048 虫のダンジョン
あ、あれだ。
あの大きな建物。
宿屋の扉を乱暴に押し開ける。
宿泊客や店主と思われる女性が、驚いた様子でこちらに注目していた。
キョロキョロと見渡すが、青い髪の男性は見当たらなかった。
そ、そりゃそうか。
急いだところで、運よく会えるわけがない。
「はぁ……」
「ピ?」
まぁいいや、とりあえず宿を取ろう。
「あの、すいません。お部屋空いてますか?」
「あ、ああ。空いてるよ。何泊だい?」
どうしよ。決めてなかった。
「とりあえず1泊でお願いします」
「あいよ。大銅貨5枚だよ」
安い。
この国の物価ってすごい安いのかな。
安すぎて不安になるんだけど……。
小銀貨1枚で支払いを行い、部屋へと案内される。
「ここだよ。うちは部屋の貸し出しのみで、食事とかはないからね」
「あ、はい」
案内された部屋は、値段の割には広く綺麗だった。
ベッドがひとつ。
テーブルと椅子もひとつずつの、必要最低限の部屋。
素泊まり用とかそういう感じかな。
「あの、体を拭きたいんですけど、何か貸していただけたりは……」
「それなら宿の裏手に井戸があるけど、朝になってからにしな。夜は灯りもないし、間違って井戸の中に落ちたら大変だからね」
「そうですか……」
「じゃあごゆっくり」
愛想が悪いわけではないが、いいわけでもない。
店主と思われる女性はフロントへと戻っていった。
「はぁ……ダリア、ごめんお願い出来る?」
「ピィー!」
服を全て脱ぎ、ダリアの前に立つ。
全裸のローズは徐々に包み込まれていく。
そのまま20秒ほどが経過し、ダリアは元のサイズに戻りローズから離れた。
汗でベタベタだった体の表面がスベスベだ。
さっきまでの気持ち悪さもない。
これ、角質とかも取ってくれてるのかな。
スライムエステとか流行りそうじゃない?
「ありがとダリア!」
「ピ~!」
替えの下着に着替え、ベッドの上に乗る。
うん。予想通り硬い。
敷布団なんかないし、しょうがないか。
でも大丈夫~。私にはダリアがいるもんね~。
「おいでダリア。寝よ~」
「ピ~!」
飛び込んでくるダリアは体を大きく広げ、再度ローズを包み込んだ。
ダリアナイトとは違い、ローズの体は横になっている。
まるでウォーターベッドだ。
このひんやりとして、それでいてスベスベの感触がたまりません……。
ダリアがいればどこでも眠れる自信がある……。
瞼を閉じて、いなくなったフィオの事を考える。
フィオさんかもしれないと思って走り出したけど、会ってどうする気だったんだろう私。
突然消えた理由も分からないのに、適当な事を言ってお茶を濁す?
そんなんなら会う必要はないんじゃないかな。
むしろ理由次第では会わない方がいいのかもしれない。
でもこの街にいる可能性はある。
もしも会ってしまったら……。
そうだ。
ゲイルさんも、ミランダさんも、ザミさんもクライムさんも心配していたって。
それだけ伝えよう。
それ以上、私に言える事はきっとないし、他に思い浮かばない。
そんな事を考えながら、プヨンプヨンとダリアの体を内側からつつく。
「ふわぁ……。おやすみダリア」
「ピィ~」
眠気に負けて思考を手放した。
傍から見るとスライムに襲われているだけにしか見えないが、少女は軽い寝息を立て始める。
「くかー……」
◆
翌朝、宿屋の店主に青い髪の男性について一応聞いてみた。
1か月前までは出入りしていたが、突然パッタリ来なくなったとか。
この宿屋には帳簿というものが無いため、それがフィオかどうかは確信が無い。
だが、特徴は全て当てはまっている。
フィオさんはこの街にいる。
もしくはいた。
毎日のようにダンジョンに出かけていたらしいが、何かに焦っている様子だったという。
もしかすれば今頃ダンジョンの中で死んでいるのではないか。なんて、冗談交じりに言われたが笑えない。
単純にもうこの街にいないだけかも。
死んでない事を祈る。
さて、まぁまずは私の目的を確認しよう。
私の目的はダンジョン下層にいるであろうブロックマスターに会う事。
フィオさんの事は一旦忘れよう。
私は私の目的を果たすのだ。
目の前にはレグレス共和国のダンジョン入口。
ここに来るまでに色々と聞いてきたぞ!
その情報を元に色々買ったぞ!
という事で入手した情報をまとめます!
まず、入る分には何もないが、出るときには取得した魔石の3割を納める必要がある。
ダンダルシアではそんな事はなかった。
理由は単純で、入手した魔石類が国内で取引されないから。らしい。
自国内で売ってくれれば、流通するし、国の方で買い取ったりも出来るけど、別の国に持っていかれたら意味ないって事。
レグレスは物価が安いからか、魔石の買い取り額もそれほど高くない。
そのためか、ダンジョンに入る冒険者は皆レグレスでは取引しないそうだ。
物価の安さに問題があるのでは、と思うけど政治的な問題は私には分かりません。
次に、ダンジョン内部の魔物の傾向。
どうやら虫が多いそうです。
それも、中層からは寄生型の虫が多いみたいで、戻って来た冒険者が後日倒れる事がままあるとか。
倒れた後、眼球を食い破って出てくるワームが悍ましいのなんのって話だった。
正直それを聞いただけで入りたくなくなりました。
ただでさえ虫が気持ち悪いのに更に寄生虫って……。
嘔吐物武器類適性と適性武具霊装化でなんとかなるとは思う。
ダリアも大丈夫だろうし、実害はそれほどないんじゃないかとも思うけど……。
嫌なものは嫌なんですよね。
ただ、寄生という特異性のためか魔物の強さは大した事がないらしい。
んで、過去最高到達階層は64階層。
平均は32階層。
中層と下層で魔物の質も見返りも変わらないらしく、大体の冒険者は、下層まで行けるけど行かないんだとか。
現在、レグレスのギルドはほとんど機能していない。
よってこの集めたこの情報は、ギルドから入手したものではない。
宿屋や酒場の人から聞いたものだ。
なのでどこまでが情報として信用できるかは分からない。
あまり疑いたくもないけど、参考程度に留めておく事にしよう。
とまぁこんなもんか。
情報が正しいなら、70階層に行くまでに1番ネックになるのが食料だ。
虫だけというわけではないだろうが、食べられる系の魔物が少ないと見た方がいい。
なので食料はメッチャ買い込みました。
じゃあそろそろ行こうかな。
あ、誰か出てきた。
「ご苦労。取得した魔石を見せろ」
「……」
「ん? これだけか? 隠してるんじゃないのか?」
「は? 隠してなんかねぇよ、大体いつもこんなもんだろうが。上層までじゃこんなもんだろ」
「何故中層に行かない?」
「寄生虫がいるからだよ! わかんだろ!」
揉めてる……。
えーなんかやだぁ。
ダンジョンから戻って来てあんな事言われるのぉ?
「いいから早く3割持ってけよ! こっちは急いで……けぷ」
「ん? どうした?」
「いや別に……けぷっ……こぷっ……」
「お、おい……そういう冗談は――」
前のめりに冒険者が倒れ込んだ。
体が大きく痙攣し、次いでジタバタと地面の上でもがき始める。
「お、おい! なんだ! まさかこいつ!」
突如、背中から血しぶきをまき散らし、ワームが顔を出す。
体の上でウネウネと踊り狂っているようだ。
唖然としている兵士は無言で後ずさり、その光景を黙って見ている。
すると、倒れた男からは更に虫が這い出てくる。
首、腕、脇腹、腰、ふともも。
至る所から大小様々なワームが出てきている。
「は、ははは。中層に行ってたんじゃないか! この嘘つきめが!」
動かなくなった男に、罵声を浴びせる兵士。
それがいけなかったのか、注意を引いてしまったようだ。
全てのワームが一斉に液体を吐き出し、それは兵士に思いっきりかかる。
「う、うわああああ! なんだこれ! おい! なんとかしてくれ!」
仲間の兵士に助けを求めるが、誰も近づこうとしない。
液体の中には、何か小さくて白いものが蠢いているのが見える。
小さすぎて目を凝らさなければ見えないだろうそれ。
遠目からでも見えた理由は単純だ。
量が尋常じゃない。
恐らくはあれが寄生する虫の幼虫なんだと思う。
気持ち悪すぎます帰りましょう。
「ああああああああ! とってくれええええ!」
助けを求めて走り回るが、皆彼から距離を取る。
当然だ。
私だって全力で逃げる。
あれが家族の誰かだったりすれば別だけど。
「ダリア」
「ピィ!」
走り回る兵士を、ダリアが捕食するように包み込む。
「んぐううう!? んんんんんん!」
暴れる兵士を気にも留めず、ダリアは寄生虫だけを器用に溶かしていく。
やがて全てを溶かし終えると、兵士を吐き出して元のサイズに戻る。
「はっ! はぁっ! はぁっ! はぁっ!? なんだ!? 何をした!」
「お、おい。お前、虫がついてないぞ……」
「えぇ!? なに!?」
気が動転しているのだろう。
荒げた声で会話する兵士は、言われて自身の体を見渡す。
「ほ、本当だ……。もしかして、助けてくれたのか……」
「ピィ!」
こっちの人はなんとかなった。
でもあの男の人はもう……。
「……あ、ありがとう……感謝する……」
「表面に付着してた虫は無くなったと思いますけど、一応治療院とかで見てもらった方がいいと思いますよ」
「あ、ああ。そうさせてもらう……。これは君のスライムか?」
「ダリアと言います。私の大事な相棒です」
「そうか……。とにかくありがとう。俺は虫下しの薬を貰いに行く」
「お大事に」
兵士は礼を言うと、助けてくれなかった別の兵士を叩きつけ、その場から去っていった。
虫下しの薬?
そんなものがあるのか。
ダンジョンに入る前に入手しておきたいな。
「ダリア、入る前にもう1度準備に戻ろうか」
「ピィ!」
先ほど倒れた男性は、既に死んでいるようで動かない。
ウネウネと動き回っていたワームも、液体を吐き出したせいか動かなくなっていた。
なんとも怖気が走る死に方。
絶対にこんな死に方はしたくない。
男性の顔が見えなくてよかった。
心臓がバクバクと強く脈打っているのが分かる。
平静を装いはしたが、私は激しく動揺していた。
人が死ぬのを見たのはこれで2回目。
冒険者としての覚悟を決めているとはいえ、他人が死ぬのを見るのは心臓に良くない。
準備に戻る。
それは勿論、新たな情報を得たために仕切り直すためだ。
だが、実際のところは少し時間を置いて落ち着きたかったというだけだった。




