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058 腰の訓練 了


 ――人殺し。


 日本にいた頃であれば、罪悪感に押し潰されてしまうであろう大罪。


 人を殺さない、殺したくない理由に、こんな話がある。


 現代社会において、人殺しは重罪。

 踏み込んではいけない領域。

 そういう認識が世間一般に存在する。


「人を殺すなんて無理。その人の一生を終わらせるなんて、私には出来ない。出来るはずがない」


 そう言っている人間が、仮に人を殺した時に何を思うか。


 殺してしまった。は、犯罪を犯してしまった。と同義となり。

 犯罪者になってしまった。と解釈する事が出来るのだという。


 では、犯罪者という存在はなんなのか。


 罪を犯さない人間と罪を犯した人間のどちらが多いのかで言えば、犯罪者の方が圧倒的に少ないだろう。


 そこに、人間が行うひとつの行動を当てはめる。


 『人は自分と違うもの、理解できないものを拒絶する』


 犯罪者になった瞬間、他人からは理解できない存在、他人とは違う存在になったと定義できる。

 そういう、つまはじきにされる存在になるという焦り。


 そう、大半の人間は大多数の他人と違う存在になってしまう事を恐れているのだ。


 つまり、殺しなどできないと言っていた人間が、いざ人を殺した時に思う事。


 それは、『周りに犯罪者として見られてしまう』であり、これを完全否定する事は出来ないという。


 人殺しは罪。

 そういうルールがあるからこその、犯罪心理学の逆理。


 深層心理的に、人を殺したくない理由がこれだとされる大胆な仮説。


 戦争で人を殺すのと、平時に人を殺す事に対する意識の違いはここからくるとされる。


 そういう話。


 どこかでこれを読み聞きした際、暴論に聞こえるのに妙に納得してしまったのを覚えている。


 そしてこれを、この世界に当てはめる。


 勿論、人殺しは罪だろう。

 だが、日本よりも遥かに生き死にが身近にある。

 更に言えば、この世界は人が死んだとしてもわざわざ調査して犯人を捜すという事を積極的にしない。


 魔物が存在する世界なのだ。

 いつどこで人が死んでもおかしくない。


 野盗に襲われましたけど、返り討ちにして殺しました。

 すると良くやったと褒められる。


 そういう世界なのだ。

 犯罪者に対して過剰防衛などという言葉は存在しない。


 それらが、殺人という罪の認知度の低さを招き、ひいては罪悪感の緩和に繋がっているのだと思う。


 良くも悪くも、私はこの世界に慣れ、染まり、価値観が変わってしまったのだろう。


 少し嬉しいような、少し寂しいような。


 この世界にいる以上、そうであるべきなような……。

 前世の価値観を持つ以上、そうであってはいけないような……。




「どうかした? ローズちゃん?」


「え、あ、すいません」


 エナさんの言葉で、意識しないようにしていた事を考えだしてしまった。

 私自身がどう思うか、思った事を私がどう咀嚼するかは、私がその時その時に向き合えばいい。

 今考えるべきことではなかった。


「うん? まぁいいわ! じゃあ次の訓練にいくわよ!」


「……はい」




 ◆




「――はい! ここで掛け声!」


「にゃ、にゃーにゃーにゃー!」


「走って! 次! 腰!」


 走って止まって腰振って。

 にゃーにゃー騒いでまた走る。

 エナさんも一緒になってずっとこれの繰り返し。


「あ、あの……これは一体いつまで続けるんでしょうか……」


 そしてこれにはどういう意味が……。


「うーん、そうね。そろそろいいかしらね。じゃあ今度は……」


 エナさんが私の正面に立ち、腰を揺らし始めた。

 私と同じように腰から垂らしている鞭が、振り子のように左右に揺れる。

 次第に揺れ幅は大きくなり、地面と水平になるまでの高さで安定した。


「ほいっ」

 

 ――!?


 横から飛んできた鞭が私の左手に突然巻き付いてきた。

 予備動作と呼べるものが何もなく、反応する事ができなかった。


「どお? 今の察知出来た?」


「い、いえ。分かりませんでした……」


 私が同じようにやろうと思ったら、もっと腰がグイっと動いちゃうな……。


「そうでしょー? 鞭の優位性は、前にも話した通りその振れ幅の肥大化よ。操る根本が、ほんの小さな動きを取るだけで鞭の先端はその何十倍も大きく動く。動作の気配を最小限に抑えれば容易に奇襲を仕掛けられるわ。要は、事の起こりがうんたらかんたらってやつよ」


「事の起こりがうんたらかんたら……」


 なんでそこ端折ったの。


「でも、実際に基点となる腰や腕、手首を動かすんじゃあただの鞭使い。だからね……」


 スルッと私の左手から離れた鞭が、ゆっくりとエナさんの股の間に戻っていく。

 そして鞭の長さを調節。

 地面にたわむほどの長さになり完全に停止している。


「こうするのよん」


 1度だけ回転し、鞭が地面から離れてゆっくりと弧を描く。

 そこから先の光景に、私は自分の目を疑った。


 最初こそ緩やかな動きだった鞭が、たちまち猛スピードで風を斬り始めたのだ。

 回転後静止し、そこからほとんど動いた様子はない。

 そんなエナさんの周囲で、縦横無尽に跳ね続ける鞭が簡単に地面をえぐり取っていく。

 1本しかないはずなのに、速過ぎるせいか鞭が何本もあるように見えてしまう。


 最後にヒュパンっという音を響かせ、大きく地面を消失させそれは静止した。


「はい、これをやってもらいます」


 え、ええ!?

 



 



 ――鞭の訓練2日目。


 相変わらず私はクルクル回っていた。


 前回、エナさんに見せてもらったあれ。

 短時間で高速に動かせたのは、エナさんの持つスキル【慣性力倍加】と【指向運動作用増加】によるところが大きいらしい。

 でも、鞭の不規則な動きに関してはスキルと関係がない。


 体をほとんど動かさずに鞭を操った肝。

 それすなわち、重心の移動。


 重心のみを絶え間なく移動させ続け、鞭に指向性を持たせているという事だった。

 言ってる事はなんとなく理解できなくもない。


 重心の移動だけでそんな事が?

 と思ったけど、イメージしやすいようにと説明してくれた内容が思いのほか分かりやすかった。

 

 ブランコを思い浮かべてもいいし、掲げた手で先端を重くした紐をクルクル回しているのを想像してもいい。

 大きな動きを取る事なく、重心を移動させることで回転力や勢いを維持または上昇させる事ができる。


 要はそれの応用だそう。


 おかげで出来そうな気がしてくる。


「うん……こう!」


 鞭の先端が、岩場の上に置いた目標(石)に向かって伸びていく。

 だが、横を掠めただけで直撃には至らず、スパンッという音をたてて戻って来た。


「惜しい……!」


 自分のイメージと、実際の結果のズレが思ったよりも大きい。

 今までやってきた中で1番難しいかもしれないこれ……。 

 でも、コツは掴めてきた気がする。


「ふふ、そんな一朝一夕で身に付くものでもないしね、後はそれを毎日繰り返すのが大事よ。ね、ローズちゃん?」


「はい……!」


 その場で体得! と行きたかったけど、これはちょっと先が長そう。

 まぁでも、意識して行動していけば、いつの間にか出来るようになってるかも?


「そうですよローズさん。弓の道もたった数日で極めたと思わず、毎日特訓を繰り返してください。反復は重要ですよ。現に極めていませんからね」


「そ、そうですよね」


 良い事を言っている風ではあるが、ロウルさんはしゃがみ込んで私のお尻に向かって話しかけている。

 そして相変わらずひと言多い。

 

「いえね、私ケツ派なんですよ」


 ヒェッ……。

 そういう目で見られるとちょっと……。


 咄嗟にお尻を両手で隠す。


「ふふ、ローズちゃん。男のエロい視線が、女の魅力を上げていくのよ。覚えておきなさい」


「あ、はい……」


「それじゃあひとまず、鞭の訓練はこれでおしまい。さっきも言った通り、意識して使い続ければちゃんと出来るようになるわ。そのための基礎はもう出来上がったもの」


「は、はい!」


「では、翁の元へ行きましょうか。ちょうど今がチャンスのようですしね」


 チャンス?

 なんのチャンス?

 あ、でもその前に聞いておかないと。


「あの、エナさん。結局、あの掛け声とかはなんだったんですか?」


「え? ああ、あれね。……いえ、まだ早いわ。最低限、こないだのアタシと同じ事が出来るようになるまでは教えられないわ……」


 そ、そうか。

 まだ完全に体得していないから……!

 危うく妙な先入観とやらを植え込んでしまうとこだった!


「そ、そうですね! あれくらい出来るようになったら、その時改めて聞きに来ます!」


「ええ、待ってるわよ。それまで、特訓するならあの掛け声と仕草。忘れちゃダメよ?」


「はい!」


 










「エナさん」


「なぁに?」


「あの仕草と掛け声にはどんな意味が? ローズさんには言わないので教えてくれませんか?」


「ああ、あれはね。単純に可愛いからよ。可愛い女の子の可愛い仕草が見たかった。ただそれだけよ」


「なるほど……。先生とお呼びしても?」


「しっかり敬いなさい?」


「はい! 先生!」


 両手を猫耳に見立て猫の声を真似ながら腰を振る。

 その所作についての意味を、ローズが知る事はなかった。

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■ 本小説の世界の中で、別の時代の冒険を短編小説にしました。
最果ての辺獄

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