070 戦場荒し
「ころせええええええええ!!」
「連中を生かして帰すなああああ!」
ミルド大陸の北西端に存在する、ディオール騎士王国。
その左側に隣接する魔術大国ヴォルドール。
その両国の争いは、激化の一途を辿っていた。
あちこちで炎や雷撃が飛び交い、人間の手足や首が飛んでいく。
剣を取って戦う者も、魔術を用いて応戦する者も、どちらも生きるために必死だった。
勝利のため、ではない。
明日を生きるために、である。
利権強奪戦争が始まってから、既に2年。
長期化した戦争は土地を荒し、各国の食料事情は困窮していた。
戦場を走る兵たちは皆、手柄を立てる事で糧食を得る。
ただ生き残っただけでは、十分な食料が配給されない。
利権を得るために始まった戦争は、兵たちにとって生きるための奪う手段となり果てていた。
両軍合わせて1万は下らない数の兵。
大地は赤く彩られ、そこら中に死体が転がっている。
激しい戦闘が繰り広げられている最中、突如戦線の端から人が飛び散り始めた。
「な、なんだ……?」
「おい待て、あれって……!」
大きな斧を片手で振り回し、鋭い剣で首を飛ばす女がひとり。
ディオールもヴォルドールも区別する事なく暴れている。
「戦場荒しだ! 戦場荒しが出やがったぞ!」
「殺せぇえ! そいつを殺せば報奨金がたんまり出るぞ! その金があれば好きなだけ食えるぞぉ!」
横からの攻撃を懸念してか、手柄に目がくらんだのか。
兵たちは争いの手を止め、次々と女性に襲い掛かる。
だが、向かっていった者は次々と肉塊へと変わり地に伏していく。
切り結ぶ剣は、相手を剣ごと両断し。
動作に連動して飛んでくる暗器は悉くの喉を貫き。
回転する度にしなる鞭は骨を砕いていく。
そして、豪快に振るう斧は一切の防御を無視していた。
中近距離ではダメだと思ったのか、今度は距離を取って矢や魔術で女性を狙う。
だが炎による攻撃は斬撃で掻き消され、雷撃による攻撃は死体か武器類で防がれる。
更には放った矢を掴み取られ、凄まじい威力の矢で体を消し飛ばされる。
その鬼気迫る戦力は、明らかにいち個人が持っていていいものではない。
「ば、バケモノかよ……」
誰かがそう呟いた。
彼らの表情は次第に曇っていく。
――戦場荒しが出た戦場には、生き残りの兵はひとりもいない。
そんな噂話が、ここ最近まことしやかに広まっていた。
それを聞いた誰もが、全員死んでいるのなら誰が広めたんだよ。と小馬鹿にしていた噂話。
しかしどうだろう。
目の前で起こっている現実を目の当たりにして、その話をただの噂話と笑い飛ばせるだろうか。
否、笑い飛ばせるはずもない。
慣れた戦場に舞い込んできた手柄。
そんな軽い気持ちはどこかへと消え去ってしまったかのように、竦んだ表情に変わっていく兵たち。
今までだって命のやり取りをしてきていただろう。
多くの仲間の死を見てきただろう。
そんな中生き残ってきた彼らは、今日も生き残るという思いがあったのだろう。
だがこれは違う。
やり合えば確実に殺される。
あれを止められる者など、この場には存在しない。
それは誰の目にも明らかだった。
「あああああああ!」
自棄になったのか、ひとりの兵が雄叫びを上げて向かっていく。
渾身のひと振りを放つも、剣先が無くなっていてはどうしようもない。
振りぬいた体勢のまま、兵は体を半分に分けて地面に崩れ落ちた。
踊るように舞い続ける女性は、向かってくる者を砕き、刺し、刻み、両断する。
逃げる者は穿ち、消し飛ばし、飛散させた。
そこに容赦という言葉は挟めない、どこまでも確実に命を奪い取る。
気づけば、その場に立っているのは彼女ひとりだけとなっていた。
返り血で顔は真っ黒に染まり、表情は全く読み取れない。
その瞳だけが、物悲し気に感情を訴えるのみだった。
「まだ残っておるぞ……」
どこからともなく声が聞こえる。
女性はその声に軽く頷くと、すぐさま走り出す。
さすがに1万近い軍勢、多くを取り逃している。
まずはディオールの軍勢へ。
追いかけながらも矢を射っては殺し、ある程度の距離まで来れば鞭で砕き殺し、間合いを詰めては斬り殺し、叩き潰して殺す。
異変に気付いたであろう指揮官たちは半信半疑の様子だったが、それが近づくにつれ青ざめていく。
逃げるという決断をするには遅かった。
抵抗する事に意味などなく、容易く切り伏せられていく。
総指揮を執っていたと思われる騎士を片手間に殺し終えると、次はヴォルドール陣営へと走り始めた。
残りは目算で約2000。
ディオールにしたのと同じように、その圧倒的な戦闘力の高さで蹂躙していく。
戦争行為に介入して僅か1時間。
両軍のそのほとんどが肉塊へと変わり果てた。
戦場中央には、いつのまにか多くの死体が積み上げられている。
女性はその場所まで来ると、ゆっくりと手を翳す。
小指に付けられた赤い指輪が一瞬光り、死体の山に火の手が上がる。
その火は戦場中へと広がり、まだ大量に転がっている死体と肉片を灰へと変えるべく包み込んでいく。
ボォーっとそれを眺める女性は小声で呟いた。
「灰は灰に、塵は塵に……土は土に……」
それから5分ほど、黙祷を捧げるように目を閉じていた。
「大仕事だったな、嬢ちゃん」
燃え続ける戦場が空を赤く染める中、大柄な男が女性に話しかけた。
小さく頷くと、女性はその場から離れていく。
男もまた、それに付いて歩き出した。
戦場に残ったのは、不自然に燃え続ける炎だけだった。




