いっぱい食べる君のおかげで、今日も俺のメシがウマい
1
昼休み、下駄箱が並ぶ玄関。
俺の目の前には、ありえないほど美しい金髪碧眼の少女がいた。
名前はアメリア・アルトランド。
俺はその美しさと可憐さゆえに、敬意を込めて“アメリアさん”と呼んでいる。
「エースケ!」
アメリアさんが俺の名前を発声してくれた!
喜べ、世界中の“えいすけ”という名を持つ男子どもよ。
今この瞬間より、その名の価値は三段階ぐらい上がったぞ。
「なんだい、アメリアさん?」
しかし俺の返事は冷静だった。落ち着いていた。
だってこんな感情を表に出してキモがられるわけにはいかないだろ。そうだろう。
誰だって彼女の前では、世界一いい男でありたいと願うだろうから。
「今日は肉を食べに行きましょう!」
金髪のロングヘアーが春風になびき、そこから垣間見える笑顔はもはや芸術の領域に達している。
ルーヴル美術館にあるモナリザの隣に、彼女の写真を立て掛けたい。
絶対に怒られない自信がある。
大きく突き出した胸は学内でもトップクラスのボリュームだ。
本当に女子高生かっていうぐらいある。
まぁ俺は巨乳好きではなかったが……アメリアさんが巨乳だったから、巨乳好きになっただけだ。本当だぞ。
そんな海の向こうからやってきた世界遺産指定不可避な美少女は、ひょんなことから俺――高校デビュー失敗した冴えないボッチ陰キャ男子高校生――とランチを一緒に食べている。
まぁいろいろあった。
ミラクルがあった。話せば長くなる。
「とっても美味しいお店を知っているのです」
幸運なことに俺たちの通う高校では、昼休み中の外出が許可されている。
「当てよう! 焼肉だっ!」
「イエス! ズバリ、焼肉屋のランチです!」
焼肉――それは豪華な食事の代名詞。
火を発見した人類が最初に作った料理(所説あり)で、ゆえに人間という生命体が本能的に求めるようになった(論拠なし)、まさに史上最強の料理だ。
そんな人類のルーツたる料理を今から食しに行くのだ。
これはもう俺とアメリアさんが、新世界のアダムとイヴだということを暗示しているに違いない! ……我ながら発想が気持ち悪いな。
アメリアさんと俺は意気揚々と校門を抜け、高校からそう遠くない商店街の一角にある焼肉屋へ向かった。
『ランチ営業中!』とポップな字体で書かれたカラフルな立て看板に、お手頃な値段のメニュー表が添えられている。
店内は障子付きの個室が並んだ造りとなっており、安物の肉を出されるような気配は一切ない。
むしろ未成年だと気圧されそうな雰囲気すらある。
調理場の奥には高そうな日本酒が並んでいた。
高いんだろうなぁ……未成年だからよく分からないけど。
「こういうお店は初めて?」
「あ、はは……実は……」
「大丈夫ですよ、緊張しなくても」
なんか“いけないお店”に来たみたいだ。未成年だからよく分からないけど。
掘りごたつ式になっている個室に入ると、アメリアさんは落ち着いた様子で俺にメニュー表を渡してくれた。
「私は決まっています。エースケ、どうぞ」
「そうなんだ! じゃあ俺もアメリアさんと同じヤツにしようかな」
二人の間には金網の敷かれたガスコンロ。これで肉を焼くのだと思うと、想像するだけで口の中が潤ってくる。
「いいと思います! 私は大盛にしますが、エースケは?」
「俺は並盛かな」
……ん? 焼肉って大盛とかいう表現使ったっけ。まぁいいか。
「店員サーン!」
相変わらず、アメリアさんの声はよく通る。それでいてこの日本語の上手さだ。生まれは日本、育ちはアメリカらしく、日本語と英語の両方を話せる。いわゆるバイリンガルってやつらしい。素敵。
「焼肉丼大盛と並盛、お願いします!」
――焼肉丼!?
俺は思わず目を丸くした。焼肉ではなく、焼肉“丼”。すなわち今回のランチで、ガスコンロの出番はないというわけだ。これはどういう意図なのだろう。
店員が注文を聞いて去っていった後、俺はアメリアさんに思わず問いかけた。
「アメリアさんって丼ものが好きなの?」
「イエス! でも今日選んだのには理由があるのです」
「……理由?」
もしかしてこの店の隠れメニューが焼肉丼なのだろうか。
いや、違う。
ランチメニューの真ん中よりやや下あたりに、しっかり写真付きで存在している。
ロースやハラミ、カルビ、ホルモンといった主要キャラではないが、隠しキャラというわけでもない。
いうなれば脇役……っ!
みんな知ってはいるが、注文される頻度はそこまで高くない。
「エースケ。美味しくご飯を食べるために、一番必要なことはなんですか?」
「えーっと……料理の美味しさ?」
「たしかに重要です。ですが一番は――」
アメリアさんの碧眼がまっすぐ俺に向けられる。
「余裕です」
「……え?」
「どれだけ美味しい料理も、味に集中できない状況であれば、一〇〇%を味わうことはできません」
「たしかに……はッ!」
俺はようやく気づいた。アメリアさんの意図に。
うちの高校の昼休みは50分間だ。
五時限目の授業の準備や移動も含めたら、実質的な自由時間は45分となる。
移動で15分として、店で使える時間は30分……。
注文から料理がくるまで5分と仮定すれば、食事に使える時間は25分しかない。
この短い時間で肉を焼いて食べてを繰り返していると――。
たしかに食べきれはするだろう。
しかし気持ちのどこかに「あと〇〇分しかない。急がなきゃ」、という感情が湧き出してしまうのは必至!
「そうです。肉を焼く作業というのは、焼肉を食する醍醐味ではありますが、同時に手間でもあります。食事に使える時間が長くない場合、手間に加えて焦りが生じます。であれば、予め調理された焼肉丼を食するほうが――」
「心に余裕をもって食べられる!」
「ザッツライ! 重要なのは時間的な早さよりも、心理的な余裕なのです」
さすがアメリアさんだ。着眼点が鋭い。
何を隠そうアメリアさんは学内一のグルメである。
無論、この情報を知る者は、クラスでも俺以外にいない。俺だけが知っている真実……っ!
そうしているうちにテーブルの上に、二杯の丼が置かれていく。
「きましたネ! 焼肉屋のランチメニュー、牛焼肉丼です!」
こんがりと焼き色のついた牛肉、その上にかかった飴色のタレ。
ご飯と牛肉の間に敷き詰められたキャベツが彩を加えて、実に美味しそうだった。
「今日は“当たりの日”のようですね」
割引クーポンでも付いていたのだろうか?
アメリアさんが指さした先には、丼とは別の小さな器に入った生卵があった。
ただの生卵だ。しかし、アメリアさんは続けた。
「この店は日替わりでちょっとした一品が付くのです。大抵は漬物や豆腐なのですが、今回は幸運なことに生卵……」
アメリアさんは慣れた手つきで生卵を割って器の中に落とすと、一年前まで海外に住んでいたとは思えないほど正確な箸さばきで、それをかき混ぜる。卵黄と卵白が混ざりあったそれを、勢いよく焼肉丼の上に落としていった。
飴色のタレのついた牛肉の上を、黄金の輝きが流れていく。
「トッピングとして使えるのですよ」
そう言ってアメリアさんは瞳を閉じて、静かにその言葉を発する。
「――では、いただきます」
開いた碧眼は先ほどまでとは打って変わって、真剣そのもの。丼の底まで味わい尽くしてやるという覚悟を感じる。
彼女はどこまでも食事に対してまっすぐなのだ。
「では」
まず一口目。
アメリアさんは最短距離で箸を丼まで進め、白米とキャベツ、そして生卵とタレが絡んだ牛肉をすくい上げ、口の中へと運んでいく。
桃色の潤った唇に食材が触れると、それはぷるんと小さく揺れる。
しかし次の瞬間、大きく開いた口が食材に覆いかぶさり、そして静かに閉じられていく。
牛肉と白米の熱を感じた頬は、ほんのりと赤く染まる。
ぎゅぅっと噛み締めると、牛肉の脂が口の中で弾けたようで、その旨味がアメリアさんの全身を駆け巡っていった。
「んっ……あっ……」
甘い声が漏れ出す。
先ほどまで真剣だった表情は徐々に崩れていき、やがて至福のそれへと変化していく。
瞳は輝きを増し、真っ赤な頬が膨れ上がる。
全身が脱力を始め、まるで液状化してしまうかのように肩と胸が下がっていく。
美味しい、その一言が発されるまでの約5秒間。
俺はその5秒間を目に焼き付ける。
アメリアさんが美味しいものを食べたその瞬間、俺はそこに惚れた。
俺がアメリアさんを本気で好きになった理由は、彼女が世界一の美少女だからではない。
彼女が美味しいものを口にしたときに見せる表情が、宇宙で一番可愛らしいからである。
「おいっしぃぃぃ~~~ッ!」
普段の彼女からは想像もつかない、崩れた言葉。
幸福な表情とは、それだけで周りの人間をも幸せにさせる効果があるという。
今、俺は最高に幸せだ!
「牛肉の旨味が口の中にぱーって広がって……。タレの甘辛さと生卵のまろやかさが合わさり、最高の一口を演出しています! シャキシャキとしたキャベツの触感で引き締まり、アツアツの白米が私を迎えてくれる! デリシャス、ビューティフル、ファンタスティックでアメイジングなのです!」
後半からは語彙力も消えている。
そりゃそうだ。これだけ美味しさを噛み締めている人間が、グルメ漫画のように語彙堪能で表現力豊かなコメントを残せるはずがない。アメリアさんが今感じているのは、人間の最も原始的な欲求の充足感である。
――人間の三代欲求のうちの一つ、食欲。
それが満たされる瞬間は至福。
睡眠欲でいう熟睡状態、性欲でいうエクスタシー――
アメリアさんは今、美食を全身で感じている。
そして俺はそんなアメリアさんを見て、可愛いなぁって気持ちになっている。
「はぁっ、ふっ、ふっ……」
美食がアメリアさんの心の原始的欲求を駆り立てた。
もう止めることはできない。
掻き込む。全てを忘れて、牛肉を白米をキャベツを、生卵とタレとともに胃の中に落としていく。
丼から立ち昇る熱を感じ、アメリアさんの額から汗が溢れ出す。
白磁のような柔肌をつたう汗は、顎の先まで流れていくと、ぽとり……とテーブルの上に落ちていく。
羨ましいぞ、テーブル君。
「んんっ、あっ、最高……っ……いいっ……」
アメリアさんが乱れている。
普段は教室の窓際一番前の席で、クラスの誰よりも良い姿勢で授業を受けている彼女が。声を出せば聞こえてくるのは落ち着いた美声、目が合えば返ってくるのは天使の微笑み。そんな彼女が、美食を前に乱れている。
焼肉丼、恐るべし。
「……っぷぅっ! ごちそうさまです!」
この世の全てが幸せに包まれたときのような満面の笑みを浮かべたアメリアさんは、空になった丼をテーブルに置いてそう言った。
俺は思わず見とれてしまっていた。だが、俺の丼もまた空になっている。
元々、俺は小食だ。
アメリアさんと出会う前は、焼肉丼のようなボリューミーでコッテリした食事は半分しか食べられないぐらいだった。
しかしこうしてアメリアさんと食事を囲むことにより、自然と箸が進んで完食できる。
つまるところ、俺はアメリアさんをオカズにしたのだ。
……やらしい意味じゃないぞ!
アメリアさんが目の前でめちゃくちゃ美味しそうにご飯を食べる、その様子を見ることで自らの食欲を刺激させ、それで食べきった……ということの比喩表現である。
本当だ。これはマジで、本当だ。
「今日も美味しいランチでした!」
「ああ、その……ありがとう、アメリアさん」
「ん?」
「俺、アメリアさんのおかげでご飯がたくさん食べられるようになったよ」
空になった丼を見せると、アメリアさんは微笑みを浮かべて、
「エースケが元気になって、良かったです! 私もエースケが一緒に食べてくれるおかげで、もう10杯はいけそうです」
実際、アメリアさんの胃袋はブラックホールだ。
昼休みでの外食という限られた時間だから制限はしているものの、これが比較的時間に余裕のある学食でのランチとなると……これは後々の機会に話すとしよう。
ともかく、俺はアメリアさんのおかげで楽しくご飯を食べられている。
だが最初からそうだったわけではない。
全ての物事には“きっかけ”がある。
前述した「ミラクル」な出来事の話をしよう。
それは二週間前、俺がまだ灰色の教室の中で、崩れそうな心を必死に保っていたときの話だ――。
2
昼休み。
各々が気の合う者たちと食事をし、昨日のテレビやネットの話題を話したり、教師や嫌な同級生の陰口を叩き合う時間だ。
そんな言葉たちが飛び交う灰色の教室のなかで、俺は手に取った書類の〈退学届〉という三文字とにらみ合っていた。
「覚悟を決めるんだ、佐藤英介……ッ!」
なんて独り言を口にしたりして、全身を震わせていた。
傍から見れば、なにかの禁断症状を起こしているヤバい奴だろう。
高校受験に失敗し、エリート進学校への道が閉ざされ、流れ着いたはごく普通の偏差値の公立高校。
それだけならまだいい。勉強なんて、極論どこでもできるしな。
しかし問題は去年の秋に起きた。
俺は学園祭をサボり、そのことがクラスにバレたのだ。
その結果、俺はクラスの中心人物たちから責め立てられ、気づけば除け者となり現在に至る。
悪評は学内全域に広まり、今では指名手配犯のように白い目で見られる日々だ。
ギリギリいじめにならないレベルの嫌がらせまで受けている。
クラスが変われば……と思うだろう。
しかし残念なことに、うちの高校は三年間クラス替えが無い。
いちおう公立大学受験コースらしく、クラスが1つしかないからだ。
一年間、この状況を耐えるだけで何とかなる問題でもない。
それだけで、と思われるかもしれない。
だがそれがこの高校の特徴でもあった。
うちの高校は表では「青春やってます!」な空気を醸し出しているが、実際は勘違いした意識高い体育会系による独裁国家の様相を呈している。
彼らの思い描く青春から外れた者たちは、徹底的に叩かれた。
協調性のない者には強制を。
枠から外れた者には矯正を。
それでも変わらないクズには鉄槌の後、村八分を。
まさに現代社会の縮図。
令和の世に爆誕した未成年による未成年のためのディストピアである。
俺はこう呼ぶ、灰色の教室と。
もう嫌だ。亡命してやる。
大学受験は高卒認定を取れば問題なくできるし、今の環境では勉強に集中などできるはずもない。
「……俺は今日、脱出する。この灰色の教室から」
そう呟き、席から立ちあがる。
瞳を閉じて静かに同じ言葉を繰り返す。
今の俺は正常な判断ができていないのかもしれない。
そりゃそうだ。
ここ一ヶ月、食事が喉を通らず、常に睡眠不足なのだから。
小食だった奴から僅かに残った食欲を取り去れば、それはもう絶食ということになる。
「未練などない、未練などない、未練など……」
ない……とは言い切れない。
俺は青春をしていない。
昔から勉強ばかりで漫画やアニメ、ラノベを嗜んでいなかった俺でも分かる、理想の青春――すなわち恋愛である。
ふと職員室に向かっていた足が止まり、教室へと引き返す。
こうなったら“自滅することで諦めをつかせる”しか他に手はない。
幸いにしてクラスには女子がいる、そのうちの何名かは普通に可愛い。よしそれだ。
適当に可愛い子に告白してフラれよう。
そうしたら今度こそ本気で「こんな高校にいられるか! 俺は出て行くぞ!」と、高校中退という吹雪の中に飛び込んでいける。
教室に戻った俺は辺りを見渡す。
しかし困ったことに俺は除け者だ。
この灰色の教室では、なにか特殊な事情がない限りはボッチではいられない。
ボッチがいるような教室は、クラスを支配している者たちにとって都合が悪いからだ。
特に理由が無ければ、輪に入れさせられる。
案の定、一人でいる女子はいなかった。皆、どこかのグループに所属して談笑している。
否、一人だけいた。
窓際、一番前の席に座る金髪を、俺の視覚が捕捉する。
「……たしか名前は――」
――アメリア・アルトランド。
アメリカから日本にやってきた外国人の少女だ。
端麗な容姿と抜群のスタイルは、ハリウッドのレッドカーペットを歩いていてもおかしくないほどだった。
彼女は次の授業の準備をしつつ、窓の外を眺めては吐息を風に乗せている。
入学してから半年ぐらいはクラスの中心人物たちと一緒に遊んだりもしていたようだが、最近は一人で過ごしているところを多く見る。
ただ彼女の場合は俺のような〈除け者〉ではなく、〈孤高の美少女〉という感じだ。
きっと日本の高校生のガキっぷりに嫌気が差して、あまり関わらないようになったのかもしれない。いわゆる高嶺の花――。
「どうかしましたか、エースケくん?」
「あ、アメリアさん!?」
俺は無意識のうちに彼女の顔を覗いていたようで、それに気づいた碧眼がこちらを見て不思議そうに問いかけている。
思わずビックリして、同級生だというのに“さん”付けで呼んでしまった。
というかちょっと待って、名前覚えていてくれたの?
嬉しい。泣きそう。
「あ、あぇ、あぁっ! えーっと、今日はキレイナテンキデスネ」
「はい。いい天気ですね」
身構えていなかったぶん、少々カタい感じだが……やることは決まっている。
校舎裏でも体育館裏でも、校舎の屋上でもいい。とにかく放課後呼び出して、告白して玉砕しろ! そうすれば高校生活における恋愛という名の最大の未練がなくなる!
「あーその、ほ、ほ、ほ――本日も快晴ですね!」
「はい。快晴ですね」
違う! 天気はもういいだろ! キモがられているぞ……いや、これが原因でフラれたらそれはそれで本望か! いやいやいや、せめてちゃんとしたかたちでフラれたい! 美少女に嫌われるようなことは避けたい! たとえ退学するにしても!
「きょ、今日! ご、ご飯!」
「ご飯……?」
なに言っているんだ――っ! 放課後! 呼び出して! 告白して! フラれろ!
佐藤英介、お前のやることは決まっているんだ! 命令に従え!
「そう、ご飯! あ、アメリアさんこれからでしょ? よかったら一緒に……」
「…………」
あー、ダメだ。人生において告白なんていう一大イベントを起こしたことも、遭遇したこともない俺には心理的ハードルが高すぎた。要はヘタれてしまったというわけだ。
勇気が出なかった、臆病による撤退。不名誉な失敗。
アメリアさんはしばらく考えた後、口角を上げて微笑みをこちらへ向けて言った。
「わかりました。お昼ご飯、一緒に食べましょう」
「はっ……ほ、本当!?」
「はい。いつも一人で食べているので、たまにはいいかなって」
ここまで不自然な言葉の羅列を吐き出し続け、挙動も不審な童貞野郎の申し出を受けてくれるなんて。きっとこれは慈悲の心だ。
そんな優しい心を持ったアメリアさんは、教室を出て廊下にある自分のロッカーを開けた。
おっといけない、乙女の花園を覗くのはデリカシーに欠け……。
「エースケくんも何か使いますか?」
「使う……?」
普通、ロッカーには普段から使う教科書をぶち込んでいるものだ。音楽や美術、情報技術とか……そういう教科は家で勉強することあまりないからな。
しかし、だ。アメリアさんは違った。
彼女のロッカーの中には七味やカレー粉など常温保存可能な調味料が、中に設置された棚にずらりと並んでいる。
その隣にはスーパーやコンビニでは決して見かけないような缶詰が積まれており、教科書の類が入れるようなスペースは一切ない。
そういえばアメリアさん、毎日パンパンに詰まったリュックサックを背負って登校している。
そうか教科書類は全部持ち帰り、代わりにロッカーに食材を詰め込んでいたのか。
「私、食べるのが好きなんです」
いわゆる“グルメ”というやつか。いいね。
小食の俺からしたら考えられないことだが、食事ということを楽しみにできるのは純粋に羨ましい。
アメリアさんはロッカーの中からいくつか取り出して胸元に抱えた後、俺のほうに振り返って言う。
「学食でもいいですか?」
「もちろん。教室以外ならどこでも!」
「ですね。教室で一人で食べてると、なんか居心地悪いですし」
あの灰色の教室で一人で食事をするのは自殺行為に等しい。
茶化されるか、陰口を叩かれるか、大喜利の対象として笑いものにさせられるか。
どうやらそこはアメリアさんも認識しているみたいだった。
うちの高校の学食は校舎の一階にある。
図書館が飲食禁止であるため、ここが学内で一番安全に昼飯を食べられる場所だろう。
相変わらず人は多いが、ピークを過ぎれば比較的落ち着いて食事ができる。
「カレーパンは……売り切れですね」
学食の一番人気はカレーパンだ。
なんでもウチの高校出身のシェフがやっている有名カレー店のルーを使用しているとか。
あくまでも噂だが。美味しいのは確からしい。
「ま、そうだよな。俺は食べたことないや。アメリアさんは?」
「私もです……」
よくある青春もののように授業終了直後にダッシュする、熾烈な争奪戦が行われている……わけではない。
俺は購買部横のホワイトボードを見た。
――本日のカレーパン予約グループ。
学食側が行っているのではなく、あくまでも購買委員会を中心とした有志の生徒らが作った独自のシステムだ。
グループごとに予約を行い「この日は〇年□組の××グループ」と、均等にカレーパンが行き渡るように工夫されている。
しかしこのシステムには欠陥がある。
そう「転売防止」という名目で、個人名での登録が認められていないのだ。対象になるのは“4人以上のグループ”なのである。
つまり、ボッチに参加権がない。
あくまでも有志による独自ルールであるため、学校側に不平等を訴えることもできない。購買委員会の者たちが独断で行っている行為である。
「ま、いつか人気が落ちてきて、俺たちも食べられるようになるよ」
「そうですね」
アメリアさんの声はどこか寂しげだった。
さっきまで俺は彼女のことを高嶺の花と思っていたが、本当は違うのかもしれない。俺と同じ……。
そんなことを考えているあいだに、俺とアメリアさんは学食のメニューの前に立っていた。
今日の日替わりランチは煮魚定食。あっさり目で、これならなんとか食べられそうだ。俺は迷うことなくそれを選んだ。アメリアさんは――。
「カレーライス特盛お願いします」
即決だった。カレーパンの完売を見て、カレーライスを食べたくなったのだろうか。
しかも“特盛”ときた。これは豪快だ。
学食には裏サービスとして、50円プラスすればご飯の量が通常の5倍になるというものがあった。
体育会系の部活の生徒の消費カロリー量ははかり知れず、もはや通常の量では満足させられないということではじまったこのサービス。
カロリーを摂取したいだけのスポーツマンにとっては福音だが、ある欠点が存在する。
テーブルについたとき、アメリアさんの前には山盛りに盛られたライスと、その周辺に水溜まりのように薄くカレールーが敷かれていた。
そう、特盛になるのはあくまでも“ライスのみ”なのだ。
その他の量は決して増えない。採算が取れないだろうし、妥当な判断ではあるが……。
「アメリアさん……」
「はッ! びっくりさせちゃいましたカ!? 私、よく食べるので……」
「いや、それは良いんだ。ただライスに比べて、カレールーが……」
そういう事情もあってか、カレーライスを特盛で食べている人間を、俺は見たことがなかった。あまりにも無謀だ。
これだけの兵で、山の如き聳え立つ軍勢を突き崩すことなど不可能……ッ!
「あ、そっちですか。それに関しては問題ありません」
アメリアさんはトレーの横にある小さな小鉢を指さして言った。カレーライス特盛のサイズ感に圧倒されて今まで気づかなかったが……。
これは学食のレジ横で買える、一品もののお惣菜だ。定食に何か1つ付けたしたい、というワガママな学生の要望に答えたもので、カレーパンほどではないがこれも無くなるのが早い。
「これをこうして」
小鉢の中には程よい大きさの唐揚げが3つ……それをそびえ立つ山盛りのライスの頂点に置く。
なるほど考えたな。これは援軍だ。
「唐揚げのトッピングにします」
「たしかにこうすれば、唐揚げでもライスが食べられる!」
「はい。って、そんなに驚くことですか?」
「ああ、いや、よく考えて食事しているんだなぁって感心したっていうか。凄いなぁって思って……」
「ええ。食事にはこだわります。だって私、食べるのが好きですから」
意外だった。
傍から見れば、外見も良くて堂々としていて、灰色の教室でもキラキラに輝いている――そんな美少女が、学食のメニューであるカレーライスと、ここまで真剣に向き合っているなんて。
「あとは一味をたくさんふりかけることで、辛口に変化させます」
アメリアさんはロッカーの棚から取り出していた一味唐辛子のパックを開いて、カレールーの中にふりかけていく。風味を足すどころではない。味そのものを変化させるほどの量を、だ。
これではもはや辛口ではない、激辛口だ!
「辛いものだとご飯がススむじゃないですか」
「たしかにそうだ! 盲点だった!」
学食のカレーライスは万人受けが求められる性質上、どうしても辛口にはできない。
辛いものが苦手な生徒が食べられなくなるからだ。
だからこそ無難な味で終わりやすい。良くも悪くも優等生だ。
たちまちアメリアさんの特盛カレーライスが真っ赤に染まっていった。
これでは学食の優等生カレーライスも、オラオラ系の不良学生に早変わり。
この勢いで盗んだバイクで走り出し、風圧と衝撃で校舎の窓ガラスを粉砕して回りそうである。
「さて下準備はできました――」
いよいよか。アメリアさんは金色の長い髪をシュシュでまとめると、静かに両手を合わせてその言葉を口にした。
「――いただきます」
なんと綺麗な姿勢だ。まるでここが学食ではなく高級料理店で、目の前の料理が万札が何枚も飛んでいくほどのフルコースのメインディッシュだと錯覚してしまう。
両隣に鬼のように厳しいマナー講師が座っていても、口出し一つしてこないであろうほどに完璧であった……まぁ俺、食事の作法とかよく分からないけど、きっとそうだ。
「んむっ」
一口食べる。するとアメリアさんのキリッとした表情がみるみるうちに崩れていく。
頬はほんのり赤く、瞳は輝きを放つ。それらは噛むごとに増していった。
彼女は〈綺麗〉から〈可愛い〉へと変わっていく。
時間にして5秒。
そして“きゅぅっ”と漏らすような声で言った。
「おいっしぃぃぃ~~~っ…………」
これほどまでに美味しそうに何かを食べる人を見たのは、生まれて初めてだ。
今までの人生のなかで食事とは、栄養を補給すること。
たまに美味しいものが出てきてちょっと嬉しい。その程度の認識。
三代欲求の中でも、睡眠ほど必須ではなく、性欲ほど必死になることでもない。微妙な立ち位置。
だが見てみろ、彼女を。アメリアさんを。
食事とは人生だってぐらい、この一口を噛み締めているではないか。
なんて魅力的な人なんだ。
俺はそう思った。いや、思わざるを得なかった。不可抗力だ。
惚れようとして惚れたのではない。気づけば惚れていた。
「んむっ、はぁっ……うんっ、いぃっ……」
アメリアさんの額から汗が零れ落ちる。
これだけ辛いものを食べているのだから当然だ。
学食のカレーライスをここまでエッジの利いた料理に変え、そして立ち向かう彼女の姿からは騎士道の精神すらも感じられた。
中世ファンタジーの女騎士を実写化すれば、きっとこんな感じになるだろう。彼女なら誰も文句は言うまい。
映画レビューも大絶賛の嵐で、原作者は全身の穴という穴から涙を流して喜ぶはずだ。
「はぁっ……ふっ……おいしぃ……」
もう止まらない。
一度燃え上がった美食の炎は、それを喰いつくさねば消えることはないのだ。
瞬く間にライスの山は崩れ去っていき、カレールーと唐揚げの快進撃が続く。
むしろライスの量が足りなくなってくるんじゃないかってほど、彼らは善戦していた。
やがて激闘が終わる。
名残惜しそうな表情を浮かべつつも、腹に詰まった食材に感謝し微笑みを浮かべたアメリアさんは、空になった皿を置いてこう言った。
「ごちそうさまです!」
流れる汗をハンカチで拭いつつ、アメリアさんはカレーライスの余韻にひたっている。
その様子は見ているだけで幸せで……。
気づけば俺も煮魚定食を完食していた。
小食であるため、後半からはしんどくなってくるのがいつものパターンだったが、今日はそうじゃなかった。
最初から最後まで美味しく食べられたうえに、まだ何か食べたいなとすら思えるぐらいだ。
たしかに煮魚が美味しかったのもある。
だが一番はやはり、アメリアさんの存在だろう。
「ごちそうさま。なんかアメリアさんがいたら、ご飯がいつもより10倍ぐらい美味しく感じられるや」
「……え?」
「だってめちゃくちゃ美味しそうに食べるよね、アメリアさん」
そう言われるとアメリアさんは俯いて、しばらく黙り込んだ。
まずい、なんか地雷踏んでしまったか!? こういうことって女の子に言っちゃいけないんだっけか。ダメだ、童貞の俺にはなにがなんだかサッパリだ。
「引かない、んです……か?」
振り絞るように出た声はか細く、少し触れると割れそうなぐらい脆かった。
どうする。どう返すのが正解だ? 考えろ、考えるんだ、佐藤英介!
高校受験のためにあれだけ勉強した、その知識で答えを導き出せ……!
違う!
答えなんかない。あるはずがない!
「いや、全然。むしろ――」
思ったままを言うしかない。誠実に、正直に、たとえ嫌われてもいい。
「美しいと思った」
「えっ!?」
「食事をするアメリアさんの様子は、そりゃもう絵になりすぎるっていうか! 一種の芸術品だ! 食事というものを心の底から楽しんでいる。そんな幸福感が溢れ出しているんだ。だから俺も、その、幸せになった」
「そんなこと……」
「本当だ。俺は昔から食事というものに対して、ちょっと嫌な思い出とかもあって、正直苦手だったけど。君がいたら違った。目の前で美味しそうに食べてくれる君がいるから……ああ、くそ、言葉がまとまらない……とにかく――」
大切なことは一言で表現するべきだ。
「君のおかげでメシがウマかった!」
その瞬間、アメリアさんの両肩がビクッと揺れたと思えば、ふるふると震えて沈黙した。数秒後、顔を上げた彼女は俺のほうを見て、漏らすように声を出した。
「うっ……んっ、えっ……――そ、そんなこと、言われたの、初めてです……」
アメリアさんの瞳からは大粒の涙が。
オイオイオイ、なにやってるんだ、佐藤英介!
フラれるとか、嫌われるとか、そういう次元の話じゃない! 相手の心に傷を負わせてどうするんだ! 腹を切れ、今ここで! ナウ、ヒアッ!
「ご、ごめん! ちょ、えっと、マジでごめん! 切腹する!」
「違います」
「へ?」
「私、嬉しくて泣いているんです!」
なるほどね! あー、良かった……この場でハラキリしなくて済んだ……。
え、なんで!?
「今まで私、たくさん食べるせいで友達ができなかったんです」
そんなことで? と思ったが、俺は口に出かけた言葉を喉の奥に押し込んで、アメリアさんの話に耳を傾けた。
「最初は外国から来た子というだけで、皆親し気に話しかけてくれました。休日にはカラオケパーティーなんかにも誘われました。けど――」
そりゃそうだ。美人だし、外国人というだけで十分な個性である。そんな人間と友達になりたい者は多いだろう。特にクラスの中心人物たちは、そういった国際色豊かなものに憧れてそうだし……。
「そこでたくさん食べるところを見られて、女の子たちから引かれて。話せることも食事のことばかりで……全然、周りと話が合わずに。気づけば私はグループの中で無視されていき……。最終的に置いて行かれました」
「置いて行かれた!?」
「はい。カラオケのお手洗いに行っていた間に、先にみんな帰ってしまっていて」
「いくらなんでも酷すぎるだろ」
きっと彼らは「アメリカでの珍しい体験を話してくれつつ、日本の文化に積極的に触れ、今どきの音楽でワイワイしたりする普通の女子高生」を期待していたのだろう。
大食いなんて悪目立ちするだけ。
最近の高校生の話題についていけない人間はノリが悪い。
相手の興味のないことの話しかできない奴は空気が読めない。
灰色の教室における暗黙のルールだ。
許される個性というのは彼らの許容範囲内に収まるものでしかない。
その枠から外れた者は、もはや個性的な人物ですらない。異端者であり、排除対象なのだ。
「それから私は誰からも話しかけられなくなり、私自身も日本の高校で誰かと親しくはなれないと諦めて、我が道を行くようにしました」
「堂々としていたね……」
「弱ったように見せたら、悪意を持った誰かにつけ込まれるかもしれなかったので」
アメリアさんは強かった。
除け者になったとしても、孤高の一匹狼でいることを選んだ人間だ。
ウジウジと悩んでいた俺なんかとは違う。
どこまでも凛として、高嶺に咲く花であり続けたのだ。
「それで一人でランチを楽しむ工夫を始めたのです! どうせなら一人を楽しもうって……!」
さっきまで暗かった表情が少し明るくなった。
なるほど、そこからグルメなアメリアさんが始まったのか。
一種の生存戦略である。
「じゃあ俺が一緒に食べようと誘ったのって、もしかして嫌だった?」
「いいえ。もちろん最初は戸惑いましたが……」
戸惑うよなぁ……。今まで話したこともなかった挙動不審な野郎から、いきなり一緒にメシ食おうぜなんて言われたら。
「2回も同じお天気の話をするぐらい緊張していて、しどろもどろなエースケくんの様子を見たら思ったんです。この人は私を置き去りにしないだろうな、って」
「え……そんなにだった?」
「はい! ちょっと変態っぽくて可愛かったです」
うーん、微妙な評価。
てか可愛いってなに? 君のほうが可愛いんですけど。
「誠実な人だって、直観で分かりましたよ」
「そんな……。買い被りすぎだよ。俺はそんな人間じゃないさ」
事実、俺はアメリアさんのことを、退学届を出す理由に使おうとしただけである。
誠実とは程遠い人間だ。
こうして退学の話を忘れるぐらいに、アメリアさんに惚れたとしても、自分は彼女に相応しい男じゃない。そう思っている。
「でも、私も一緒に食べているとメシがウマいですよ!」
「……なら良かった」
気づけば俺の未練消滅計画は有耶無耶になり、告白してフラれるという目標も消え去っていた。ただ目の前の人と一秒でも長く一緒にいたい。
「これからも一緒にランチ、食べてくれますか?」
「え? いいの?」
「はい! 私、エースケくんと一緒にランチするの、すっごく楽しいですから!」
俺の人生史上、ダントツでミラクルな出来事が起きた。
この世界の因果律が崩れ始めているのではないかというほど、ありえないことだ。
ごく普通のボッチ男子高校生が、アメリアさんほどの美少女からお誘いを受けるなんて。
「えっと、じゃあ友達ってことかな?」
「はい! フレンズになりましょう!」
差し出された手を握り返すのに、俺は少しだけ躊躇した。
本当にそれでいいのか?
アメリアさんの前にいつか相応しい男が現れたとき、自分は潔く諦めて身を引けるだろうか。否、きっと打ちのめされるはずだ。でもあの笑顔が傍で見られるのなら、それでもいいと思うことができた。
俺は彼女の手を握り返し、
「ああ、友達。メシ友だ」
「よろしくお願いしますね、エースケ!」
くん付けが消えた瞬間、俺は飛び上がるほど嬉しくなった。
きっとこの気持ちだ。
それが大切なんだ。
こうしてアメリアさんと俺は、灰色の教室の外で小さな青春の日々を手にした。
食という行為を通じて。
教室に戻ると、俺はいつの間にかポケットの中で丸まっていた退学届の書類を取り出し、そいつをゴミ箱の中に投げ込んでやった。
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