母と娘とりんごの話
黒森 冬炎さま主催の企画「螺旋企画」に参加しております
リンゴをクルクルさせながら、お母さんが私にリンゴの皮を剥いてくれていた。
あ、そうだった。この日、私は熱を出して食欲もあんまりなかったんだ。
リリリリリ
布団から手を伸ばし、目覚まし時計をまさぐりながら、慌てて卵形の目覚まし時計を叩き消す。朝が来たのだ。まぶたはまだ重いが、起きなければ、始まらない。隣で眠る娘を避けて、布団の中で伸びをして、やっと重いまぶたを押し開けた。
寝室のカーテンを開けると春の靄をまとった光が窓から射し込んでくる。布団には娘が二人と夫がまだ寝息を立てて眠っていた。娘たちはともかくも、夫はギリギリまで眠らないで、ちょっとは早く起きればいいのに、と思ってしまう。しかし、カーテンをこうして開けておくと夫を含め子どもたちも次の目覚まし時計できっちり目を覚ましてくれる。それも、母が言っていたことだった。
まずはカーテンを開けておいてやればいいのよ。
今朝はなぜか母のことをよく思い出す。死んだわけでもないのにね。
そう思ってそろりと寝室からキッチンへと向かった。
寝間着にカーディガンを羽織り、エプロンのひもをぎゅっと後ろ手に結ぶ。キッチンに立つとまずお弁当作りを始める。
本当は服を全て着替えてからしなさい、と言われそう。
くすりと微笑み、卵焼きを巻いていく。火力が少し強かったのか、油が焦げてしまったのか、ほんの少し焦げてしまったのはご愛嬌でいいだろう。
卵焼きを冷ましている間に他のおかずもそろえてく。
冷凍庫からも手抜き用おかずパックを取り出す。
新婚当初は結構頑張っていたのだけれど、二人目が生まれてからは手抜きも覚えた。最近の冷凍食品は味もいいから、もしかしたら夫も気付いていないかもしれない、なんて思うのは、勝手な想像だ。
お弁当箱にごはんを敷き詰め、焼けためざしに梅干しをのせておく。最初は嫌がっていたけれど、最近はめざしと梅干しがないと、寂しいらしい。それから、卵焼きはここに入れて、おかずパックはここで、少し足りないところは、昨日作ったきんぴらと煮物でも入れておこうか。
冷蔵庫の扉を開けると、甘酸っぱい匂いが僅かに鼻についた。
あ、リンゴ。
一昨日前に買って忘れてた。
リンゴなんて冷蔵庫に入れるもんじゃないよ。
母なら真っ先にそう指摘しそう。
はい、そうですね。心の中で返事をしながら、夢を思い出す。
ちゃんとビニール袋に入れているから大丈夫なの。早く食べなくちゃいけないのは確かだけど。
そりの合わなかった母だけど、子どもが生まれてからはなんとなく支えになっているのも確かだ。
熱を出した、怪我をした。お友だちとケンカした。ネット検索で不安になったあと真っ先に電話してしまう相手。
返事はいつも決まっていた。
「気にしすぎ。大丈夫だから」
そして、意外と大丈夫で。次の日もう一度電話を掛けてきてくれて。
冷蔵庫の中で赤い艶と甘酸っぱい芳香を放つリンゴも外に出たかったのかな?
残りのお弁当を詰め終わり、リンゴの皮を剥く。時間が掛かる方。今朝はなぜかそれを面倒だとは思わなかった。
「わぁ、くるくる」
「へびしゃんっ」
「あら」
娘たちが私の手元を見つめていた。まだパジャマで目をこすっている二人。早く顔を洗ってきなさいと言うのは野暮なような気がする。
「おはよう、とこちゃん、おはよう、ひとちゃん。今日は早いのね」
「うん、いい匂いがしたから!」
二人そろってにこにこしている。
お寝坊がちは夫に似ていると思っていたけれど、リンゴの皮をクルクル剥いていくのに感動するのは私にそっくり。
「お母さんすごーい」
上の子のとこちゃんがまな板の上で渦を巻くリンゴの皮を見つめていた。まだ一度も切れていない長い皮。私はちょっと得意になって、不思議とこんな言葉を続けていた。
「おばあちゃんはもっと長く出来るのよ」
剥き終わったリンゴをお皿にのせて、二人を促す。
「次はおにぎりを握るから、顔を洗ってから手伝ってね」
「おにぎりっ。とこ、シャケがいい」
「ひともっ、ひともっ……おかかっ」
目をきらきらさせたまま飛び跳ねる娘たちを見つめながら、もう一度同じことを促した。
「はいはい、早く顔を洗ってきなさい」
走る二人の背中を見守り、今度、実家に帰った時にはリンゴをお土産にしてもいいかもしれない。そう思った。