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 立派な口髭を蓄えたその壮年男性は、ホールの中央でぎこちなく踊る愛娘を見つめ、至極満足そうに頷いていた。

 彼の周囲に集う取り巻きも、終始彼の愛娘・アメリアを褒め称える。

「いやあ、見事なものですねえ。大変愛らしいステップだ」

「ドレスもこの宴にいる誰よりも素晴らしい」

「初めてのダンスを殿下に申し入れられるとは、さすがベルクマン侯爵のお嬢様」

 内務大臣を務める彼の周りでは、賛辞しか聞こえなかった。

 ベルクマン侯爵から数歩離れた後方に立つニーナは、彼らの会話を聞くともなく聞きながら、生気のない眼差しで二人を見つめる。

 アメリアが好きなピンク色のドレスは、確かにこの会場で一番に目立つ、上等な品だった。これでもかと宝石をちりばめ、絹やレースをふんだんに使っている。

 ハニーブロンドの髪によく似合う、鳥の羽とバラを使った髪飾り。頬を染め、一心にレオンを見つめる表情は愛らしく、恋する乙女そのものだった。

 アメリアの、社交界デビューの宴である。

 彼女のデビューは、タイミングを計ったかのように王宮で催される宴がその席となり、多くの諸侯貴族に深い印象を残そうとしていた。

 宴が始まってすぐ、レオンは会場入りしたベルクマン侯爵家の人々に近づき、自らアメリアをダンスに誘った。

 事前にアメリアから相手をねだられていたとはいえ、婚約したばかりのニーナを置いて、他の令嬢と最初にダンスをするのは異例。

 それも、今日はレオンがニーナとの婚約を発表してから、初めての宴である。

 本来なら、もう少し早くレオンとニーナは共に宴に参加するはずだったが、彼の予定が合わず、あれから一か月たった今日が初めての公の日となったのだ。

 今宵のファーストダンスは、ニーナとするのが筋では、と考える参加客も多く、婚約者のいとこを選んだこのちぐはぐな光景に、人々の関心は集中していた。

 やはりレオンの婚約者は、アメリアになるのでは――と勘ぐりの目を向ける者は多い。

 実際、ベルクマン侯爵が自らの娘を婚約者に勧めていた話は誰もが知るところで、この事態は彼らの好奇心を煽るばかりだった。

 ベルクマン侯爵たちと一緒に会場入りしたニーナは、入場後すぐにダンスが始まってしまい、レオンとはまだまともに話もできていない。

 白地に青の差し色が入った衣装に身を包んだ彼は、今宵も眺めているだけでため息が零れそうな、見事な美丈夫だった。

 外見は誰よりも秀で、心根は優しく、聡明な王太子。

 ニーナの心を奪って離さない王太子の瞳には、今のところ、アメリアしか映っていない。

 ――でも、これが運命なの。仕方ないのよ。

 悲しくて胸が潰れそうになっているくせに、ニーナは達観した振りをして、自分を誤魔化した。

 ニーナは愛娘に見入るベルクマン侯爵を見上げ、ふう、と吐息を零して背を向ける。

 平然とした表情で二人を眺めていたが、ぽつねんと一人立っているのは苦しかった。

 隣国の髪色を持つニーナは、宴の席ではいつも目立つ。

 王家に近くなればなるほど、差別する者は減る傾向にあるが、王家に近くとも、ベルクマン侯爵のように頑強に隣国を嫌悪する者も少なくないのだ。そういった人々の目を憚り、話しかけてくる人はほとんどいなかった。臆面もなく話しかけるのは、レオンが所属する王立軍第一部隊の兵くらいで、今宵の宴に彼らは見当たらない。

 ニーナは衣擦れの音だけを残して、誰にも告げず、会場を後にした。ベルクマン侯爵に外の空気を吸いに行くと伝えようかとも思ったが、大切な愛娘のファーストダンスだ。アメリアの姿を記憶に焼きつけるのを邪魔したら、あとで何様のつもりだ、と打たれるのは想像に容易かった。



 レーゲン王国の王宮は、数多の塔からなり、それぞれの塔の間には必ず庭園があった。宴で使う迎賓館と、その隣にある藤の塔の間の庭を、ニーナは物静かに歩いて行く。

 王宮の庭園は、侵入するだけで罰せられる禁域もあるため、案内がなければ移動するのもはばかられる場所だ。しかし九歳の頃から王宮に出入りしているニーナは、勝手知ったる他人の家で、迷いなく歩みを進めていた。

 彼女が向かうのは、迎賓館の喧騒が聞こえるかどうかというちょうどいい距離にある、西宮である。迎賓館の庭を横切り、藤の塔の庭を過ぎたその向こうにある庭だ。

 宴の参加客は、多くは藤の塔の庭辺りまでしか散策しないので、一人になりたい彼女は、そこに向かうしかなかった。

 あちこちに外灯が置かれた王宮の庭園は明るく、身の危険も感じなかった。

 曇った夜空を見上げ、ニーナはため息を吐く。

「――あーあ……。嫌な人生だな……」

 ダンスをするレオンといとこの姿を思い出し、ニーナは涙目になっていた。

 アメリアの横顔はあどけなく、けれど確実にこれから美しくなるであろう片鱗を見せている。

 彼女を見下ろすレオンの眼差しも、穏やかで優しく、慈しむという言葉が似合う表情だった。

 二人の姿を思い出すと、ツンと鼻の奥が痛くなり、ニーナは俯く。視界が涙で揺らぎ、彼女は小さな声で呟いた。

「……これから、どうしたらいいんだろう……」

 ニーナは、よりどころのない不安感に苛まれ、声を震わせる。

 頼るべき家族もおらず、恋人は奪われ、今後の命運は過酷。

 レオンがアメリアと結ばれてしまったあと、彼女に居場所はないのだ。同じ家で厄介になるわけにはいかず、すぐにもベルクマン侯爵家を出て、自立する必要があると言えた。

 ベルクマン侯爵は、ニーナの成人後まで養う義理はないと、初対面の折に明言している。レオンの婚約者となったからこそ、今も同じ家に住まわせてもらっているが、その立場を失えば、追い出されるのは必死だった。

 一人で生きていかなくちゃ、と考え、ニーナはため息を吐く。

「……自信、ないな」

 自らの食費の足しにするため、ベルクマン侯爵に命じられて日々刺繍はしていたから、その腕はあるけれど、それでも一人で家を借り、生きていけるのか、確証はなかった。

 数多の前世の記憶があっても尚、この人生は厳しい。

 他者と違う外見で生まれたのは、今世が初めてなのだ。

 魔物だと恐れられる隣国の血を宿すニーナが、果たして一般市民に交ざり、生きていけるのか。

 地方になればなるほど、偏見は色濃く、生半可ではないのだけはわかっていた。

「何かお困りかな、可愛いお嬢さん?」

 茫漠とした未来に怯えていたニーナは、急に横合いから声がかかり、びくっと肩を揺らす。振り返ると、誰もいないと思っていた西宮の庭園に、もう一人客がいた。

 黒いローブという、見慣れない恰好の青年だ。背はレオンと同じくらいだろうか。

 宴の席では一度も見たことがない衣装に、ニーナは訝しく眉を顰めた。

 声をかけた青年は、警戒心を露にしたニーナの様子に気づく素振りもなく、気楽な手つきで頭からフードを下ろす。にこっと明るく笑って、挨拶をした。

「――初めまして、美しい姫君。お会いできて光栄だ」

 二十歳くらいの青年だった。毒気を抜く、朗らかな笑顔である。

 明るい外灯に照らされた青年の髪を目の当たりにしたニーナは、目を丸くする。

「……貴方……」

 瞳の色は青。レオンよりも年上の、二十歳くらいに見える彼は、銀色の髪を持っていた。

 レーゲン王国の住人の髪は、金色か茶色、または黒色だ。

 この国にはない髪色に、ニーナの瞳に光が宿る。

「……髪が、銀色だわ……」

 青年はぱちっと一つ瞬くと、自分の髪を一束摘み、目を細めた。

「ああ、綺麗な色だろう? 僕の自慢の髪だよ。レーゲン王国の人間にはない色だから、珍しく感じたかな?」

「……あ、貴方は、ネーベル王国の方なのですか……?」

 ニーナは縋るような思いで、彼に尋ねる。生まれて初めて見た、父以外のネーベル王国出身者だった。

 ――もしかしたら彼は、ネーベル王国への行き方を知っているかもしれない。

 そんな思いが脳裏をよぎり、ニーナの胸は期待で満ちた。

 生まれてから両親が死ぬまで、レーゲン王国の国境付近で過ごしていたニーナは、一度も隣国へ行った経験はなく、また行き方も教わっていなかったのだ。

 霧に覆われた門扉は、恐ろしい異形の門兵が守っており、誰も近づけないという噂である。

 彼は歩み寄るニーナを嬉しそうに見返し、肩をすくめた。

「うーん、難しい質問だな。僕はネーベル王国出身だとも、そうじゃないとも言える」

「……」

 とりとめのない返事をされ、ニーナははたと足をとめる。

 今後の身の振り方で頭が一杯だったが、そもそもこの青年はどこの誰だ。

 ローブ姿の、人懐っこい笑顔が印象的な青年。しかしよく考えてみれば、レーゲン王国内では、そんな服装の人を見た経験はなかった。

 ――この人……不審者かしら。

 疑わしさを覚えた彼女は、万が一王宮の宴の招待客であった場合を加味し、膝を折る。

「……私はベルクマン侯爵の姪・ニーナと申します。失礼ですが、お名前をお伺いしても?」

 スカートを持ち、ゆったりと挨拶をすると、彼は表情を明るくして頷いた。

「うん。いい判断だね、ニーナ。見知らぬ人には、まず名を尋ねないとね」

 随分と親しみの籠った話し方である。まるで以前から知り合いだったかのように感じさせる、柔らかな口調。

 ――どこかで、会ったのかな……?

 頻繁ではなくとも、それなりに宴に参加していたニーナは、過去に会った人だったのだろうか、と若干心配になった。一度挨拶を交わした人ならば、再び名前を尋ねるのは失礼にあたる。

 青年は記憶を遡ろうとしていたニーナの元へ歩み寄り、その場に膝を折った。

「えっ」

 ただの挨拶に、普通、膝は折らない。これは身分が上の者の時や、男性が女性に許しを乞う時に使う、最上級の挨拶だった。

 待ってと、とめようとするも、彼は流れるようにニーナの手を取り、その甲に口づける。

「お会いできたことを、心より嬉しく思います。我が名はギード。貴方を幸福にするべく、神より遣わされた使者です」

「……へ?」

 突拍子もない挨拶に、ニーナは目を点にした。

 ギードは悪戯っぽく笑って立ち上がり、手を引く。

「悲しそうに俯く君を、笑顔にしたい。――ニーナ。今夜は僕が、この空を晴れにしてあげる」

 彼がもう一方の手をすっと空に向けると、風がさあっと通り抜け、空から光が差した。

 ニーナは目を瞬く。

 薄い雲に覆われていた空が、すっかり晴れ渡っていた。

 まるでギードが魔法を使ったみたい、と星空に目を奪われた彼女は、突然腰を引かれ、飛び上がる。

「え、ひゃあっ」

 視線を戻すと、ギードがニーナの手を取り、意気揚々とダンスのステップを踏み始めところだった。

「待っ、待ってください、あの……っ」

 彼の勢いに流され、ニーナはなんとかステップについて行く。ギードは楽しそうに笑い、ニーナの顔を覗き込んだ。綺麗な青い瞳と間近で視線が絡み、心臓が跳ねた。

「ニーナ。君は今、幸福かい?」

「――」

 きん、と心臓が冷えた。同時に脳裏をこれまでの前世が駆け巡り、ニーナの表情は曇る。

 今世ではきっと、レオンはアメリアを選ぶのだ。運命を悟った今、彼女は決して幸福とは言えなかった。

 アメリアとレオンが踊る姿も思い出し、ニーナは悲しく瞳を潤ませる。

 その表情に、ギードは眉尻を下げ、空を見上げた。

「ああ、君の心が曇ると、空も曇るね……」

 ニーナはさっと空を見上げ、息を呑んだ。

 ギードの言う通り、ニーナの気持ちに呼応するかのように、一度は晴れた空が雨雲に覆われ始めていた。

 ――やっぱり、私には魔力があるの……?

 ニーナの体には、妖精の血が半分流れている。ベルクマン侯爵が厭うこの血を、ニーナは恐れていた。

 ニーナの父は、魔法が使えた。

 彼はよく、魔法を見せてくれた。

 咲いた花を永遠に咲かせ続ける魔法。部屋に星屑をばらまいて、おとぎ話を聞かせてくれたり、風に乗る魔法を見せてくれたり。

 しかしニーナは、外見こそ隣国の血を持つ者であったが、その身に魔力を宿していなかった。

 だからこそベルクマン侯爵は、ニーナを引き取ったのだ。



 五歳の折に事故で両親を失い、初めて顔を合わせたベルクマン侯爵は、両親の棺の傍らで泣くニーナを見るなり、不快気に顔を歪めた。

『お前がフィーネの娘か? ――なんだ、その卑しい髪の色は』

 母の名を呼び捨てにする彼が誰なのか、最初、ニーナにはわからなかった。ただ彼が、自分を嫌悪しているのだけは、その表情からわかった。

 父親譲りの髪を睨みつけられ、ニーナは返答に窮する。黙り込んでいると、彼は眉を吊り上げた。

『よもや、言葉がわからないなどと言わんだろうな。舌はないのか。挨拶をしろ。恥知らずの妹が残した子供を迎えてやろうという私に、感謝の言葉はないのか』

 そこでやっと、彼が母の兄なのだと気づく。母は滅多に生家の話をしなかったけれど、気難しい兄がいると、以前少しだけ聞いていた。

 幼いニーナのために、葬儀まで寄り添ってくれていた憲兵が、微かに顔を顰める。憲兵はニーナに手を差し出し、立ち上がらせながら声をかけた。

『ニーナちゃん。彼は君の叔父上の、ベルクマン侯爵だ。レーゲン王国の内務大臣を務めていらっしゃる、素晴らしい身分の方だよ』

 彼は、ニーナの両親の馬車が崖から落ち、その事後処理をした担当官だった。たまたま乗り合わせていなかったニーナのために、身寄りを探して、ベルクマン侯爵を連れて来てくれたのだ。

 立ち上がったニーナは、不機嫌なベルクマン侯爵の雰囲気に委縮しつつ、挨拶をする。

『……初めまして。ニーナと申します、叔父様』

 さらりと青い髪を揺らして膝を折ったニーナに、ベルクマン侯爵は目を眇めた。

『ふん。挨拶くらいはできるか。それで、お前はあの男と同じく、その身に忌まわしい魔力を持っているのか?』

 魔力が忌まわしいものと聞いたのは初めてで、ニーナは困惑する。両親が愛したニーナの髪や、魔法を悪だと言わんばかりの彼に混乱しつつ、彼女は首を振った。

『魔法は、使えません……』

 外見は父に似ていたのに、ニーナは全く魔法を使えない少女だった。

 父のように魔法が使いたいと思っていたニーナは、残念な気持ちで項垂れる。

 しかしベルクマン侯爵は、小気味よさそうに頷いた。

『それはいい。魔力を持っていたのなら、人目を忍んでお前を殺さねばならんところだ。余計な手間が省けた。……もっとも、お前を今後養うのも、非常に迷惑な話だがな』

『……魔法が使えたら、殺されちゃうの……?』

 ニーナは恐ろしい言葉に目を見開き、怯える眼差しを隣に立つ憲兵に向ける。子供ながらに、彼の方がベルクマン侯爵よりよほど信頼できると思った。

 憲兵は困った顔で微笑み、首を振る。

『殺さないよ。でもこの国の人は、魔法を怖がる人が多いから、君を預かる場所は特別な場所になってしまう可能性もあったと、ベルクマン侯爵はおっしゃっているんだよ』

 憲兵は、上手にベルクマン侯爵の極論を訂正した。

 ベルクマン侯爵はニーナに言い聞かせる憲兵を横目に、吐き捨てる。

『まったく、どうせ逝くのならば、一家揃って逝けばよかったものを。こんな髪色の娘、引き取ったところで、恥ずかしくて外にも出せぬ! いっそ孤児院に入れてやろうか』

 ベルクマン侯爵が声高にぼやくと、彼の隣に寄り添っていた叔母が、淡々と口添えた。

『引き取らないのも、外聞が悪いでしょう。貴方は内務大臣を務めていらっしゃる、ご立派な方ですから、足を引っ張ろうという者もおりましょう』

 ベルクマン侯爵は眉根を寄せ、それもそうか、と顎を撫でる。ニーナを睨みつけ、忌々しげに舌打ちした。

『では、お前が成人するまでは養ってやろう。養子にはせぬ故、それ以降は即刻我が家を出て行くがいい!』

 彼は、ニーナを引き取ることに決めたようだった。


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