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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編とか

告白

作者: 吉冨

 どこから話せばいいのか。とにかく私の、土肥和彦の人生というのは、親に敷かれたレールの上を従順に走り続けるものでした。


 父と母は、私という人間の死ぬそのときまでを、きっと私がこの世に生まれ出る前からデザインしていたのでしょう。それが私の幸せであると信じて、青写真をずっと描き続けていたのです。


 一寸の狂いも許されない人生でした。


 両親の監査の目は私という人格の器の内側にも及び、私の口から紡がれる言葉の一欠片さえも、両親の予想から外れることはできなかったのです。

 笑ってしまうと思いますが、両親は私の身体的成長や排泄の時間さえ、完全なコントロール下に置こうとしました。まだ人としての意識を持つ前、幼子の頃から両親の意図せぬタイミングでもよおすと叱られたものです。


 今にして思えば両親の考えは行き過ぎていましたし、その実現はどだい無理な話ではあったのですが、物心ついた頃の私にとっては、両親の描いた図面通りの人間に組み上がることが、人生の目標全てといって過言ではありませんでした。


 両親は決して悪人ではありません。それだけは、彼らの名誉にかけて誓いましょう。


 両親は非常に熱心な教育者であり、篤い信仰心を持った人々でした。清く、高潔な精神を持った人間だったのです。

 私の姉も私と同様にきっちりデザインされた人生を用意されていました。そして姉は17歳の時に、ほんの少しの過ちでレールから足を踏み外して、ごく自然に死を選びました。


 両親が姉の死体に取りすがって深く嘆き悲しむ姿を見て、私は自殺だけは絶対にすまいと心に決めたものです。むしろこんなに素晴らしい人々を悲しませる姉に対して、憎悪すら抱いたほどでした。


 私は、両親にとっての最高傑作であろうと決意していましたし、現実にそうなったはずです。


 両親のみならず周囲の教師や学友さえ、私の心には一片のやましさもないと信じていたはずです。常に朗らかで清廉な手本たりうる人格者であって、人の持ちうるあらゆる負の感情、たとえば嫉妬や怒り、下劣な性欲さえ、私には関知しないものであったと、皆が皆、そう思っていたのです。

 嘘をつき続けるとそれが自分の中で真実に変質していくように、私も私自身を、そういう聖人君子だとすっかり信じるありさまでした。


 両親の勧める大学を卒業し、両親の勧める会社に就職してからも、その評価は変わらず、むしろどんどん強固になっていったように思います。


 だから私があのような事件を起こしたとき、彼らの驚きはいかばかりだったでしょう。私自身がその現実を受け入れるのに大変苦労しましたし、弁護士の片山先生には多大なる迷惑をおかけしてしまったことを、今もなお申し訳ないと思っております。




 さて、私が殺してしまったあの女性は、すでにご存じでしょうが、今井小春という名前の、21歳の事務員でした。


 小春と私は、会社の同僚として面識を得ました。私よりも7歳年下の彼女に対して、特別な、いわゆる恋愛感情のようなものを持ったことは、当時から今に至るまで一切ありません。


 最初に個人的な接触があったのは、ごくごく偶然のことでした。


 7月の末に、強い雨が降った日、小春は両手に大量の荷物を抱えて、茫然と玄関ロビーに立ち尽くしていました。小春がその日をもって退職することを、そのときまで私は知らずにいたのです。


「どうしましたか」

「傘を忘れちゃって」


 媚びを売る小動物のような目で私を見て、彼女はそう言いました。彼女の荷物の大部分を引き受け、また同時に私の傘を彼女に差しかけてやったのは、私にとっては当然の流れでした。

 二人で小走りに小春の車まで走り、荷物を放り込みました。


「助かりました。お礼に、家まで送らせてください。土肥さん、電車通勤でしたよね」


 驚くべき洞察力というか、記憶力というべきか、総務課に勤務していた彼女は普段接触の乏しい私の通勤手段も把握していたのです。恐らくは交通費の申請窓口が総務課でしたから、そこで知っていたのでしょう。

 私は一度断りましたが、小春のあの媚びるようなまなざしに根負けして、彼女の申し出を承諾しました。


「ねえ、知ってました? 私と土肥さん、誕生日同じなんですよ」


 道中、彼女の口からはこんな言葉さえ飛び出しました。

 強かな打算から私の個人情報を頭に入れておいたのかもしれないし、もしかしたら、この雨の出会いさえ、小春の画策したことだったのかもしれません。

 自然な流れで小春は私の母と顔を合わせ、母の勧めで家に上がり込んで茶を飲む間に女二人で親交を深め、そして私はしばらくして、母の勧めるままに小春と個人的な交際を始めるに至ったのです。


 それまで異常なまでに性から私を遠ざけていた両親でしたが、小春は特別のようでした。


 そもそもあの温泉旅行を勧めてきたのは、母なのです。

 まだ交際を始めて半年程度でしたが、母と小春の親密さは、私と小春のそれを随分と上回っていたようで、母はすっかり彼女を気に入ってしまったようでした。


「小春ちゃん、温泉が好きなんだってね。2人で誕生日のお祝いに行ってきたら」


 両親が若い頃旅行したという、福井の芦原温泉に出かけることにしました。小春は大喜びで、道中の新幹線の中でも、観光の最中でも、始終機嫌よく振舞っていました。若い女性の好むような場所ではないと思いはしたのですが、小春はつまらなさそうな顔をすることもありませんでした。


 きっかけは、そう――その日の夜、並べられた布団で眠ろうとしたとき、小春が私の体に甘えるようにしなだれかかってきたあの瞬間でしょう。

 まるで銃の撃鉄が撃ちおろされたかのような凄まじい衝撃と同時に、腹の中で突如嫌悪感が爆発したのです。


 今時の世情を思えば、小春は決して性にふしだらな女性ではありませんでした。ある意味、そういう年齢の、結婚をも視野に入れた男女であれば、普通の行為でしょう。

 しかし、28になるまで自慰行為さえ忌避していた私には、到底受け入れられませんでした。まるで悪魔が修行僧をたぶらかしにかかるような、そういう恐ろしい誘いにしか思えなかったのです。


「結婚するまで、清い関係でいたい」


 その言葉を耳にした小春の、がっかりした、いえ、軽蔑しきったあの顔を、私は今でも鮮明に思い出すことができます。


「私のこと好きじゃないの?」


 成人しているにもかかわらず、なんと幼稚な甘えか。

 私は呆れましたが、しかし若い女性にそれを言うのが酷だということは承知していました。


「違う。小春のことをとても大切に思っているから、結婚するまでは我慢したい」


 小春はそれでも納得していないようでした。

 客観的に見て、彼女は美形であるといって差し支えないと思います。その美しさゆえに、若い娘に特有の傲慢さ、揺るぎない自信、そういったものを残らず集めたような性格をしていました。


 小春は拒絶されるとは思ってもみなかったのでしょう。恥をかかされたとばかりに目に涙を浮かべ、美しい面を真っ赤に染めて、怒りもあらわに体をぐいと離したのです。


「つまんない」


 彼女はそう吐き捨てるように言いました。


「和彦くんのお父さんとお母さんもつまんない人だけど、和彦くんはもっとつまらない」


 何故このとき、突然両親を侮辱したのか。それは彼女の賢さのためでしょう。

 私は常に親孝行な息子であるという評価を得てきました。実際私は、両親ほど大切なものはないと思っていたのです。

 小春はとても聡明な娘でしたから、何を攻撃すれば相手に最も痛手を負わすことができるのかを、よく知っていたのです。だからそのとき、彼女は私の宝である両親を貶めすことで、私をひどく傷つけようとしたのでしょう。


 しかしその聡明さには思慮が足らず、相手が反撃するかもしれない、ということをなにひとつ想定していませんでした。若い娘ですから、何をしても許されるという不遜があったのです。


 あとは、調書のとおりです。私は小春の首を絞め、殺害しました。


 私は取調でも裁判でも、犯行動機については語りませんでしたので、これが初めての告白ということになります。検察は、痴情のもつれで、と苦し紛れのような主張をしていましたが、あながち外れていたわけではないのです。


 何故これをあなたに話そうと思ったのか。


 あなたは、土肥和彦という私の器の内側を見ようとしてくれるのではないかと、あの手紙を読んでそう思いました。だから、会った。

 何度か会ううちにその期待は確信に変わり、そうして今日、この告白をあなたの耳に入れているのです。

 私は、両親の名誉をこれ以上傷つけないように、小春の貞節を汚さないようにと、そればかり考えて動機の黙秘を続けてきました。

 しかし刑務所の中であなたの手紙を読み、話を聞き、私は思ったのです。


 私の両親や友人、同僚たちにとって、私は突然錯乱して下劣な行為に及んだけれど、しかし根の部分は聖人君子という評価のままなのです。もしかしたら殺人という最低の行為さえ、精神の病のためにやってしまったことと信じて、私の魂に汚れがあったということなど考えも及ばないのかもしれません。


 私は確かに聖人君子でした。怒りも悲しみも、嫉妬も、何ひとつ持たない、清らかな魂の人間でした。


 しかしそれはただの張りぼてであって、剥がしてみれば何一つ衆人と変わらない、ただの28歳の男なのです。

 私は両親を侮辱されて怒ったわけではありません。私が姉の命をも背負って、28年の長きにわたり、底の見えない谷の上で綱渡りをするように生きてきたことを、否定されたから怒ったのです。


 私の両親を否定することは、すなわち私の生き様を、血を吐くような人生を、真っ向から否定する行為なのです。


 小春は正しかった。だから私はその口をふさぐために、殺さなければならなかったのです。


 あなたには、どうかお願いしたい。

 私は決して聖人君子などではなく、ただの肉の塊であったにすぎないと、どうか表に知らしめてほしい。私の名誉も何もかも、くそみそにして、これ以上ないほどに汚辱にまみれたものにしてほしい。

 私はあなたにこれを告白することで張りぼてを脱ぎ捨て、真実、私の人生を手に入れたように思うのです。


 今日は私の、祝福すべき、本当の誕生日なのです。

 だから、どうか、祝ってください。

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