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 日が沈み、王宮は灯火に照らし出され始めていた。

 藍色の空には星が瞬き、昼間は軽やかに鳴いている鳥たちの声も聞こえない。

 風のざわめきに、王宮内を流れる水音、そして人々の足音と話声のさざめきが響いた。

 広々とした王宮の庭園を歩いていく人々の衣装は、白地に金の刺繍が入るローブだ。

 彼らが向かう先は、星湖である。

 人々の手には色とりどりの花が握られ、皆一様に期待を込めた瞳で先に向かっていた。

 普段は王族しか入れないその聖堂に入れるだけでも嬉しいのだ、とはザシャの説明だ。

 レオンを迎える際に着ていた、王族用の衣装に身を包んだニーナは、やっぱり布地が開いた肩口を気にしながら、部屋を出る。

 頭には銀の(かんざし)と、五色の宝石を使った髪飾り。耳には月の形を模した大きなイヤリングが垂れ下がっていた。

 首から細い金のネックレスがいくつも下げられ、指輪も複数はめられている。

 花の髪飾りこそないものの、実に派手な仕上がりで、ニーナは落ち着きなく己の肩を自分で抱いた。

「やっぱり、これは露出が多いと思うの……」

 リーザが開けた扉前で待っていたザシャは、恥ずかしがるニーナを一通り見やり、平然と応じる。

「そうでもないよ……。だよね?」

 ザシャに同意を求められたのは、彼の傍らに立っていたレオンだ。

 部屋から聖堂までを、彼も随行してくれるらしい。

 レオンは胸の前で腕を組み、真顔でニーナを見ると、短く答えた。

「ああ」

 是とも否とも言わぬ返答の仕方に、ニーナは疑わしく彼の顔を覗き込んだ。

「本当に? 破廉恥だと思わない?」

 ニーナが近づくと、レオンは「う……っ」と呻き、視線を逸らす。

「いや、その……いいのではないだろうか。確かに今まで君が着ていたドレスとは異なるが、似合っていると思う。……俺は好きだ」

「……そう」

 ニーナはぽっと頬を染めた。

 レオンがこうして、小さく呻いたり、戸惑いを僅かでも外に出すのは珍しい。

 そして長年の経験から、ニーナはこれが、彼が自分を異性として意識している反応なのだと知っていた。

 レオンをたじろがせるくらいには、悪くない見目なのかなと思え、少し嬉しい。

 ザシャがふっと薄く微笑み、傍らに立っていた侍女の手から絹の肩掛けを受け取った。

「でも儀式の最中、この肩掛けは落とさないようにね。そのドレスは、水に濡れたら肌が透けるから」

 ザシャに肩掛けを羽織らされ、ニーナはぎょっとする。

「これ、透けちゃうの⁉」

 成人の儀は、星湖の中に衣服を着たまま歩み入り、湖の中心で神に祈りを捧げると聞いていた。その過程で、簪を抜き取り、人差し指に傷をつけて血を湖に垂らさねばならない。

 薄布だが、いくつも布地を重ねたドレスだから、濡れても平気だろうと考えていたニーナは、焦った。

 だがザシャは事もなげに頷く。

「そう、透けちゃうんだよ。とても美しくなるのだけれど、目の毒にもなりそうだから」

「ちょっと待て。どういう意味だ。俺は自分の婚約者の肌を、他の男に見せてよいと考えるほど、心は広くないぞ」

 レオンが眉を顰め、ザシャは口角を上げた。

「だよね……。君の国って、貞淑を好むものね……。まあでも、今彼女がいるのは、ネーベル王国だから、ご寛恕くださいとしかいえないかな……。この儀式は、重要なんだ。成長する魔力の暴走を、安定させるためのものだからさ……」

「……宗教的な物じゃないのか?」

 儀礼的に行う行事ではないのか、とレオンが尋ねると、ザシャは肩掛けをニーナの肩口でまとめながら、何気ない調子で答える。

「宗教的だよ。僕らネーベル王国の民は、古の時代に神と契約を結び、その末裔に至るまで魔力を身に宿すようになった。魔力を宿す妖精の血を、わけ与えて貰ったんだ。そして我らは、十七歳で成人した折に、必ず神に血を捧げる。身に宿る魔力の一部を神に返し、我ここにあり、と示すんだ。末裔の存在を認識した神は、その器に相応しい魔力を残し、余分な力を取り上げる。そうしてネーベル王国の民は、暴走しない、安定した魔力を保持し続けられる、というわけ」

「……それは、実話か?」

 ニーナも初めて聞いた内容に、同じ疑問を抱いた。

 神話としてなら受け入れられるが、実話としてだとすると、少々突拍子がない。

 どちらだ、と問われたザシャは、片眉を下げた。

「……さあ。僕は神に会った経験はないから、よくわからない。でもこれをせねばならないのだ、とは思っているよ。この身の芯に、刻まれている義務感と言おうか。王族である僕は、この伝統を決して損なってはならぬ、と漠然と感じているんだよ。魔力が安定するのも、事実だしね……」

「……なるほど」

 ネーベル王国は、他国と全く違う。

 見たことのない巨木に、色鮮やかな鳥たち。生活の全てに魔法が存在し、民はその中で他にない文明を築き上げ続けていた。

 そんな国なら、ザシャが言った昔話も、あり得るのかもしれない。

 否定する材料もなく、二人ともに黙ると、ザシャは少し困った顔をした。

「ただ、この儀式は少し、怖いところもある」

 彼はニーナの髪を肩口から払いのけ、彼女と視線を重ねる。

 きょとんと見返した彼女に、にこっと笑んだ。

「――時々、神は人の子をさらうんだよね」

 ニーナは目を丸くした。

「……儀式の時に? 攫うの? 儀式をしている子が、いなくなるということ?」

 ザシャによれば、王族でなくとも、成人の儀は各地域で大々的に執り行われる。

 多くの衆目を集める中で実施される行事の最中に、人がいなくなるなんてあり得るのか。

 驚きを隠せないニーナに、ザシャはうん、と頷いた。

「そう。気に入ってしまったら、連れ去る。儀式の最中に深い霧が生まれ、人の目がその子を見失った瞬間に、忽然と消えてしまうらしい。遠い遠い昔だけれど、そういう記録が残っているのも、確かなんだ」

「そ、そうなの……」

 神の実在を知らないニーナは、そんな不思議な出来事が本当にあるのか、と半ば他人事としてしか理解できない。

 しかし傍らにいたレオンは、一瞬息をとめたようだった。

 ザシャはにこやかに微笑み、ニーナの手を取る。

「まあ、今宵は嫉妬深そうな君の婚約者も、武人もたくさんいるから、きっと大丈夫だよ。レオン殿は、君を攫うために伸ばされた神の手だって、問答無用で斬ってしまうさ。そうだろう?」

 悪戯っぽく声をかけられたレオンは、はっとザシャに目を向け、表情を消して頷いた。

「――当然だ」

「そうでなくては。だからこそ、君たちには帯剣を許したのだからね……。まあ、儀式の最中は、決して水に入ってはいけないから、武力でどこまで守れるかはわからないけれど……」

 儀式の最中に他者が水に入ると、儀式そのものが失敗に終わるから、と呟き、ザシャはレオンの剣に目を向ける。

 急ごしらえで来たレオンは礼装の用意がなく、儀式に際し、自国の軍服で参加する予定だった。

 その腰に佩いた剣に触れ、レオンは眉を顰める。

 ニーナは、思いのほか本気で警戒している雰囲気の二人に、おろおろした。

「……えっと。そんなに、神様が出て来てしまう可能性が、高いの……?」

 神の実在もあやふやなのに、と戸惑うと、ザシャは小首を傾げる。

「さあ、どうかな……」

 レオンはニーナを見やり、その髪に手を伸ばす。彼女の髪には、先日レオンから贈られた、魔よけの髪飾りがつけられていた。

「大丈夫だ。きっと何も起こらない」

 そう言って甘く微笑み、レオンはニーナ抱き寄せる。

 そっと頬に口づけられ、穏やかな愛情表現に、ニーナは頬を染めた。

 昨日、ニーナはレオンと一緒にクレーメンスの元を訪ねている。

 やはり結婚はレオンとしたい、と伝えると、クレーメンスはとても残念そうにため息を吐いた。しかしニーナがそれを望むなら、と渋々了承してくれたのだ。

 けれどレオンの妻になるのなら、住まいは離れてしまう。

 それならば、より強い縁が欲しいと言って、彼は自分の娘になるようニーナを説得した。その方が今後も、自身が後ろ盾として動きやすいからと諭され、レオンもそれを望んだので、ニーナは今日、ザシャと兄妹となるのである。

 急に父や兄という家族が増え、孤独でしかなかったニーナは、はにかんで笑った。

「でも、嘘みたい。家族までできてしまうなんて、とても嬉しい」

 本心を零すと、ザシャはふふっと笑い、レオンはぎゅっとニーナを抱きすくめる。

 彼の腕の逞しさにほっとして、ニーナは小さく呟いた。

「……大好きよ、レオン」

 幼い子供の頃と変わらず、気持ちを言葉にすると、彼は腕の力を緩める。

 にこっと見上げるニーナに眉尻を下げ、とても優しく微笑んだ。

「……愛してるよ、ニーナ」

 レオンの背後に控えていたカールが、嬉しそうに微笑み、ハンネスは視線を逸らす。

 彼らの反応を一通り眺め、ザシャは手を差し伸べた。

「それでは行こうか、ニーナ」

 ニーナはザシャの手を取り、儀式を執り行う聖堂へ向かった。



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