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ねこのおうち  作者: pinkmint
2/5

分離不安

で、だ。

ふたたび電話があったのは、それから一週間もたたないころだったろうか。

俺はいつものように受話器を取り上げた。

「はい、ベストパートナー探偵社です」

「あの、小町です! その節は本当にお世話になりました」

「小町さん、こんにちは。猫ちゃんは、タミちゃんはお元気ですか」

「それがね、大変なの。またいなくなっちゃったんです!」せき込むように、彼女は言った。

俺は黙って長瀬の方を見ると、目を真ん丸にして受話器を指差した。彼女はすぐに察したようで、彼女? と口だけを動かして言った。

隣で弁当を食べていた同僚の藤代が、なんだその顔、といった様子で俺の顔を見ている。

「あれから一週間…… たっていませんよね」俺は確かめるように言った。

「もう、なんのつもりだか。一昨日の朝から、家出してるんです。丸二日探して、疲れ切りました」

「あの、前にも一日ぐらいはお出かけしたことがあるとおっしゃっていましたよね」

「あれは半年も前です! 私が母の介護につきっきりになっていて、かまってやれなかったころです」

「あの、家族構成をお聞きしていなかったんですが、おうちにはそのお母さまと……」

「家族構成が何の関係があるんですか。母はふた月前に亡くなりました。主人は長期出張中で、明日帰宅します」

「それは……。失礼なことをお聞きしました。あの、前のようなこともあるし、決して安い出費ではないし、お帰りになった旦那様と相談なされてからにしては。あすあたりひょこっと戻ってくるかもしれませんし」

「何言ってるの、今日は雨だし、この寒さよ。身を隠す場所もなくて震えてるかもしれないわ。あるいはどこかに閉じ込められていて、動けなくなっていたらどうするの」

「じゃあ、また基本の三日契約で?」

「ええ、それで見つからないなら一日三万五千円の追加金も払ってどこまでも延長します」

俺は確信した。この依頼主は妙だ。こうしょっちゅういなくなる猫が、たかがひと晩ふた晩帰らないからって、十万を超える依頼をバンバンしてくるのは普通じゃない。そりゃこっちは助かるけれども、前のような結果でそれだけの金を手にするのは、いささか後味が悪いというものだ。姿を消すたびに山のようなポスターを刷らせる気だろうか。どうせすぐ帰ってくるんだ。そのうちまたかとだれにも相手にされなくなるぞ。

「せめて明日御帰宅される御主人とご相談したらどうでしょう。僕らがお尋ねした途端、またふらりと帰ってくるかもしれませんよ」

「それよ! きっとあなたたちとは相性がいいのよ。打ち合わせをしている間、ひょいと帰ってくるかもしれないわ。あの時の嬉しさが、忘れられないのよ」

冗談じゃない。自分たちの訪問をまじない代わりにしてるんじゃ、それこそオカルトだ。

「それで十一万かかってもですか」

「そんなの私のポケットマネーで出すわよ」

そう裕福に見える家でもなかった。ここは、明日うかがう、と返事して、御主人も交えてお話ししたほうがいいだろう。契約書にサインしてもらう前に帰ってくるかもしれない、それならタダだ。

なんてことだ、無駄足を運んでただで済む仕事を自分で望んでいるとは。

「わかりました。あす午前中お伺いします」

「よろしくね! ほんとによろしくお願いします!」

電話を切って溜息をつくと、藤代がどういう相談なんスかとしつこく聞いてくるので、あらましを説明した。

「あ、例のおばさんスか。考えように寄っちゃ、いい金づるじゃないスか。成功しても失敗してもお金は躊躇なく払うというんでしょ。それで小出しに捜索を依頼してくる。いいんじゃないですか、頼みに乗れば」

「でも、絶対普通じゃないわよねえ、その人」長瀬が途中から口をはさんだ。「一日二日かえってこないだけで連続して十一万投げ出すなんて、なんというか、常識はずれだわ」

「そこが嫌なんだ。これでまたひょっこり二日目あたりに帰って来ても、またプチ家出したら十一万円振りかざして依頼に来るぞ。そして今度こそ万が一見つからなかったら、見つかるまで許してもらえないんじゃないか」

「でもその間一日三万五千円払い続けてくれるんスよね」

「見つかるまで? 何か月でも? あの人ならやりかねないわ。そしてもしももしも見つからなかった場合、恨みを一手に背負うのは大金を吐き出させたこちらの方……」長瀬が怯えたように言った。

「そうなるかもしれないね」

「ご主人がまともな人であることを祈るしかないわ」

なんだかおかしな種類の恐怖に、俺たちは巻き込まれていた。


二回目の訪問日は、それまでにも増して寒い、小雨の降る日だった。

呼び鈴を押すと、男性の声が答えた。

「はい、どちら様ですか」

「こちらベストパートナー探偵社です、奥様から依頼をいただきまして」

「あ、伺っています。どうぞどうぞ」

思ったより人当たりの柔らかそうな声が応じてくれた。俺はほっとした思いだった。長瀬のほかに、その日は新人の藤代辰也も連れて行った。何かと気のきかない奴だが、動物に対する勘だけは異様に鋭いのだ。

「どうも、お世話になります」白髪混じりの長めの髪を後ろでくくった御主人が応じてくれた。

室内に夫人の姿はなかった。

「あの、奥様は……」とおずおず聞くと、頬はこけているが鼻が高く端正な顔立ちの御主人は答えた。

「あ、失礼しました。妻は昨夜ひと晩じゅう、と言うかその前の夜からですが、一睡もせずにかなり遠くまで回っていたようです。そしてこれまでのいきさつを聞いてちょっとした夫婦げんかになって、今は疲れ切って仮眠してます」

喧嘩になったのか。じゃあこのダンナは一応の常識人なんだな。

「二度同じ探偵社に依頼している事、御主人はご存知でしたか」

「依頼のことは今朝知りました。出張中、タミちゃんがいない、タミちゃんが帰ってこないの、という取り乱した電話があって、待っていれば帰ってくるよと返したらそれだけでもう話にならないとブチ切れられて」

「でも一度見つかった、それはお聞きになりましたよね」

「いたのよ良かった、という連絡のあとで、また失踪した、という電話がありましてね。今日帰ったところで、同じ探偵社に二回捜索を依頼したとか聞いて、それでいろいろと言い争いになっていたんです」

「奥様は費用は自分のポケットマネーでとおっしゃっていましたが……」

「そんなものありませんよ。ただの素人画家の専業主婦ですし。猫の為なら口から出まかせ放題です」

「はあ……大変っスねえ」藤代がいつもの口調で言った。

「すると、このあちこちにかけてある猫の絵は、皆奥様が……」

「ええ、義母の介護の合間に描き続けて相当な数になりました」

どれもメルヘン調ではあるが素人離れした筆致の印象的な絵だった。黒猫のグリーンアイ、ぶち猫のブルーアイ、深い色の大きな目が印象的だ。

「そのお母様がふた月前お亡くなりになったとか。いろいろ苦労もおありでしたでしょう」

「それはねえ」ご主人はため息をつくと、静かに語り出した。

「妻と義母はですね、一卵性親子のような仲だったんです。それは仲が良くて、二人とも猫が大好きで。僕が貿易業でよく海外出張するんで、よく二人で一緒に買い物や旅行に行ってました。温泉巡りとか船の旅とか。それが突然、義母は六十を前にして、様子がおかしくなったんです。いわゆる、若年性認知症ですね」

「五十代で……ですか?」

「若年性だとその辺りで始まるそうです。同じものを何個も買ってきたり、なくしものが異様に多くなったり、歯医者や目医者の通院を忘れたり、最初はうっかりだと妻も僕も思っていたんです。それが、モノがなくなったと言っては家族を疑ったり、カレンダーは貼り紙だらけになって。進行は早かったですね。発病から三年後はよく道に迷うようになりました。僕に名前を尋ねることさえあったんです」

「はあ。名前を……」

「どなたか存じませんが、娘がお世話になってます。お名前は何でしたかしら? 会社は大丈夫なの? って。それからは、坂を転げ落ちるようでした。我々に子どもはいません。妻にとっては、唯一の心を許せる相手だったのだと思います。その母親が頓珍漢になった。相当の衝撃を受けていました。

義母は肝臓の数値がひどく悪くて、義父が癌で早逝した五年前から、一人暮らしでは心配と、三人で同居を始めたんです。

妻に手を取られてゆっくりと、近所のあちこちを散歩していたんです。それである日、義母はいつのまにか一人で出かけていました。妻と二人で必死になって探しましたが、見つかりませんでした。四日後に見つけたのは警察の方でした。南に三キロほど離れた繁華街の、ビルとビルの細い隙間に、挟まるようにして…… 死因は、降り続いた雨による低体温症でした」

そこまで言って、御主人は言葉をとぎらせた。

そのあとのことは聞かないでも想像できた。一卵性親子と言われた母子。あまりに早い早期認知症。二人でかわいがった猫たち。見失ったまま母を亡くした娘……

「何言ってるの、今日は雨だし、この寒さよ。身を隠す場所もなくて震えてるかもしれないわ。あるいはどこかに閉じ込められていて、動けなくなっていたらどうするの」

あの切羽つまった口調。

これでだいたいの全体像が見えてきた。

しかし、問題は解決していない。

夫人が、猫との間で分離不安を起こしているのは、間違いないのだ。そしてその根本的な問題は、動物探偵には解決できない。

「そうですか…… なんとか、せめてタミちゃんが外に出られないように工夫するとかできないですかねえ」

「それは猫の出入り口のダイヤルを操作すればできることですが、妻が……」

そのとき、音もなく居間の背後のドアが開いた。水色のショールを肩にかけた柚香夫人が、そこに立っていた。

「あ、奥様……」長瀬が声をかけると同時に、

「何を言うの」尖った声が飛んできた。

「猫の爪は何のためにあるの。柔らかな土を踏んで、木を駆け上るためにあるのよ。あの俊敏な体は何のためにあるの。大きな目は。獲物を目指して、自分の体で狩りをするためよ。

こんな小さな家に閉じ込めてただかわいがってそれが猫の幸せなもんですか」

「でも、このままだと何度でも夜遊びして行方不明に……」そう言う俺の声を遮るように

「猫には空を見る自由があるわ。風に吹かれる自由、どこにでも自分の足でいける自由。陽の光を浴びる自由。全ての生き物に許された自由よ」夫人は叫ぶように言った。

「でもその自由を満喫して、迷子になって、ビルの隙間で命を落とすこともあるっスよねえ」

「おい藤代!」

とんでもないことを言いやがる。俺は慌てて藤代を止めた。夫人の目がつり上がった。

「いま、何を言ったの。ビルが何ですって」

「いやあの……」

「ええ、聞いたのね。そうよ、母は自由に出歩いて死んだ。手足に鎖を付けられて病院のベッドに繋がれるよりよほどましな最期よ。外の風にあたるのが何より好きだった。私に後悔させようたってそうはいかないわ」

あちゃー。三人で来るんじゃなかった。藤代の馬鹿のお陰で余計話がこんがらがってしまった。見かねたご主人が口をはさんできた。

「柚香、それはいい、その話はもうやめよう。済んだことだ」

「あなたが余計なことを色々話したせいでこんなことを言われてるんでしょう!」

「今はそれよりタミちゃんのことだ。こうしょっちゅう捜索を依頼していては、そのうちポスターを見てもだれも見向きもしてくれなくなるぞ。ご近所名物になるだけだ。今回は、待とう。あとせめてひと晩。待っていれば、きっと帰ってくるよ」

「何でそう言えるの」

「今までだって二、三日以内には帰って来たじゃないか」

「だからって今回もそうだと何故言えるの、外は寒いのよ、雨が降っているのよ。黙って待ってるなんてできないわ」

「いや、大丈夫ッス。すぐ近くにいますよ」藤代が口をはさんだ。

「あんたになんか何も聞いてないわよ!」

バタン。

猫出入り口のあるダイニングの方で音がした。

さっと立ち上がり、夫人はダイニングに駆け込んでいった。

「タミちゃん!」

歓喜の叫び声を聞いて、その場にいた全員が顔を見合わせ、安堵のため息をついた。


「やはりあなたたちに来ていただいてよかったわ。私の判断は、間違っていなかった」ハチワレ猫を抱きしめて夫人は言った。

「いや、僕たちが猫を呼んだわけでは……」

契約書を交わす前なので、料金は発生していなかった。

「でもあんた、名前は知らないけど」柚香夫人は、藤代の顔を指差して言った。

「は。藤代といいます」

「あんただけは許せない。今度依頼をすることがあっても、あんただけは二度と来ないでちょうだい。顔も見たくないし、声も聞きたくないわ」


「次に電話がかかってきたら、もう通常追加料金の一日三万五千円初日から毎日払ってもらいたいっスよね。こんだけ気疲れしたんだから」藤代が後部座席で伸びをしながら呑気に言った。

「おまえな、自分が何言ったか覚えているのか。とんでもないセリフだぞ。なぜあんなことを抜かした」

「だってあのおばさんがあんまりメンヘラメルヘンなことを言うからムカついて」

「バカじゃないの」ハンドルを握りながら長瀬が吐き捨てた。

「言ってることはわからないでもなかったんスけどね」

「常識のない奴は現場に回せない。これからはお前の仕事は厳寒の真夜中の電柱ポスター貼り専門な」

「そんなあ……」

藤代は噛んでいたガムをブーブー鳴らした。

「おい、何でこのバカは我が探偵社に入社できたんだっけな、長瀬」

「ええ、私がみんな悪いんです。友人の弟さんが高校出てからも就職もバイトもせずフラフラしてご両親の悩みの種になっているから、動物探しぐらいなら手伝うことができるんじゃないかって言われてそれで」

「でも特技があるって話だったよな。それで引き受けたわけだ」

「特技っていうか、俺基本的に動物好きだし人間以外とは通じ合える体質ですから」

「あんな言い草しといてよく言うよ」

「ああいうキーキーしたおばさん嫌いなんスよ。それより、俺動物の気配がわかるんです。暗くても、隠れてても、犬や猫がいるとすぐ気配でわかる。長瀬ちゃんもそれで、あんた使える、って言ってくれたんスよね」

「そうね。それはまあ認めるわ。今までもフジシロのお陰で見つけられた犬猫は何匹かいるもの」

「それでどうだったんだ今回は。あのおばさんがいきり立ってるとき、猫の気配でも感じてたか」

「あー、家の周りウロウロしてるなってすぐわかりましたね。気配が近かったんスよ。だからこんな小競り合い時間の無駄だって思ってました」

しょうがない、こいつにはなるたけ対人の機会を減らしてこれからも捜索に加わってもらうしかない。俺は肩をすくめた。


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