012 目的の切替と異形
食事の後、入ってすぐに見える位置にあるソファを借りてすぐに眠ってしまった。
寝具としては微妙だが、硬い床で眠るよりはいい。
寝室のベッドは、さすがに借りる気にはならなかった。
「んん……んあ?」
どれくらい眠っていたのだろう。
外は明るさが変わらないために時間が分からない。
それでも、かなり休むことができたと思う。
「ああ、そっか……」
起きた時、いつもの部屋だったらと。
少し期待してはいたが、そんな都合の良いことは起こらない。
立ち上がり、服を脱ぎ捨てて外へと出る。
その手にはタオルが握られている。
昨日からずっとこの恰好で、しかもそのまま眠ってしまったのだ。
正直汗で気持ち悪い。
近くの水場まで来ると、豪快に水の中へと飛び込む。
「うううう! 冷たい!」
予想よりも冷たかったせいか、完全に目が覚めた。
そのまま体を洗い始める。
少し大胆すぎる気もするけど、誰も見てないからいいよね?
綺麗になった体を、水気を切ったタオルで丁寧に拭いていく。
その体には12歳ながらに、小さな傷がいくつか見える。
女の子の体に傷があるというのはあまり聞こえがいいものではないが、ローズはそれほど気にしていなかった。
裸のまま家に戻り、ゆっくりと身支度を整える。
「ダリア、今日からしばらくダンジョン脱出は延期する。代わりに、まずはこの階層を調査しよう」
「ピィ?」
当初の目的を一時的に破棄。
新たな目的を現階層の調査へと切り替えた。
理由は3つ。
ダンジョン下層にいる魔物は、非常に強力なはず。
青プレートのあの3人は、自分たちの最高到達階層を20階層と言っていた。
恐らくここはそこよりも下だと思っていい。
実際どの程度強力な魔物がいるかは分からないけれど、少なくとも昨日遭遇した魔物はそんなに強くなかった。
下層で遭遇した魔物なのに、上層で見た魔物と変わらないような強さであるという事実。
それはひとつの仮説が成り立つから。
あの時、2階層には10階層以上にいるはずの魔物がいた。
だから恐らく、ダンジョンに起こっている異変の影響で、強い下層の魔物は上層に向かっているんだと思う。
結果、住処を追われた弱い魔物が、下層に逃げ込んでいるんだ。
勿論途中で、それらは下層の魔物に襲われてるだろうから、逃げ延びてくる魔物の数は少ないはず。
昨日遭遇した魔物の数がそれを物語っている。
蜘蛛は別。
あれはきっと産卵場所だからいっぱいいたんだと思う。
つまり、ひとつ目の理由は、上に行けば行くほど魔物が強くなるからであり、それは今の私が行っても、きっとまともに戦えないからだ。
だからと言って、脱出を諦めるわけじゃない。
ふたつ目の理由は、この場所。
これだけ条件の良いセーフポイントは、恐らくそうそう見つからない。
いや、他の場所には無いと言ってもいいと思う。
ここを拠点に、まずは実戦経験を積む。
そのうえで、真っ向から上層を目指す。
ダリアがいれば行けるかもしれないけど、頼りっきりは良くない。
それにダリアだけじゃカバーできない事態はきっとある。
私自身が成長しないと、出ることなんてできない。
そして3つ目の理由。
ダンジョンの異変の原因が、恐らくここにあるから。
明らかに異質な空間。
またも仮説でしかないけど、私の考えはこう。
あの死体は、きっとダンジョンマスターと呼ばれる人だと思う。
その人が死んだことで、魔物が死んでもダンジョンに吸収されなくなった。
だから死体が残るんだ。
そして魔物が上層を目指す理由。
ダンジョンに対する縛りが解けて、自由になったんじゃないかな。
自由になったからといって外を目指す明確な理由は分からないけど、私と同じように外に出たいと思うんじゃないかな?
これらがあくまで仮説であるのは、ダンジョンマスターに関する知識が乏しいから。
分からないことだらけで、いくら仮説を立てても結局やれることは限られる。
だったら今できることを、最善と思える手法で実践していくしかない。
それに、ここにいる私だからこそできることがきっとある。
私がここにいることに、きっと意味がある。
そう思いたかった。
「よし、行くよダリア!」
「ピキィ!」
昨日行かなかった道を進む。
ダンジョン内は相変わらず明るいままだ。
ダリアのライトパルスの効果がずっと持続しているのだろうか。
でもそんなに続くもん?
もしこんなに長い間続くのだとしたら、松明を使う意味って何?
まぁ魔術は使えないし、深く考えなくていっか。
通常のライトパルスの平均持続時間は15分だが、高位の魔術師であれば半日は持続する。
しかしそれすらも遥かに上回る効果は、それ自体が既に膨大な魔力を持っている証と言えた。
「――!? あれって!」
ふたつの分岐点を越え、辿り着いた広い空間。
そこにいたのは、2階層でチラリと見たシルバーウルフだった。
狼たちは全部で6匹。
それぞれが大小なりに傷を負っている。
ここにいるってことは、実はそこまで深くなかった?
いや、きっと違う群れだ。
追い立てられて逃げてきたんだ……。
青プレートでも30匹を超える狼には撤退した。
今の私にはきっと1匹でも手に余る。
だけど、ここで逃げるわけにはいかない。
実戦経験を積むのも、今の目的のひとつなのだから。
「ダリア、何匹かお願いしてもいい?」
「ピィ!」
「ありがと、じゃあ行くよ!」
触腕を伸ばすダリアと同時に、発現させた槍を投擲する。
突然の攻撃に素早く対応できず、2匹がダリアの腕に絡めとられていく。
でも私が放った槍は、中でもひと際大きな狼に牙で弾かれてしまった。
「……っ!」
更に触腕を伸ばすダリア、それを躱しながら彼らはその牙をこちらに向けてくる。
突貫してくる狼に対し、タイミングを合わせて腕を振る。
何も持たない状態から勢いよく振った腕が前に来た瞬間、斧を発現させた。
「ヴォゥ!?」
真横から斧の直撃を胴体に受け、狼が大きく飛ばされていく。
地面を3回ほど跳ねて止まると、弱々しく立ち上がり始めた。
「ピィ! ピピィ!」
ダリアが激しく鳴いている。
何事かと思って振り向くと、他の2匹が私に向かってきている。
ダリアの体の中には、最初に捕えた2匹と更に追加でもう1匹が納まっていた。
追加の1匹は、恐らく私に向かうのを阻止しようとして捕らえたのだろう。
「大丈夫!」
両手を前に突き出し、接触までのタイミングを計る。
「……!」
少し早かったが、それでも効果は十分だった。
突如出現した武器を手のひらの前に出し、自分を土台にする。
その武器たちに突っ込み、狼2匹は綺麗な串刺し状態になった。
地面に崩れ落ちた後も少しもがいていたが、すぐに動かなくなる。
衝突の衝撃に、肩が外れるかと思ったがそれほどダメージはない。
まだいける。
「次!」
横を向くと、先ほど斧で殴りつけた狼の前に、魔術陣が構築されている。
「魔術……!?」
狼が大きく口を開き嘶く。
それと同時に、魔術陣から炎の塊が射出される。
「はや――」
射出された塊は、躱す暇がないほどの速度でローズの元へと向かう。
爆発と共に少女の体は後ろへと吹き飛ばされ、地面を転げまわった。
それと同時に、何かがガインと音を立てて落ちる。
「ヴォフ!!」
仕留めるチャンスとでも言わんばかりに、狼はその体を震わせローズの元へと疾走する。
そして勢いよく飛び掛かる。
その喉元を食らいちぎるため。
「残念でした!」
寝そべったまま複数の槍や剣を発現させ、斜めに地面に突き立てる。
猛スピードで向かってきた狼は、見事にその武器たちに貫かれた。
武器と共に地面に倒れた狼は、その鋭い眼光でローズを見つめる。
怒りでも、悲しみでもない。
まるで憐れむような眼差しで、事切れるその瞬間までずっと見つめ続けていた。
「…………」
すぐに周囲を警戒し、他の脅威が残っていないか確認する。
見えるのはダリアの中でもがく狼3匹だけ。
全部倒せた……?
先ほど火球が着弾した地点には、分厚いプレートメイルがそのほとんどを失った状態で転がっていた。
火球が自分に届く前に、装着しない状態で鎧を前方に発現させていたのだ。
もし火球が自分に当たっていたらと思うとゾッとする。
手早く消化を終わらせたダリアが近くに寄ってきた。
「やったねダリア! シルバーウルフに勝てたね!」
「ピッピピィ!」
格上だと思っていた相手に対しての快勝。
自分の力が通用したという実感が、何よりも嬉しかった。
格上相手への勝利という事であれば、既に達成していたがローズは気づかない。
先日襲ってきたトカゲを、上層の魔物だと勝手に決めつけていたからだ。
普通に考えて上層の弱い魔物が、下層から来る魔物に追われながら下層へ逃げてこられるはずがない。
つまり、少なくとも中層かそれよりも下の魔物が、やり過ごしながら逃げてきたということになる。
勿論その中でも、生存競争に勝ち残れない比較的弱い種なのだろうが、それでも上層の雑魚ではない。
既にローズは、実力だけなら青プレート以上と言っていい状態だった。
そんな事には全く思考が及ばないローズは、発現させた武器類を全て霊装化し仕留めた狼の肉を捌いていく。
大事な栄養源。
可能な限り持って帰りたい。
「よし、こんなもんかな。もう少し進んでみようダリア」
「ピ!」
ひとつの脅威に打ち勝ち、成長したと意気込みながら先へ進む。
トカゲやシルバーウルフ。
少し大きめの蝙蝠のような魔物。
それら数体を危なげなく倒し、調子に乗って更に進んでいく。
かなり大き目な空間に出ると、その先には上へと続く階段があった。
「ダ、ダリア! 階段! 階段あったよ!」
「ピィ……!」
ダリアが何かを警戒している。
始めは階段に目が行って気づかなかったが、空間の中央に黒くて丸い物体が鎮座していた。
それは、ウネウネと花開くように触手を上に広げていく。
次第にウネリは大きくなり、花弁が盛り上がり始める。
それは脚となり、腰となり、胸となり、腕となる。
最後に首から上を作り出すと、丸く何も映し出さない白い瞳がこちらを見据えている。
口からは紫色の瘴気を吐き出し、異形の魔物は不気味な笑みを作る。
「なにあれ……」
明らかな敵意を感じる。
邪悪さと醜悪さを無理やり圧し留めたかのようなそれは、突如奇声を上げた。
「キイイアアアアアアアアアアア!!」
「――!?」
咄嗟に耳を塞ぐ。
とてもとても不快な音。
聞いているだけで皮膚をえぐられているような気がする。
ぷつぷつと鳥肌が立ち始める。
すると、腕の毛穴という毛穴から、黒い液体が流れ始める。
「え!? なに!?」
耳を塞ぐ手を離し、自分の腕を触り異変を調べる。
だが、原因は分からない。
黒い液体は止めどなく溢れてくる。
「いや! いや! いや!」
腕を必死に擦りながら状況から逃れようとする。
だが何も変わらない。
依然として噴き出してくる液体がボコボコと小さな気泡を作り始めた。
そこから、細くて小さな触手が生え始める。
それは腕の上でワラワラと動き続け、腕全体を覆っていく。
「い、いやああああああ!!」
「――ピピィ!!」
何かに頬をぶたれ、全身に衝撃が伝わっていく。
「ピピィ! ピィ! ピキィ!」
「ダ、ダリア……?」
横のダリアを一瞬見るが、すぐに自分の腕を確認する。
そこには、いつもの腕がある。
黒い液体も出ていないし、触手も生えていない。
「幻覚……?」
「ピィ!」
幻覚を見せられていた。
ダリアが正気に戻してくれたんだ。
中央の異形を睨みつけると、それはおちょくるように腕を伸ばし、その上に作った小さな触手をうねらせて見せつけてきた。
「ひぐっ……!」
してやられたという怒りよりも、さっきの映像が焼き付いて頭から離れない。
すると、状況を考えてなのかダリアが私の体を包み込んで移動を開始した。
階段の方ではなく、拠点のあった方角へ。
我々では倒せないと判断したのか、それとも私が無事では済まないと判断したのか。
分からないけれど、撤退は間違っていないと思う。
少なくとも私は戦えなかっただろう。
恐怖が沁み込んでしまって、動けなかっただろう。
何度自分を振るい立たせても、何度決意を固めても、その悉くを折りにくる。
これがダンジョン……。
ダリアは道中にいた魔物たちを軽く蹴散らしながら、ローズと共にあの家まで戻った。




