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「先ほどのお話はどういう意味でございましょう。ニーナ様が殿下に陥落なさったのだけはよくわかりましたが、今世やら何やら、おっしゃっていた内容が、私共にはさっぱりわからぬのですが」

 レオンは足音高く回廊を渡りながら、つき従ってくるカールに端的に応じた。

「気にするな。恋人同士の睦言だ」

 前世の記憶があるなど、誰に話しても信じるはずがない。

 ニーナ当人にすら、話しても理解するはずがないと信じ、これまで一度として前世の話はしてこなかった。

 しかし彼女はレオンと同じく数々の前世の記憶を残し、憤っていたのだ。

 ――浮気者と。

 レオンは、彼女のために自分がしてきた行いの真意が何一つ伝わっておらず、彼女からしたら不貞でしかなかったのだと、今になって気づいた。

 涙を零して悲しかったと訴えられて、申し訳なさと一緒に、抑えきれない高揚が全身を襲った。

 彼女の想いを踏みにじりながら、彼女の心はどこまでも己で染められていると実感し、歓喜していたのである。

 ギードでも、ザシャでもない。彼女は己のものだと確信したのだ。

 ニーナは、笑顔がとても可愛い。

 しかし嫉妬で涙を零す顔も、実に可愛かった。

 しかもレオンが愛しているかどうかも確信を持っていなかったような口ぶりで、その健気な姿勢たるや、どんな深窓の姫君も驚きの純情さである。

 つまり彼女は、レオンが彼女を想っていないかもしれないと憂いながらも、レオンを想い続けていたのだ。

 命を懸けても彼女を守りたいと思っている彼は、部下の手前、無表情ながら、胸中では彼女をどうしようもなく愛おしく感じていた。

 ――この世に、君ほど可愛い女の子はいない。

 熱い恋情を胸に秘め、ザシャの元へ向かうレオンの背に、ハンネスがぼそりと言う。

「しかし、本当にニーナ様でよろしいのですか。あの議会(・・・・)以降、内務大臣はかなり不満を抱いていらっしゃるご様子です」

「……」

「この度こちらへ参られたのも、なんらかの目的があってのことではないですか」

「……そうだな」

 レオンは、遥か先まで整然と続く、白い大理石で覆われた外回廊の先を見据え、ニーナがレーゲン王国から消えた、あの宴のあとの出来事を思い出した。



 ニーナが髪色を漆黒に染め、連れ去られた宴の二日後、王都では急きょ議会が開かれた。

 ニーナに対する疑義が数多く上がり、議員らは口々にネーベル王国と彼女の関係を疑った。

 隣国とニーナが手を組んで、王家に近づき命を狙っているのではないかと疑う声や、隣国が手を出す前にレーゲン王国から武力行使に出るべきだ、と戦を望む声だ。

 レオンは感情的に声を荒げる議員らの話を静かに聞き、彼らが落ち着くまで何も言うつもりはなかった。

 黙っているレオンに変わり、口を開いたのは、件の宴に同席していた大将軍であるアウグストだ。

 彼はニーナの怯えた様子を説明し、誰よりも声高にニーナの排斥を訴えるベルクマン侯爵に、理由を尋ねた。

 王国への反意を、生前の彼女の父からでも聞いたか、と問うたのである。

 ベルクマン侯爵は侮辱だと激高し、しかしアウグストは冷静に過去四百年、ネーベル王国は他国に侵攻せず、更にはレーゲン王国は法律上、ネーベル王国の住人も人間として受け入れていると正した。

 憚らずニーナを魔物と連呼している者たちに対し、王太子であるレオンの婚約者に無礼が過ぎる、と冷静になるよう求めたのだ。

 彼の言葉にほぼ全ての議員は口を閉じたが、ベルクマン侯爵だけは瞳をギラつかせ、進言した。

『……婚約者は、挿げ替えられるがよろしいと、提言致します』

 静まり返った議場に響いた声に、レオンは静かに顔を上げ、彼を見返す。

 隠しきれない期待を宿した瞳で自分を見つめる彼に、首を傾げた。

『――何故だ?』

 ベルクマン侯爵は大仰に目を見開き、両手を広げて訴える。

『何故ですと? 今、多くの者が怯えているのが、殿下にはおわかりになりませんか? 確かにレーゲン王国は、隣国の者を人として扱っておりますが、実情、多くの民が隣国の者を恐れております。国民の支持を獲得し続けるためにも、殿下には最良の判断をして頂きたい。何より、王太子の婚約者でありながら、突如姿を消すなど、前代未聞。アレは不適格だったとしか申せませぬ』

 ベルクマン侯爵の言は正論であり、レオンが抗うには難しい主張に見えた。

 しかしレオンは、ふっと笑い、殊更に寛容な眼差しを彼に注いだ。

『……いつまで、怯え続けるつもりだ、アヒム』

 名を呼び捨てにされたベルクマン侯爵は、目を見開く。

 レオンは議会の面々に穏やかな眼差しを向け、落ち着いた声で言った。

『民の多くが、隣国の人間を恐れているのは知っている。己にない力を持っているとなれば、当然だろう。だがそれは、魔力を持たぬ人間同士でも同じだ』

 レオンはベルクマン侯爵に視線を戻し、ひたと見つめる。

『弱き者を力で縛り、従わせている者が、この国にいないとは言わせない。一方で、力を持ちながら、それを行使せず、平和に過ごしている者もある』

 折檻をした上、ニーナにはその事実を隠すよう命じている彼の行いを示唆したレオンに、ベルクマン侯爵はぐっと顎を引き、視線を逸らした。

 彼の額に、脂汗が滲む。

 レオンはまた、議員全員に視線を向けた。

『力があるから怖い、と忌避し続けても、その心理は改善されぬ。隣国が事実、領地拡大を望んでいるならば、もっと早く動いていただろう。何せ彼らには力があり、我らを攻め滅ぼすのは容易だ。しかしかの国は今も、門戸を閉め、何者の侵入をも拒み、静寂を保っている』

『し、しかし……っ』

 ベルクマン侯爵が何事か言い募ろうとしたが、レオンはまっすぐに彼を見返し、室内によく通る明朗とした声で続けた。

『――無意味だと思わないか、アヒム。私はこれ以上、ありもしない脅威があると信じ、怯え続ける民の姿を見たくない。今この国が安寧の時にあるからこそ、私は、より安寧の時代へと民を導きたいのだ。それが私の役目だと、考えている』

 議員全員の視線は彼一人に注がれ、国王は瞳を細める。

 レオンはすうっと息を吸い、朗々と理解を求めた。

『賛同してくれないだろうか。私は全ての民のために、隣国との平和的国交締結の交渉に入りたいと、今も尚、望んでいる』

 数秒静寂が辺りを包み込み、賛同を示す拍手が最初はまばらに、そして次第に盛大に巻き起こり、レオンの隣でアウグストが頷いた。

『――うむ。まずます』

 ベルクマン侯爵は顔を赤らめ、明らかに納得のいかぬ顔をしており、全員が全員賛成というわけではなかったが、レオンの答弁により、この日の議会はひとまず、国交締結交渉継続という方針でまとまったのだった。



 ――あの議会以降、ベルクマン侯爵は明らかに株を落とした。

 臆病者である、と聞こえよがしに笑う他派閥の者もあり、彼を支持する者の数は減っていくようだった。

 彼をそんな立場に陥れたのはレオンである。

 なんらかの救済が必要かとも考えたが、レオンはニーナを優先した。

 ネーベル王国から使者が戻り、彼女の所在がわかって、一刻も早く迎えに行きたかったのだ。

 そしてレオンのあとを追うように、ベルクマン侯爵は隣国へ入国した。

 いくら愛娘の願いでも、あれほど毛嫌いしていた隣国まで乗り込むのは不自然。これは、彼自身に何か意図があるのだと考えるのが妥当だった。

「なぜ、アメリア嬢ではいけないのです」

 レオンは足をとめ、不満そうに尋ねるハンネスを振り返る。

 ネーベル王国へ来て以降、彼は周辺を散策し、何か考えているようだが、彼にとっては奇異に映る髪色の人間を遠目に眺めるばかりだ。

 決して会話をしようとしないその姿は、レーゲン王国内での、ニーナに対する態度と何一つ変わらなかった。

 頑ななその姿勢を叱責するのは、容易い。

 しかしレオンは、これは国民の姿だと考えていた。

 ニーナを大らかに受け入れるカールと、決して受け入れようとしないハンネス。

 レーゲン王国の縮図を傍らに置き、レオンはその先へ向かいたいと考えていた。

「……ハンネス。ニーナは誰よりも努力を怠らない。どんな環境でも勉学に取り組み、将来国王となる俺の隣に立ち、支えられるようにと努めてきた子なんだ」

 同じく足をとめたハンネスは、不服そうに言い返す。

「……それは、アメリア嬢も同じで……」

「――本当に、そう思うか?」

 確かにアメリアは、ニーナと同じ家庭教師の元、淑女としての教養を身に着けていた。しかし彼女は、ニーナほどには熱心ではなく、一般的教養のみを学んだ。

 ニーナはレオンに王宮の書物を読みたいと願い、より多くの知識を身につけようと、自らの向上心で動いている。

 それだけではない。

 レオンはハンネスの瞳をまっすぐに見つめ、尋ねた。

「アメリアはこの国に入国するために、何人を犠牲にした?」

「――」

 ハンネスははっと目を見開く。

 レオンは落ち着いた声音で、王族として生きる己の考えを示した。

「俺は、命を軽んじる者をよしとしない。国民の命は全て平等に尊く、身分や力の差により、一方の命が使い捨てられるなど、あってはならぬことだと考えている。だからこそ、上に立つ者はより慎重に、思慮深くならなくてはならない。知らなかった、では済まない。――違うか」

「……それは」

 初めて彼は、その瞳に迷いを見せる。

 レオンは平静そのものの表情で、いつかと同じ言葉を吐いた。

「ハンネス。俺は、自分が誤った道を選択しているとは、思っていない」

「……」

 彼はぐっと言葉に詰まり、俯く。

 まだ気持ちが追いつかない様子の彼を受け入れ、レオンは鷹揚に笑んだ。

「せっかく俺の隣にいるんだ。俺が正しいか否か、傍近くで見極めてくれ」

「……はい」

 ハンネスは掠れた声で、静かに応じたのだった。



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