上質なワインの醸造まで、きちんとご自分の目で見て管理しておられる。貴女のお父上は素晴らしい領主だと思いますよ」


 思いがけない話にユリアーネは驚いたが、アルベルトに領主としての父をほめられて嬉しい。

「本当ですか? まあアルンシュタットへいらっしゃったなんて、お声がけいただきましたら父が喜びましたでしょうに」


 アルベルトは笑って少し首を振った。

「大袈裟になりますから、こっそりです。実は、私の器は侯爵を継ぐ者としては少々心許ないのです。精霊石をひとつ作るだけで、魔力をほとんど使い果たしてしまう。瞳の色はよいように見えますが、生まれつきの色が青だったので濃くなっているだけなのですよ。ですから、ほかのことで補うためにいろいろと勉強しておこうと思いまして」


「まあ、それでわたくしとは反対ですわね。わたくしはお勉強は苦手ですけれど、少々大きい器を持って生まれましたから、その点では父の役に立つこともあるかもしれません。本当はお勉強もできればよかったのですけれど」

 恥ずかしそうに言うユリアーネに、そのお気持ちだけでお父上は喜ばれると思いますよ、とアルベルトは優しい声をかけた。


「それに、勉強はこれからでもできますよ。別に小難しいことを覚えることだけが、勉強ではないですから。興味があることの知識を増やすことも勉強です。私が子爵領にうかがったのも、話題のワイナリーと葡萄栽培の様子を、実際に見てみたかったからです」


 アルベルトの言葉にユリアーネは紅玉の瞳を輝かせる。

「まあ、そうですわね。わたくし、葡萄を摘んだり、ワインの仕込みの葡萄踏みが楽しくて、いつもお願いして作業を手伝わせてもらっていたのです。葡萄作りのことをお勉強すれば、もっと皆の役に立てるかしら」


 楽しい思いつきにユリアーネの顔が明るくなり、アルベルトが満足そうに笑った。

 その様子を湖のほとりで待っている一行が、ほほえましく見守っていることにユリアーネはまったく気がつかなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ