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086 魔術結晶体

 暗闇の中を駆ける王。いや、王に取りついた落とし子。

 その知性の高さはどれくらいだろうか。

 あの場で落とし子が逃走を選択するなど、食欲と闘争本能しかないはずの落とし子が、然したる危機も感じてもいないのに逃げるなど、不自然極まりない。


 その事に思い至らなかったライアスは、落とし子が外に出てしまった事に焦っていた。

 このまま野放しにすれば確実に大きな被害が出るだろう。

 かといって現状、城には落とし子に対抗できるだけの戦力が無い。

 辛うじてライアスとオーサスがなんとかやり合えるだろうという程度。


 何が最善か、何を優先すべきか。

 思考に思考を重ねるが、妙案は浮かばない。


「オーサス! クラウンはどうした!」


「す、既に発った後だ!」


 タイミングの悪さも最悪だった。

 クラウンがいればローズへ伝える事も出来ただろうが、すんでの差でそれは叶わない。

 オーサスとふたりで追いかければ、仮に落とし子が戻って来た場合に城の全員が餌食になるだろう。

 どちらかひとりが追いかけた場合は、返り討ちに合う可能性が高い。

 なまじ知性があるという情報が、ライアスの判断を迷わせた。


「落ち着けライアス!」


 苛立っている様子で考え事にふけっていたせいか、オーサスの怒号と張り手がライアスを襲った。

 それにより平静は取り戻したものの、張り手が必要だったかとまたイラつき始める。


「仕方ねぇ、待機だ。あいつの目的は戦争への煽動のはず。ならここに戻って来る可能性は高い。俺たちと入れ違いに入り込まれたら他の給仕が全員死ぬ。今はここの守りに専念するぞ」


「止むを得んな。一ヵ所に固まって朝を待つしかないか。少年も連れてこよう」


「ああ、頼む」


 落とし子の次の動きを読んでの籠城作戦。

 状況を鑑みた行動としては正しかったと言えるだろう。だが結論から言えばこれは失敗だった。

 落とし子に対する過大評価が招いたものだろう。


 ライアスの予想よりも知性の低い落とし子は、戻る事など考えていなかった。

 ただただ空腹を満たす事だけを考えて走り続けていた。


 そんな落とし子が1時間ほど走り抜いて辿り着いた先は、最低限の警備が敷かれただけの軍事保管庫だった。

 現在その保管庫には、オーサスが駆るはずだったあの代物。


 魔術結晶体が保管されている。





 ◆





 ――ローズが戦争に介入し、両軍に撤退行動を強いてから数十分後。


 不自然に黒く染まった一体のゴーレムが、戦場へと向かって歩いている。

 サイズ的には5メートルほどの巨躯だ。

 中からはブツブツと、争いを望むニクス王の声だけが聞こえてくる。


 本来であれば、薄く青く、滲むような色合いのはずだった魔術結晶体は、落とし子の邪気に触れ黒く変色してしまっている。

 石で出来たゴーレムだというのに、外皮はヌメり、腐臭を放つ液体を吹き出させている。


 血の匂いに引き寄せられて、夜通し歩き続けた結果。

 ニクス王の目は、まだ距離のあるヴォルドール野営地を捉えた。


「血ヲ……! 捧ゲ……!」


 魔術結晶体の胸の前に、急速に魔力が集まっていく。

 体全体で生成する魔力と大気から吸収する魔力、そのどちらもが高効率で行われ、瞬く間に巨大な魔力の塊が出来上がる。

 集められた魔力は瞬間的に圧縮され、小さな球体の外側、それも野営地方面側だけに亀裂が入った。


「死……死死! 死ゲェエエア!」


 もはや言葉としては成り立たぬ呪いを叫んだ直後、球体の亀裂が広がり、凄まじい熱線が野営地とその先の戦場へと向けて照射された。

 地面にぶつかった魔力の粒子は行き場を失い、後ろから止むことなく送り込まれる粒子と結合していく。

 粒子は結合限界に至り、今度は瞬時に乖離する。

 その反応は次々と尋常ではない規模の爆発を起こし、爆心地周辺を隔たりなく融解させていく。


 魔術結晶体から一直線に、大きく抉られた荒野が顔を見せる。

 野営地は跡形も無く消え去り、規模10万人を超える戦闘が行われた戦場は半分が消し飛んだ。

 撤退中のヴォルドール軍はそのほとんどが壊滅。

 遠巻きに待機していたディオール軍も残った英霊の半分を失った。


 直撃を免れた兵もいたが、爆発による衝撃で吹き飛ばされ、地面に到達すると同時に赤い花を開く。

 それでも生き残っている者たちはいる。

 大なり小なりの傷を庇い、それを治そうと必死で治癒の魔術を行使していた。

 

 だがそれは上手く発動しない。

 魔術を行使する際、ほとんどの魔術師は自身と大気の魔力を利用する。

 自身で持っている魔力だけで行使できる魔術師は、それだけで高位の存在だ。


 そして今この場所は、魔術結晶体がほぼ全てを使い切ったため大気中の魔力がカラッカラに乾いていた。

 魔術の行使がまともに出来る者は残っているだろうか。


 だが逆に言えば、もう一度あの熱線を放つ事は出来ない。

 魔術結晶体と言えど、あれほどの火力を再度出そうとすれば自壊を顧みない場合のみだろう。



「なに……これ……」


 直撃は免れたものの、激しい爆風に吹き飛ばされたローズはかなり離れた丘の上から戦場を見下ろしていた。

 咄嗟に顔や頭を庇ったのだろう、手足には酷い火傷の跡が残っている。

 

 ローズは目の前の光景よりも、目の端に映った巨大な黒い物体が気になった。

 下にいては見えなかったが、ここならよく見える。戦場方面に向かって進んでいる。


 直感した。

 あれが、せっかく終わらせた戦争の。

 その幕引きを台無しにしたのだと。

 

 見開いた目には明らかな怒気。手足の火傷など意に介さず、猛烈な速度で魔術結晶体へと向かっていく。 


 ローズが到着するまでの間、野営地まで到達し尚も戦場へ向かう魔術結晶体の元に、ひとりの男が立ちはだかっていた。


「どういう事だああ! オーサス貴様ぁああ!」


 ヴォルドール軍第1師団長、アルタイル・ジェファーソン。

 一級の魔装兵である彼の戦闘力は、8賢者と同等かそれを超えると噂されるほどの豪傑。

 元々この戦争に対する疑問が強かった彼は、ローズの介入、その停戦要求を心から受け入れた数少ない人間のひとりだった。

 そんな彼は今、中身の分からない魔術結晶体に対し、当初の予定通りオーサスが乗っているものとして怒りを露わにしている。

 

「【連転魔装術式・フェルヴァルトデーゲン】……!」


 アルタイルの持つ剣に、青色の炎と赤色の冷気が渦を巻いて現れる。

 地上からそれを豪快に振り切り、魔術結晶体へと炎冷ふたつに練り上げた魔力粒子をぶつける。


 しかしそれは、幾重にも重なった魔力障壁に阻まれて届く事はなかった。

 微かに、一枚目の障壁にヒビを入れた程度で、2枚の障壁には影響が無い。


 攻撃を受けた事に反応したのか、魔術結晶体は腕をアルタイルへと向ける。

 またあれが放たれるのかと刷り込まれた恐怖に一瞬硬直した瞬間、青黒い液体が噴射されアルタイルの体を包み込んだ。。


「むおおおおッ!」


 じたばたと粘性のあるそれから逃れようと暴れるが、抜け出せそうにはない。

 嗅いだことの無い強烈な腐臭に鼻先が痛みだし、不快なネバネバが体に染み込んでくる。

 途端に体中が痛みだした。


「あ、が、があああああああああ!!」


 叫ばずにはいられない痛み。

 皮膚に染み込んだというのは、正確な表現ではなかっただろう。

 染み込むように小さく、小さく食いちぎられているのだ。

 それは次第に深くなり、中に入り込めば入り込むほど痛みは増していく。

 耐えがたい苦痛に思考は真っ黒に染まる。

 

 それを遠巻きに見ていた他の魔装兵たちが、助ける事を諦め、悲鳴を上げてその場から離れて行った。

 その声に反応しないはずはない。


 魔術結晶体は、林の中を逃げ去る彼らへと腕を向ける。

 5本の指の先に、巨大な火球が作り出され、全てが同時に射出された。

 放物線を描くそれは、まるで退路を断つかのように彼らの逃げ場を潰し、ドボンッという音と共に着弾する。


「ああ! ああああああ! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」


 着弾した火球は溶岩の塊だったようで、ドロリと広がっていく。

 飲み込まれた兵たちは触れた部分から即座に溶けて消えていった。 

 流れ出した溶岩に近い木々たちが次々と発火。

 瞬く間に火は燃え広がっていく。

  

 この頃には、生き残った者たちが皆この異変に気付き始めていた。

 自分たちの国の兵器が、自分たちを殺すためにここにいる。

 残り少ない兵たちは、生き残るために必死で走り出した。


 どこへ向かえばいい?

 どこに行けば助かる?

 誰でもいい、助けてくれ!

 そんな悲痛な思いは届かない。


 魔術結晶体が腕を地面に付けた次の瞬間、戦場にいるディオール騎士王の元まで届くほどの広範囲に過電流が流れる。

 察知した騎士王は空中にてこれを回避。

 英霊は指示が間に合わず、直撃した数千全てが消え去った。


 野営地から戦場までの森の中。

 真っ黒に焼け焦げた死体は、炭化されすぎているのか、倒れた衝撃でもビクともしない。

 まるで石のように硬い死体が、大量に転がっていた。

 

 まさに地獄絵図。

 この場にライアスがいれば「ただの殺戮兵器だろうが」と怒り狂っていた事だろう。

 悪意を持って使われる兵器とは、その威力が数倍にも跳ね上がるものなのだ。


「あ、ああ……」


 体を覆うネバネバが絶縁体にでもなったのか、アルタイルだけはまだ息がある。

 激しい痛みに気を失う事も出来ず、ただ自分の死を待ち続けた。


「血ヲ……捧ゲヨ……。死ヲ……捧ゲヨ……」


 痛みの中、魔術結晶体の中からありえない声がアルタイルの耳に届く。


「まさ、か……ニクス王……な、のか……」


 忠義を誓った国の、信じた王からのこの仕打ち。

 だがその失意を噛みしめる事も、疑問を振り払う余力もない。

 アルタイルはただただ、苛烈になっていく痛みを受け入れることしか出来なかった。


 すると突如、ガラスが割れたかのような音が鳴り響く。

 痛みに悶える彼の目に映ったのは、女性が魔術結晶体の障壁を全てぶち抜き、右腕部を破壊した瞬間だった。

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■ 本小説の世界の中で、別の時代の冒険を短編小説にしました。
最果ての辺獄

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