表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/37


 ノックもなく部屋に入った少女は、ニーナの顎先と腰に触れていたレオンの手が離されていく様を目にし、ぱちっと瞬く。

「……あっ、お、お邪魔しちゃった……?」

 初心な少女丸出しで、彼女は赤くした顔を両手で覆った。

 愛らしい仕草に、レオンは苦笑する。

「他人の部屋に入る時は、ノックをしてから入るようにしなさい、アメリア」

 しようのない奴だ、と呆れ交じりに、しかし優しい声で(たしな)められると、彼女は両手を下ろし、赤い顔ではにかんで笑った。

「はあい! それより、お昼はもう食べた? 今日のお昼は、お父様が狩りで仕留めた鳥を使ったスープなの。一緒に食べましょう?」

 レオンが立ち上がると、彼女はすかさず近づき、彼の腕に飛びつく。

「アメリア。男に抱き着くのははしたないと、何度も言っただろう」

 レオンがその仕草を咎め、腕から彼女を引き剥がそうとするも、手つきは柔らかく、アメリアは嬉しそうだ。

 彼女――アメリアは、ニーナの叔父・ベルクマン侯爵の長女である。今年十五歳になった彼女は、かつてのニーナのように明るく、邪気のない素直な女の子だった。

 血縁上では、ニーナとアメリアはいとこにあたる。しかしニーナは五歳の折に両親を亡くして以降、ベルクマン侯爵家へ引き取られ、アメリアとは一応、姉妹のように育てられていた。

「だって、レオン殿下が来てくださって、とても嬉しいのだもの! ねえいいでしょう?」

 アメリアが甘えた声で言うと、レオンは笑んだ。

「ああ、わかった。だが食事の後は、ニーナと二人で過ごしたいから、邪魔しないと約束しなさい。この間みたいに、ずっとゲームの相手をねだるのはナシだ」

 レオンが、大人びた笑みと、柔らかな口調で要望を伝えると、アメリアはぷうっと頬を膨らませる。

「レオン殿下ったら、アミーを邪魔者みたいに言って、酷い! ねえニーナもそう思うでしょう?」

 自らをその愛称で呼び、アメリアはニーナに同意を求めた。ニーナは、年下のいとこを常と変わらず甘やかそうとして、しかし上手く笑えなかった。頬が引きつり、心臓が速い鼓動を打って、全身が緊張する。体中から体温が引いていき、集中しないと震えてしまいそうだった。

 ニーナの視線は、レオンの腕に絡みついた、アメリアの細腕に注がれる。

 ――やっぱり、貴女よね……。

 何度も繰り返した前世の記憶を思い出し、ニーナはどうしようもない焦燥を覚えた。

 ――レオンはいつだって、彼に横恋慕している女性に心移りする。

 ニーナはいつの人生も、彼に横恋慕している女性に気づいていた。そして絶対に、その女性がレオンを取っていくのだ。

 今世では、それはきっとアメリアだ。

「ニーナ、どうかした?」

 普段のように同意しないニーナを訝しみ、アメリアが首を傾げた。

 その表情を見て、ニーナは曇りそうになる自分の表情を、なんとか平静に保つ。

 アメリアは、可愛らしい女の子だ。屈託もなくレオンに触れ、甘え、懐く。レオンもそれを窘めながらも、きつく叱りはせず、受け入れていた。

 ――きっとアメリアこそが、レオンの心を射止めるのだ。

 ずっとレオンに触れたままでいるアメリアは、時が過ぎる毎に頬を赤くしていく。無邪気を装っていても、好きな異性に触れているから、意識してしまうのだろう。

 その些細な反応さえ、初心で可愛いと思う。

 ――そうよアメリア。貴女は可愛くて素直。だからこれは、神の定めた運命なの。

 ニーナは、唇をゆっくりと動かし、淡く微笑んだ。

 開け放たれた窓から風が入り込み、彼女の髪を艶やかに揺らした。

「……そうね、アミー。貴女は邪魔者なんかじゃないわ」

 ――いつだって、邪魔者は私なの。

 青い髪が、眩く光を弾いて揺れる。光を弾く髪に、澄んだ青い瞳。淑やかな笑みを浮かべる彼女は、一幅の絵画に描かれた天女のように美しかった。

 レオンとアメリアはその様に目を奪われたが、当人は悲しさで歪みそうな顔を隠すため、すぐさま俯く。視界の端に白い影が走り、彼女はほんの少しだけ、ほっとした。

 艶やかな白色の毛並みを持つ愛猫が、窓辺から部屋に入り込み、足元にすり寄っていた。

「……シュネー」

 ニーナは愛猫を抱き上げる。そしてそのまま、レオンとアメリアの脇を通り抜けた。腕を組んだ二人から、目を逸らすいい口実だと思った。だがレオンは、目ざとく彼女の手首を掴む。

「ニーナ、どこにいく?」

 引き留められ、ニーナは彼を見返す。その顔に滲んだ嫌悪感に、彼は気づいただろうか。

 ――いずれ私を裏切る、移り気な恋人(レオン)

 レオンは不思議そうにニーナを見つめ、アメリアはうっとりと彼の横顔を見上げていた。

 恋する乙女の横顔を見て、ニーナは目尻に涙を滲ませる。

 裏切られた挙句、お前などいらないと言われるのは、もうまっぴらだった。その上、十七歳になったら殺されるなんて、割に合わない。

 アメリアとレオンの親密さから考えると、また妊娠したなんて聞かされる可能性だって高い。

 ニーナはすうっと息を吸い込み、俯いた。目尻に滲んだ涙を、気づかれぬように拭い取り、優しい言葉を吐き出す。

「昼食を一緒に取るのでしょう? せっかくだから、どうぞアメリアをエスコートしてあげてください。彼女も来月には社交界デビューだから、男性のエスコートに慣れなくてはいけないもの」

 アメリアが「きゃあ!」と嬉しそうに声を上げ、レオンを見上げた。

「そうよ、私あと一か月もしたら、社交界デビューなの。ねえ、レオン殿下。アミーのファーストダンスのお相手をしてくださる?」

 アメリアは、一国の王太子にファーストダンスを申し込むことがいかに重大なことか、知らない。

 やんごとない身分の人間は、特定の人間を特別扱いしていると思わせないよう、周到に計算して行動するものだった。デビュタントのファーストダンスの相手など、そんな特別対応ができるはずもない。

 レオンは平静に応じた。

「いや、それは難しい――」

「――お父様からも、お願いしていたわよね!」

 否定しようとしたレオンに、アメリアは重ねて声をかける。それを見たニーナは、彼女の表情に違和感を覚えた。純真無垢な顔をしていた彼女の瞳が、ぎらっと鋭く光った気がしたのだ。

 レオンはアメリアを見下ろし、やや躊躇ったあと、ため息交じりに頷く。

「……そうだったな。時間があえば、対応しよう」

 ニーナは驚きを隠せず、レオンを見返した。彼は何も言わず、視線を逸らす。

 その気まずい横顔に、ニーナもまた、視線を逸らした。震えそうになる体をなんとかいなし、踵を返す。

 六度も繰り替えした運命の再来を、感じずにはいられなかった。

 ――……もう、運命が動き出そうとしている。

 これから始まる、恋人の裏切りと、迫りくる自らの死を意識し、ニーナは目の前が真っ暗になる思いだった。

 部屋の扉に手をかけ、絶望に呑み込まれかけた彼女は、自分を落ち着かせようと、心の中で自らに話しかける。

 ――大丈夫よ、ニーナ。私はまだ、生きてるじゃない。

 込み上げかけた涙をぐっと呑み込み、音にならぬよう、震える息を吐きだした。

 ――この運命の連鎖は、きっと変えられないだろうけれど。

 六度も続けは、わかる。レオンは必ず、ニーナ以外の女性に恋をするのだ。

 でも、それなら、変えるべきは何――?

 ニーナはドアノブを見つめ、こくりと唾を飲み下した。

 ――変えるべきは、自分だろう。

 決して叶わなかった、恋。

 ――この恋は、もう諦めるべきなのよ。

 流れに抗わず、アメリアを選ぶと言われたら、素直に聞き入れよう。そうすればきっと、死は免れる――。

 そう考え、彼女は扉を開けた。そして再び、内心で首を振る。

 ――違う。そうじゃない。それは前回の人生でやったじゃない。それでも私は、殺された。

 ニーナの腕の中で、白猫が身じろぐ。頭が真っ白になった彼女は、シュネーを見下ろし、唐突に頭をよぎった考えを、吟味もせず呟いた。

「……そうだ。私から、婚約破棄を申し入れたら……」

 ニーナを見返していたシュネーの瞳孔が、驚いたように真っ黒に染まる。

 思いついた言葉は、突拍子もなく、しかしすとんと腑に落ちる答えだった。

 これまでは、レオンの真意を問い、諦めず縋り続けた。前回は、レオンを諦め、身を引いた。それでも駄目だったのだから、今世では、これまでしなかった、自ら婚約を辞退してみるという選択をしたら――?

 背後から、アメリアとレオンが朗らかに話す声が聞こえた。

「アミーね、この間刺繍をしたのよ。あとで見てくださる、レオン殿下?」

「そうか。以前の芋虫よりマシになっているといいがな」

「もう! あれは芋虫じゃなくて葉っぱだって言ったでしょ、意地悪……!」

 レオンの優しい笑い声が聞こえ、ニーナはキュッと唇を引き結んだ。ニーナの、一世一代の妙案は、彼らには聞こえていなかったらしい。

 彼女は目を閉じ、ツンと鼻を高く上げる。そうしないと、涙が零れてしまいそうだった。

 何度捨てられた記憶があろうと、今世の恋は今世のものである。

 ニーナは今も、レオンが大好きだった。婚約者にと言われた日は嬉しかったし、未だに彼が好きなのだ。だって彼はまだ、ニーナを裏切ってはいない。

 ニーナにとってレオンは、唯一無二の、愛しい青年のままだった。

 本当は、婚約破棄なんてしたくない。別れを想像するだけで、両手で顔を覆って、泣いてしまいたくなる。けれど、同じ悲しみを味わうのは嫌だった。

 ニーナは二度と、彼の浮気を見たくないのだ。

 彼女は自分を奮い立たせるため、心の中で、負けん気強く言い放つ。

 ――いいの。私は、新しい人生を選択するの。もう、浮気者なんて追いかけない! 今世は、私から婚約破棄を言い渡すのよ!

 その時、春風に揺れる、青く澄んだ彼女の髪先が一瞬、どす黒く変色した。彼女の愛猫が、金色の瞳を細め、背を伸ばす。シュネーはニーナを慰めるかのように細く甘い声で鳴き、彼女の頬に額を擦りつけた。彼女の髪色は、何事もなかったように元の澄んだ青色に戻り、レオンがふと視線を上げる。

 湿気を含む風が、開け放たれた窓から入り込んでいた。

「……雨か」

 彼が目を向けた窓の向こう――薄曇りだった空には、湿気を多く含んだ厚い雲が広がり、ぽつりぽつりと雨が降り始めていた。


拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

重ねて、ブックマーク、評価、ありがとうございます。

今後も頑張りますので、ぜひお読みいただけますと幸いです。


本日より、フェアリーキス様より刊行されております

新刊『落ちこぼれ侯爵令嬢は婚約破棄をご所望です』(PN.鬼頭香月)の

電子書籍が配信開始されます。

ご興味をお持ちいただけましたら、こちらもお手に取っていただけますと幸甚です。

鬼頭twitter→@kito_kozuki

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ