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 レオンが政務の手をとめたのは、昼下がりだった。側近の一人である文官に、謁見を希望する者がいる、と恭しく対応を求められた時である。

「今日、来客があるとは聞いていなかったが」

 王宮の中央・東側にある星屑の塔の三階にある執務室で作業をしていた彼は、執務机の前に膝を折って用件を告げた齢三十になる文官・カールを、怪訝に見やった。

 王太子である彼の一日は、事前に定められている。朝にその日の予定を聞き、その通りに動くのが彼の役目でもあると言えた。

 もちろん、レオンの気分によって予定が変わる日もあるが、彼はそういった行動をほとんど取らない。

 彼の行動範囲が変わるだけで、警備体制は変更を余儀なくされ、部下にもろもろの負担がかかることをよく承知していたからだ。

 彼が予定を狂わせるのは、いつだって彼の婚約者・ニーナに関わる事項ばかりだった。

 レオンが執務を始めた三年前から側近であるカールは、ゆっくりを顔を上げ、にこやかに応じる。

「はい、その予定でありましたが、なんでも謁見を求めているのは、未来見だとか。未来見が訪ねる時、人はそれを拒んではならぬ、というのがこの世の習わしでございますから――」

「――……」

 レオンは微かに驚きを表情にのせ、カールはその反応を見逃さず、おや、と小首を傾げた。一つに束ねられた、彼の漆黒の長髪が、さらりと揺れる。

 この世で未来見は、特別な存在だ。

 古くから未来の吉兆を告げに来る魔法使いと知られており、その言葉は絶対に違わないとか。

 魔法使いがいないレーゲン王国に、この未来見が訪れた歴史はない。しかし周辺各国では確かに来歴が残されており、それが王家に訪れた際、繁栄と滅亡が占われるとされていた。

 未来見が王家の滅亡を告げれば王家は滅び、繁栄を約束すればその通りになるのだ。

 また未来見の対面を拒めば、呪われるとも言われ、未来見を名乗る者の前では、たとえ王族であれど謁見を拒まないのが常識である。

 未来見が来たとあっては、王族は動揺するのも当然。しかしレオンが動揺を見せた理由は、もっと別の所にあった。

 彼の脳裏には、数日前、自らの婚約者――ニーナを自身の姫だと抜かして消えた、ふざけた魔法使いの姿が鮮明に蘇っていたのである。

 常に感情を表に出さないよう努めているレオンは、己の動揺が悟られたのを悔やみながら、落ち着いた声で尋ねた。

「……未来見は、私に会いたいと言ったのか? 父上ではなく、王太子にと?」

「レオン殿下にお会いしたいと、申したそうでございます」

「その()は……いや、いい。では対応しよう」

 未来見の姿かたちを事前に確認したい衝動に駆られたが、よくよく考えれば、カールは未来見が男だとは一言も言っていない。宴の夜の出来事は、幸い誰の目にも触れておらず、自身の胸に秘めると決めていた彼は、藪蛇にならぬように口を閉じた。

 あの夜、ニーナは人気のない庭園で、他の男に抱き寄せられていた上、こめかみにキスまでされていたのである。

『霧向こうの国』の血を宿すニーナの立場は弱く、浮気だなどと噂が立てば、即レオンの婚約者から引きずり降ろされるのは、火を見るより明らかだった。

 それだけでなく、投獄まであり得る。

 レーゲン王国では、女性の浮気は犯罪とされているのだ。法改正を検討しているが、議会を統べるのは頭の固い老人が多く、一朝一夕にいかなかった。

 こんな環境下でニーナを婚約者に据えられたのは、レオンの長年にわたる根回しと、国政への十二分の功績があったからである。

 異文化を取り入れようとしない堅物たちに、ニーナには益があると認めさせるのは、実に骨折りだった。散々話し合い、最終的にネーベル王国と国交を開いて文化交流を持ち、新たな技術を手に入れて文明の進化と利益を図るという計画で、納得を得られたのだ。

「事前に私も確認して参りましたが、随分と若い未来見でしてね。殿下がお好きそうな、不思議な髪色をしておりましたよ」

 レオンが上着を羽織るのを手伝いながら、カールは余計な口をきく。レオンは半目で側近を見返し、淡々と言い返した。

「カール。俺は別に、ニーナの髪色が珍しいから、彼女を婚約者に置いたのではない」

「しかし、お好きなのは確かでしょう?」

 ふふふ、と黒い瞳を細めて問われ、レオンは嘆息する。

 カールは、差別的な意味を込めて揶揄しているのではなく、いらぬ茶々を入れるのが趣味なのだ。表情が変わらない主人の顔に、感情を乗せようと日々試行錯誤していた。

 感情を表に出さないようにしているとわかっているくせに、大変面倒臭い性格の側近である。

 レオンはちらっと執務室の扉前に目を向けた。日に焼けた茶髪に、碧の瞳を持つ近衛副隊長のハンネスが、無表情ながら、警護につく意向であると、目線で応じる。

 彼に頷き返し、レオンはカールに向けて、微かに笑った。

「まあ、彼女の髪色が美しいのは事実だ。否定はしないよ、カール」

 陽が射せば、光を反射する湖畔の水面ように輝き、風に揺れれば見事な扇型に広がる。あの髪は、美しい以外の表現が見当たらなかった。

 レオンが表情を柔らげると、カールは目を丸くし、次いで嬉しそうに、相好を崩す。

「左様でございますか。いやはや、当てられてしまいますね、ハンネス?」

「……私は、今回の殿下のご婚約には反対しておりますから、なんとも申し上げられません」

 齢二十の年若い近衛兵は、顔をしかめ、視線を逸らした。

「おや、まだ考えを改めませんか。お若いにもほどがありますねえ、ハンネス。齢二十で近衛隊副長にまで任じられた優秀な武官が、嘆かわしい。殿下がお選びになったご令嬢ですよ。主人を軽んじなさいますな」

 常に笑っている地顔と、柔らかな口調のおかげで幾分軽減されているが、カールは容赦なくハンネスを窘める。

 カールと同じ期間、レオンの側仕えをしているハンネスは、カッと頬を染めた。

「私は決して、レオン殿下を軽んじているわけではありません。ただ、妖精の血を宿す者を妻に置くことは、殿下の将来に悪影響があると……っ」

「それがおこがましいというのです。まったく、貴方はニーナ嬢と少し話をしてみるべきだと申しましたが、一度でも彼女と会話をなさいましたか?」

「それは、タ、タイミングが……」

「貴方は常に殿下のお傍に侍っているのに、ただの一度も年若いご令嬢と話をする機会を作れなかったのですか? 木偶の坊でもあるまいし、もう少し上手にお振る舞いなさい。そんなだから、未だに恋人の一人も作れぬのです。ベック侯爵家の長男が情けない……」

「お、俺は……!」

 ハンネスが呼称を私から俺に変え、レオンは、あっという間に彼から平静を奪ったカールを横目に見やった。

「カール。主義主張は人それぞれだ。私が是と言えば全てが是だというわけではないと、何度も言ったぞ。……そう、ハンネスをいじめて遊ぶな」

「は……っ?」

 遊ばれていた自覚のないハンネスは目を見開き、カールは袖口で口元を覆って、くすくすと笑う。

「バレておりましたか。若者を揶揄うのは、面白くていけませぬ……」

「ハンネス。お前も難しく考えるな。私は誤った選択をしているとは思っていないが、お前を否定するつもりもないよ」

 鷹揚に彼の肩を叩き、カールが開けた扉から廊下に出る。レオンの動きに遅れ、慌ててあとをついて来たハンネスが、ぼそっと言った。

「私は、殿下の後ろ盾のためにも、アメリア嬢こそが相応しいと……」

 議会の最大派閥の筆頭である、内務大臣を務めるベルクマン侯爵の後ろ盾は、アメリアを娶ってこそ得られる。

 それは誰の目にも明らかな事実であったが、レオンも承知の上で、ニーナを選んだのだ。

「――これ、外で余計な口をきくでない」

 室内での雑談と、誰が聞いているかわからない廊下では、会話の内容は選ばれる。

 カールが短く咎めると、ハンネスは唇を引き結んだ。

 レオンはハンネスを振り返らず、冷えた眼差しを正面に据え、謁見の間に向かった。

 自らの近衛兵ですら、この婚約に賛同しているわけではない。

 これが、レオンとニーナが置かれた現実だった。


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