031 正念場
「に、人間じゃない……」
ザトラスが小言を漏らす。
人とは思えない運動性能で、強化された落とし子と殴り合うルシア。
ザトラスには援護するタイミングが見つけられない。
手数の多さに圧倒された落とし子が距離を取ると、ルシアは風を巻き起こして追撃する。
落とし子が強引に攻め始めれば、受け流し、躱し、逆に打突を浴びせていく。
殴り合うとは言っても、一方的にルシアが殴り続ける展開。
傍目にはルシアが押しているように見えたが、その実、状況は良くない。
攻撃を加える素手のルシアは、その拳を痛めているのが端々で見て取れる。
対して、落とし子にはダメージが無い。
煩わしそうにはしているが、動きが鈍る様子もなければ、新たな傷も付いたりもしていない。
じわじわと追い詰められているのはルシアだった。
「こ、こいつ……!」
なんなのこの付着してくる液体。
薄皮が溶けちゃうんだけど……!
どれほど運動性能で圧倒しようと、ダメージを与えられなければ倒せない。
しかも肝心の胸の眼球。
ここだけはしっかり防御してくる。
自分の弱点をちゃんと分かってる……!
「おいゲイル!」
ザトラスの耳に、クライムの声が聞こえてくる。
治療していたゲイルの元で、クライムが大声を張り上げていた。
「ローズはどうした!」
「そ、それが、スライム殿に飲み込まれてしまって……!」
なんだこれは、なんで飲み込んでる……。
この状況をどうすればいい……。
いや待てそれどころじゃねぇ。
こいつはローズの相方だ。
相棒を害したりはしないはず……!
それに仮にもこいつはレクティ、何か考えがあると見ていいだろう。
「ローズはダリアに任せろ! お前はこっちに来い! ハワードがやべぇ!」
「わ、わかりました!」
「ミランダ! お前はここでローズの様子を見張ってろ!」
「は、はい」
ゲイルとクライムは林の中へと走り、到着した場所にはフィオが立っていた。
そして、気持ち程度の応急手当を施されたハワードが横になっている。
「こ、これは……」
「いいからさっさと治せ!」
「……!」
言われるまま、ゲイルはハワードの治療を始める。
周囲を見れば分かる。
これだけ血が散乱していたら……もう……。
「余計なことを考えるなゲイル、見た目ほど出血しちゃいねぇ。お前なら治せるはずだ」
そ、そんなに期待されては……。
「あのバケモンを殺すにはどうしてもハワードが必要だ……! あの眼球を潰すにはどうしたって刃がいる……!」
「クライムさん……! それなら僕の剣を使ってください!」
その場に立ち尽くしているだけのフィオが剣を差し出している。
青プレートになった時に、奮発して買ったミスリルの片手剣。
ハワードが使っていた物よりもずっとずっと上等だ。
「あ、ああそうだな。すまんが預かっておく」
クライムは気を使ったのだろう。
剣だけを受け取り、それ以上何も言わない。
フィオも自分で分かっている。
剣が使えるのならフィオでもいいのではないか?
無理だ。
フィオのメインは盾。
剣が使えないわけではないが、攻撃を主体している冒険者ではない。
仮に純粋な剣士だったとしても、青プレート程度では落とし子の胸を貫くなどできようはずもない。
それはミランダも同様だ。
圧倒的に実力が足りないのだ。
歯がゆい。
こんな時に、自分の剣を差し出すしかできないなんて。
なんの役にも立たないなんて……!
「う……」
――!?
「起きたかハワード!」
目覚めたハワードは、体を震わせながらも懸命に起き上がる。
ズタボロではあったが、その目はまだ死んでいない。
「ど、どうなった……」
「今ルシアがあれを抑えている。だがあれを殺すには……」
「ああ、分かってるさ……」
折れた右腕を確認する。
綺麗に真っ直ぐ整えられているが、力をいれようとすると酷く痛む。
右は使い物にならんか……。
だが左があれば十分だ。
「剣はあるか……」
「あ、ああ。こいつのだがお前が使え。こいつも承知の上だ」
痛みに耐えながら、クライムの後ろにいる青年を見上げる。
「すまんな、青年……。大事な相棒を少しだけ借りるぞ……」
「い、いえ……」
あ、あんなにボロボロなのに。
腕だって折れたままなのに。
今のこの人よりなら僕の方が役に立つんじゃないのか……?
こんな状態の人が立ち向かうより、僕が行くべきなんじゃないのか……?
自分では役に立たないという思い。
目の前の、希望を託されたであろう人物よりも、自分の方が役に立つのではないかという思い。
そのふたつが交錯し、フィオは自分があれの前に立つのを想像する。
『 無 理 』
どれだけ取り繕おうと、自分がその配役でなかったことに安心していたことに気づく。
心底自分でなくて良かったと思う。
役に立たない自分を呪いながら、それに安堵していた自分を自覚する。
ああ、僕は……。
「じゃあちょっと嫁の顔でも見に行ってくるわ……」
クライムの肩を借り、なんとか立ち上がったハワードは、ゆっくりと落とし子の方へと向かっていく。
「なんとかチャンスを作る、その時は頼むぞハワード……」
「任せておけよ……娘も嫁も、守れないで何が夫か父親かってな……」
「……すまん……。こんな状態のお前に頼るしか……」
「……気にすんな」
戦いの場へと戻っていくふたりを、ゲイルとフィオは茫然としながら見送る。
「フィオ殿! 我々はローズ殿のところに戻りましょう! スライム殿に飲み込まれて大変なことになっておるのです!」
「あ、ああ……」
生返事をしたフィオは、ふらふらとローズのもとへと走っていった。
◆
「あぐぅッ……!」
「【ドゥロ・フィアンマ】!」
徐々に動きが鈍くなるルシアは、ついに腹に殴打を貰う。
落とし子が追撃を行おうとしたところを、ザトラスが魔術で援護する。
迫りくる火炎を躱すために離れ、落とし子の追撃は行われなかった。
「た、助かったわ……」
「い、いえ……ですが……」
ジリ貧から状況は進む。
以前動きに変わりがない落とし子に対して、こちらはもう余力が無い。
一気に勝負を決めるためか、落とし子はルシアへと向かって走り出す。
身構えるルシアと、援護の準備をするザトラス。
ルシアに近づき切る前に、ザトラスは雷撃を放つ。
しかしそれを読んでいたのか、落とし子は着弾地点の直前で止まり、方向転換。
ザトラスへ向かって走り出した。
「……!?」
煩わしい援護射撃をしてくる魔術師を殺すために、狂暴な口をニヤつかせドタドタと迫る。
純粋な魔術師である彼に、落とし子の攻撃を躱す瞬発力などない。
勿論耐えられるような防御力もない。
直撃はそのまま死を意味する。
「ヒィッ」
真っ直ぐと背を向け、走って逃げるザトラス。
無様かもしれないが、これは生き残るための最善手だった。
単純に距離が離れることで、攻撃するまでの時間が稼げる。
そのおかげで彼らが間に合った。
「ドラァ!」
横から落とし子の脇腹を殴りつける。
クライムの左の手甲がパキンと音を立てて割れてしまった。
落とし子は、逃げたザトラスを追うか目の前のハゲを殺すかで迷っている。
「おい、お前俺の頭をジロジロ見てんじゃねぇぞ」
「ギ……?」
「誰がハゲだコラァ!!」
クライムの右拳が、落とし子の顎を捉えた。
殴りつけられた衝撃で、大きくよろめく落とし子。
強化直後に受け止めた拳には、ここまでの威力はなかった。
落とし子はその違いに首を傾げる。
「【闘気練功】……!」
闘気を圧縮し、自身の体を強化する武闘家ならではのスキル。
何故初めからやらなかったのか?
いや、これは初めからやっていた。
ただ、その出力を大幅に上げ、持続時間を犠牲にしただけのこと。
そしてそれはルシアも同じ。
従魔同化は長時間使えるものではない。
同調率をあげればあげるほど能力は向上するが、こちらも同様に持続時間を犠牲にする。
つまり、ここが最後の正念場であるとクライムは定めたのだ。
「行くぞォあ! ルシアァア!」
「ええ!」
闘気と聖気を練り上げていくふたり。
そしてゆらゆらとその場に現れるハワード。
役者は揃った。
後は全力を尽くすだけ。
「かぁッッ!」
吠えると同時に大地を蹴るクライム。
強い踏み込みで落とし子へと距離を詰める。
それに反応し迎撃態勢を取るも、落とし子は足を蹴りつけられた。
「ギ……?!」
いつの間にか気配が希薄になっているルシアが、落とし子の足を蹴りつける。
バランスを崩したところに、クライムが渾身の右フック。
地面を跳ねて転がる落とし子は、そのままハワードのもとへと向かう。
「すぅー……」
ハワードは深く呼吸し、その瞬間を待った。
標的が真っ直ぐとこちらに向かってくる。
勿論、無防備に来るわけではないが、それでも来てくれるなら有り難い。
今の俺は歩くのもしんどいんだ。
殴り飛ばされてきた落とし子は、ハワードの姿を見据え拳を握っていた。
見極めろ。
俺にしかできん……!
俺がやらなければ……!
まだ距離がある状態から、爪を伸ばして薙ぎ払ってくる落とし子。
ハワードはそれを最小限の動きで躱し、接触する瞬間。
拳の大振りも見切り、懐に滑り込ませたミスリル製の剣を突き立てた。
「ガギ……!」
や、やった……。
やったぞ……。
「まだだハワード!」
――!?
暴力的なまでにゴツゴツとしたデザインの片腕が、ハワードの半身を殴りつける。
辛うじて反応したが、体はメキメキと嫌な音を立てて地面を転がっていく。
殴り飛ばされたハワードは、ルシアとクライムのもとへと力なく転がっていく。
地面に静止した彼の右腕は、肘から先が無くなっている。
「ハ、ハワード……」
咄嗟に使えない方の腕でカバーしたのは、さすがと言ってもいいだろう。
だが、ダメージは腕だけではない。
その衝撃で全身の骨が軋み、肉という肉が痙攣している。
クルリとこちらを向いた落とし子の口には、剣が咥えられていた。
それを青紫色の手で握り、馬鹿にするようにこちらへと投げつけてきた。
剣の刃は3分の2が無くなっている。
口の歯で、眼球に届く前に砕いたのだろう。
ここから見える目玉には傷があるようには見えない。
「ダメだったか……」
ハワードの技術でミスリルの剣を使っても、奴の命には届かない。
もう倒す術がない。
「まだよ……」
意識の無いハワードの前に、ルシアは庇うように立った。
「やっとあの子が帰ってきたのに……、まだおかえりも言ってないのよ……」
「だが……」
毅然と立つルシアに、落とし子は徐々に速度をあげながら近づいてくる。
もはや従魔同化も切れてしまっていた。
立っているだけの足は、小刻みに震えている。
そんな彼女の後ろで、ハワードを見下ろしながらクライムは想う。
標的になっている今、俺たちは逃げることも叶うまい。
我々が死ねば、街の人間は皆こいつに殺されるのだろう。
こいつの腹の中に納まるのだろう。
そんなことがあっていいのだろうか。
否。
いいわけが無い。
大陸の英雄よ。
何故来てくれなかった。
大陸の脅威を取り除くのが英雄ではなかったのか。
何故今ここにいない。
今いるべき場所はここではないのか……!
もはや祈り、恨むことしかできない。
落とし子の無慈悲な拳は、3人へと残酷にも振り下ろされる。
「ギ……?」
殴られる瞬間、咄嗟に目を閉じてしまったルシアは、いつまで経ってもやってこない衝撃に困惑する。
状況を確認するため目を開けると、そこには右腕を失った落とし子が立っている。
そして更に視線を下に落とす。
少し伸びた見慣れた栗色の髪に、私が繕った上着と胸当て。
腰には、昔愛用していた小さくて可愛いポーチ。
短くなったボロボロのスカートに、無駄な装飾の無い茶色いブーツ。
風に乗って漂ってくる懐かしい香り。
「ろ、ローズ……?」
見慣れぬ黒い斧を持った私の可愛い娘。
ローズが私に背を向けて、落とし子と向かい合っていた。
「ギィィギギガガガァアァアア!」
激しく威嚇する落とし子に、ローズは微動だにせず佇んでいる。
軽く吹き抜けた風が、少女の髪をサラサラと撫で付けていた。




