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第一曲 Part.8 亜里沙

 嗅ぎ慣れた臭いがする。

(ここはどこだっけ)

 亜里沙はゆっくりと目を開いた。見慣れた下駄箱が目に入る。すぐに気がついた。ここは学校だ。それも1階の、入ってすぐの昇降口。平均より背が高い亜里沙は、自分の腰よりも低い下駄箱を宛がわれて不満に思っていたのをよく覚えている。

(確かにいつも通りだけど、何か違う)

 亜里沙はぐるりと周りを見回した。そして気づく。いつもは大勢の生徒が行き交い、明るく言葉を交わす騒々しい場所なのに、今は誰もいない。いるのは亜里沙だけ。

(教室に行かなきゃ)

 なぜだかぼんやりと亜里沙は思った。素早く革靴を脱ぐと、腰を屈めて革靴をまとめて掴み、もう片方の手で自分の上履きを引き抜くと同時に革靴を押し込む。そのまま上履きを落すと、片方はひっくり返って裏側を亜里沙に見せた。もどかしさに苛立ちながら、足で直に上履きを転がして向きを直しつつ履いた。

 両足共に上履きに収まったことを確認してから、亜里沙は走った。風のように走った。自分は今風なのだとすら思えた。いつもは途中で挫折して立ち止まってしまう階段も、今だけは楽々と飛ぶように越した。

 4階まで辿り着くとそのまま踊り場から廊下に飛び出し、左に曲がる。ここも誰もいなかったが、なんとなく予感がしていた。1組を通り越す。半開きになっているドアから中がチラリと見えたが、無人だった。2組を通り越す。こちらも無人。なぜか黒板が汚く落書きされていた。

 3組の前まで来て、亜里沙は立ち止まった。ドアは閉まっている。小さな擦りガラスからは、中はよく見えない。刹那、全ての音が無くなったかのようにしんとなった。亜里沙は意を決して取っ手に手を掛ける。そして勢いよく開いた。

「亜里沙!いたいた、良かったー!」

最初に聞こえたのは、恋バナを持ちかけたらクラス中に秘密をばらした裏切り者の子の声だった。窓辺でいつもの女子達のグループで固まって、こちらに笑顔で手を振っている。

「ずっと待ってたんだよ?どうしても分からない問題があってさ」

横から腕を組まれた。見ると、さっきまで窓辺で同じように固まっていた女子達の一人、この間ひょんなことから口喧嘩になってしまった子だった。それを皮切りに、一斉にクラス中の皆が亜里沙に話しかけてきた。

「ねぇ亜里沙、昨日のテレビでさぁ」

「亜里沙、俺、ずっと前から亜里沙のことが・・・」

「ふぇ〜ん、亜里沙ぁ〜!私、私D判定だったぁ!」

見知った顔がすごい勢いで現れては消えていく。その中には普段自分を亜里沙と呼ばない人も混じっていたが、別段不思議には感じられなかった。段々とクラスの懐かしい景色が薄れていく。脳の中に霧が立ち込めるような、ぼうっとした空気を吸い込む。

「亜里沙、元気にしてた?」

「亜里沙、お前勉強頑張ってるのか?」

クラスの子達に混じって、なぜか両親の声まで聞こえてきた。なのに何故だろう。それすらも疑問に思わず、亜里沙はふっと笑った。誰もが亜里沙の名前を呼んでいる。もう何も不思議に思えない。

「亜里沙」

「亜里沙」

「亜里沙」

「亜里沙」


「―亜里沙さん!亜里沙さん!」

「・・・っ!」

亜里沙は目を開けた。夜の闇が雪崩れ込み、一気に現実に引き戻される。

 そうだった。自分はもう死んだんだ。さっきまでのは全部夢で、今亜里沙は生まれ変わる為に死後の世界(アフターランド)へ行く途中だった。

 亜里沙は、左肩に小刻みに震えている熱を感じた。首を廻して見ると、それは腕だった。

「ラグナ?」

彼は震えていた。左手で前髪に隠れた左目を押さえつつ、右手で亜里沙の左肩を揺すって起こしていたのだ。よく見ると、耳元に汗が垂れている。口元は苦しそうに歪んでいる。亜里沙は急に心配になった。

「ラグナ、どうしたの?体調悪いの?辛いなら寝て。見張り交代しよう」

だがラグナは、左目を抑えたまま首を振った。歯を噛み締めたその姿は、見るからに痛々しかった。

「・・・来た、んです」

やっとのことで、ラグナはそう言った。だがその声は小さすぎた。

「え?何?」

亜里沙はいぶかしむ。ラグナは再び、歯を噛み締めながら言った。

怨霊(ベンジフール)が、近くに・・・このままだと、見つかります。・・・・・・くっ」

ラグナは呻き、両手で左目を押さえて背中を丸めた。あまりにも辛そうなので、亜里沙は二重の心配に見舞われて混乱した。耳を澄ませば、どこか遠くないところで獣が唸るような声がする。

「ラグナ、大丈夫?!怨霊(ベンジフール)が来たって、そんな・・・!どうしよう、私何も出来ないよ・・・!」

パニックのあまり彼の背を抱え込んだ亜里沙の手を、ラグナは強く掴んだ。

「・・・大丈夫、です」

やっとのことでそれだけ言うと、彼は身体を起こした。よろよろとバランスを崩しつつも、なんとか二本の足で立ちあがる。亜里沙はそれをおろおろと見ているしかなかった。

「ラグナ・・・。でも、そんなふらふらじゃ・・・」

「大丈夫、ですから・・・」

ラグナは顔の右半面だけで、弱々しく笑って見せた。

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