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『ニーナ。結婚式にはこの花を髪飾りにしたらどうだ? 君の琥珀色の瞳にとてもよく似合う』

 シルバーブロントの髪に、翡翠色の瞳を持っていたレオンは、風に煽られる己の髪を掻き上げ、ニーナに甘く微笑んだ。

 二人は王宮の庭園を散策し、雑談に興じていた。

 栗色の髪に琥珀色の瞳をしていたニーナは、淡い桃色のピオニーを髪に挿され、頬を染める。

 頬染めたのは、花が恥ずかしかったのではなく、甘く微笑む恋人に胸がときめいたからだ。

 容姿、知性共に優れ、彼は誰もが敬愛する王太子だった。

 ニーナは、自分がそんな人と結ばれるとは、未だ信じられない気持ちだったのである。

『……嘘みたい』

 呟くと、彼は小首を傾げた。

『何が?』

『貴方と結婚できるなんて、嘘みたい。……貴方が、私を選ぶなんて思っていなかったもの』

 照れくさくて、俯いて言うと、彼は顔を覗き込み、瞳を細める。

『俺も嘘のようだ。君のように美しく、聡明な姫君が、俺を選んでくれるなんて』

『――』

 ニーナはきょとんと目を丸くし、かあっと頬を染めた。

『え、選ぶなんて……っ』

『命令されたから、なんて言わないでおくれよ、ニーナ』

『そんなこと言わないわ……っ。お、お互いに好きだから、結婚することになったのよ……』

 レオンはニーナの頬を両手で包み込み、満足そうに笑んだ。

『そうだね。誰よりも愛してるよ、俺の姫君』

 さらりと愛を囁かれ、ニーナの頬はまた一段と赤くなった。


 伯爵家の一人娘だったニーナは、より格上の家にも適齢期の令嬢がある中、レオンに見初められた少女だった。

 学者をしている父を真似て、女だてらに勉学を好み、変わり姫と呼ばれていたのである。

 けれど王宮家庭教師をしていた父の伝手で、レオンとニーナは出会い、恋をした。

 出会ったのは十二歳の頃。レオンは十四歳だった。

 礼儀作法は身に着けていたから、いっぱしのご令嬢として挨拶をしてみたが、呼ばれた時庭で遊んでいた彼女は、裸足だった。

『どうして、裸足なの?』

 レオンに尋ねられて初めて自身の姿に気づいた彼女は、ぼっと頬を染める。

 父から賢い男の子だよ、と話を聞いていて、ニーナはレオンに興味を持っていた。

 その彼を父が不意に連れてきて、まずその容姿に驚いた。

 シルバーブロンドの髪はお人形のようにさらさらで、瞳は凛々しく、鼻は高い。形よい唇は、ニーナを見たら優しく弧を描き、彼の方から挨拶をしてくれたのだ。

『初めまして、レディ。私はレオン。君の父上には、とてもよく教えて貰っているよ』

 笑顔でそう言われ、ニーナは舞い上がった。

 大好きな父を、王太子が認めている。

 ここは自分も、いっぱしの淑女として、素晴らしい挨拶をせねば、と意気込み、スカートを摘まんで気取った挨拶をした。

 それが、裸足のままだったのだ。

 裸足の理由を問われ、ニーナはしどろもどろに答える。

『こここ、これは……ブランコをしていたの。靴で立つと滑るから、裸足の方がいいと思って……』

『ブランコ?』

 レオンはそれが何を指すのか、わからない様子だった。

 その時代、彼らの国にブランコという遊具はまだなかったのである。

 父が微笑ましそうにニーナを見てから、レオンに答えた。

『私の手製なのですがね。木の枝に(ひも)を二本(くく)りつけて垂らし、その先に板を渡すのです。楽しい遊具ですよ。大人になると、少々刺激が強くてできなくなりますがね』

 父が悪戯っぽく笑って説明し、ニーナに目を向ける。

『ニーナ。殿下をご案内してくれるかい?』

『うん!』

 ニーナは屈託なく頷き、レオンの手を引いて、庭園に案内した。そしてブランコの板に立ち、ふわふわとスカートを揺らして遊ぶ様を見せたのだ。

 ブランコの傍らでその遊び方を見たレオンは、なぜか頬を染め、忌々しそうに父に文句を言う。

『……目のやり場に困る』

 父はにやにやと笑って、首を傾げた。

『おかしいな。ニーナはまだ小さいから、殿下が照れるとは思わなかった。まあそれでは、ご一緒に乗ってみてはどうでしょう。そうすれば足はさほど見えません』

『はあ?』

 素っ頓狂な声を上げたレオンを無視し、父はニーナに声をかける。

『ニーナ。殿下と遊んであげなさい』

『いいよ!』

 ニーナはにこっと笑い、レオンを先に板に座らせ、その膝の間に腰を下ろした。

『えっ、そこに座るの……?』

 びっくりした調子の彼を振り仰ぎ、ニーナは瞬く。彼は何故か、ニーナと目が合うと、『う……っ』と呻き、また顔を赤くした。

『? うん。お父様と一緒に乗る時は、いつもこうよ。殿下の方が足が長いから、貴方が地面を蹴ってね』

『……わかった……』

 何も気にしていないニーナに根負けしたように、彼はため息交じりに地を蹴って、ブランコを動かし始めたのだった。

 レオンのブランコは、空まで届きそうなくらいに漕ぐ父と違い、ゆったりとした動きだった。

 ニーナが落ちないように気を使って体重を動かしているのが背中越しに伝わり、ほんの少し気恥ずかしい。

 一人前の女の子扱いをされている気がして、ニーナは頬に朱を上らせた。

 その内、レオンが纏う甘い香水の香りを感じ、まだ香水を使ったことのなかったニーナは、年上の男の子と密着しているのだ、とその段でようやく自分の状態を理解する。

 優しい王子様と密着していると認識したニーナは、俯き、身を強張らせた。

 頬が熱くなり、妙に心臓がドキドキと鼓動を打つ。

 はしゃいでいたニーナが急に大人しくなり、レオンは訝しそうに彼女の顔を覗き込んだ。

 瞳を潤ませ、恥ずかしそうに赤面しているニーナと目が合うと、彼は目を瞠って、何も言わず、姿勢を元の位置に戻した。

 そしてしばらく無言でブランコを漕いでくれた。

 ブランコから降りる頃には、二人ともで上がったように真っ赤になっていて、父は愉快そうに笑う。

『はい、二人ともお上手でした。いやあ、意外だなあ。お転婆なニーナが、女の子になってしまった』

『私は元々女の子よ、お父様』

 ニーナは意味がわからず突っ込んだが、父はくつくつと笑い、レオンは気まずそうに視線を逸らした。

『さて、では一緒に屋敷へ参りましょうか。星に関する文献を読みたいとおっしゃっていましたね、殿下?』

『あ、ああ……』

『お星様のお勉強するの? 私も一緒がいい!』

 お父さん子だったニーナは、すぐに彼の袖に飛びつき、父は視線でレオンを窺った。

 レオンは意外そうにニーナを見て、尋ねる。

『女の子なのに、勉強なんてするの?』

『女の子だと、勉強しちゃダメなの?』

 父は何も咎めず勉強を教えてくれていたから、ニーナは純粋にレオンの言葉が不思議だった。

 レオンは『ふうん』と呟き、頷く。

『じゃあ、一緒に勉強しようか、ニーナ』

『うん!』

 それからニーナはレオンが館に来ると同じ机で学び、休憩時間には一緒に遊び、仲良くなって、そして恋をしたのだ。

 プロポーズはなんとブランコの上で、ニーナは恥ずかしいやら嬉しいやらで大変だった。

 十六歳になっていたニーナは、もうブランコで遊んでおらず、淑女たるもの足を見せるなどあるまじき、と立ち居振る舞いの知識を身につけていた。

 しかしレオンが、誰も見ていないから久しぶりに乗ろうよと誘い、一緒に乗ったのだ。

『もう。こんな子供みたいに乗るの、今日だけよ』

『そうなの? 王宮にも作るから、ずっと一緒に遊ぼうよ』

 レオンが耳元で甘く言うから、ニーナはぽっと頬を染める。

『王宮にまで作ってどうするの。気に入ってるなら、ここに来ればいいじゃない』

 レオンはふっと笑い、ニーナの耳元に唇を寄せた。

『……結婚したら、そう頻繁に来れなくなるからさ』

『……』

 ニーナは目を見開き、レオンを振り仰いだ。

 彼は、落ち着いた表情でニーナを見下ろし、彼女は眉尻を下げ、瞳に涙を溜める。

『……レオン、結婚しちゃうの?』

 ずっと仲睦まじくしていたのに、他の女の子と結婚するなんて聞いてない。そう思って泣きそうな顔をすると、彼は眉尻を下げ、至極甘く微笑んだ。

『結婚したいと思ってるよ。……ニーナ、君とね』

『……え?』

 聞き返すと、彼は顔を近づけ、吐息交じりに尋ねた。

『俺のお嫁さんになってくれますか、ニーナ嬢? 俺は、貴方と家族になりたいのです』

『……』

 ニーナは予期していなかった出来事に目を点にし、数秒呆然とした後、呆けたまま頷いた。

『……はい、喜んで……』

 レオンはほっと破顔し、ブランコをとめる。

 そして彼女を膝に抱いたまま、唇を重ねた。

 ゆっくりと、甘く。

 何度目かのキスのあと、ニーナがうっとりと瞳を開けると、彼は愛おしそうに彼女を見つめ、囁いた。

『誰よりも、君を愛してるよ、ニーナ』

『私も……愛してる、レオン』

 そうして婚約した二人は、それから結婚まで、順調に過ごしていた。

 結婚式で使う花飾りや、ドレスに使う布地などを共に選び、心温まる時を共有していたのである。

 しかし時勢に混乱が生じたのは、二人の結婚を間近に控えた、ある日だった。

 安寧の時を刻んでいたはずなのに、突如派閥争いが勃発したのだ。

 ニーナの父が所属していた、教会の教えを厳格に守るべきと主張する教会派と、国と教会の隔絶を主張する独立派は元より友好関係になかったが、教会派の一貴族が、国への報告のもなく、銃を増産していると密告があったのである。

 調べると、とある貴族の領地から大量の銃が発見され、そこから次々に教会派の貴族の領地から記録にない多くの武器が見つかった。

 領地から武器が発見された貴族は全員、身に覚えがないと訴えたけれど、王への謀反の疑いで捕らえられた。

 それは、ニーナがレオンと結婚することで、教会派に力が傾くことを恐れた、独立派の謀計だった。

 独立派は密かに教会派の敷地に侵入して武器を仕込み、罪をねつ造したのだ。

 事態を憂えたレオンは、独立派に煽られ、王都のあちこちで示威運動が起こっている中、馬を駆って父の元まで来た。

『――貴方の元へ火の粉が飛ぶ時は近い。どうかニーナを連れて、逃げてください』

 王都にある家に、護衛兵二名のみを連れて訪れた彼に、父は渋面になる。

『しかし』

 父が返答を迷ったその時、レオンの背後から大量の騎馬兵が門を押し開いて館の敷地内に雪崩れ込んだ。

 国王軍でも、独立派の一人であるダニエル将軍が率いる一軍であった。

 彼は馬から降りることなく、玄関前に向けて馬を走らせながら、叫ぶ。

『――テオ・メルダース! 謀反を計画した罪により、貴殿及び一家を捕らえる。抵抗すれば、この場で斬り捨てる!』

 父の名を呼んで彼が告げたその罪状に、ニーナは青ざめ、レオンは舌打ちした。

『先生、どうかお逃げください……! あれはとまらぬ! このまま斬り込んでくる……‼』

 王宮家庭教師であった父を、レオンは先生と呼んでいた。

 国王軍の兵らは、口では捕らえると言っていたが、馬の勢いを緩める気配はない。

 ニーナたち一家をこの場で手にかける腹積もりなのは、明らかだった。

 独立派にとって、レオンの婚約者に収まったニーナは、何より目障りな存在だ。

 口封じも兼ね、一家もろとも処刑するというのは、佞臣の考えそうな策である。

 レオンは父の隣にいたニーナの頬を両手で包み込み、短いキスをした。

『――ニーナ。俺の愛は、君一人のものだ。未来永劫、君を愛している。どうか、無事に逃げてくれ……っ』

 父は顔を歪め、傍にいた母とニーナを連れ、家屋の中へ逃げ込んだ。

『レオン……っ』

 父に手を引かれたニーナは、レオンを振り返る。

 ダニエル将軍は、レオンに気づき、剣を抜いた。

『貴様、殿下に剣を抜くか、ダニエル!』

 レオンの護衛についていた兵が声を荒げ、ダニエルはにやっと笑う。

『何、剣の鍛錬のお相手をするだけだ』

 ダニエルは馬から、だん、と飛び降り、レオンに向かって剣を振り被った。ぎいん、と火花が散り、ニーナは息を呑む。

 ダニエルは愉悦の笑みを浮かべ、後方にいた部下に命じた。

『奥へ逃げた者どもを処分せよ!』

『ダニエル、貴様……‼』

 レオンが悔しそうに声を荒げ、彼の脇を複数の兵が駆け抜ける。

 ニーナは迫りくる兵を見て、視線を前に向けた。

 ――逃げなくては。

 ただそれだけを思ったが、次の瞬間、胸にどん、と衝撃が走り、ニーナの足はとまった。

 かくりと膝を折ると、目の前で両親が首をはねられ、ニーナの意識はそこで途絶えた。



「――……」

 最初の恋を思い出したニーナは、呆然とレオンを見つめた。

 レオンは辛そうに眉を顰め、ニーナの髪を梳く。

「何度も、君と、君の家族を生かそうと考えを巡らせた。でもいつも、失ってしまう。俺ももう、君の死を見るのは嫌なんだよ、ニーナ……」

 レオンは浮気ばかりする人だ、と思っていたニーナは、視線を落とし、瞬いた。

 ――辛い記憶ばかりが鮮明で、最初の恋を、ずっと思い出せていなかったわ……。

「それとももう、俺なんか嫌になった? ザシャ殿がいい……?」

「……貴方が、好きよ」

 ぽろっと答えてしまい、ニーナは口を押える。

 レオンはその手を取り、顔を覗き込んだ。

「ニーナ。今世こそは、君を幸福にしたい。俺と家族になってくれないか……?」

 普段は迷いない力強さを宿す菫色の瞳が、今は微かに潤み、不安そうにニーナを見つめていた。

 ニーナは吐息を震わせて、同じく瞳を潤ませる。

「……でも、そんなこと……できるの……?」

 だってニーナは、レーゲン王国の人にとっては魔物だ。

 レオンは眉尻を下げ、温かく笑った。

「俺が必ず、君を守るよ、ニーナ」

 甘い微笑みはあの頃から何一つ変わらず、ニーナは恋心を抑えられず、頬を染めて笑い返す。

 両親が亡くなり、今世のニーナは、どの人生よりも孤独だった。

 ベルクマン侯爵の元へ引き取られても、愛情らしい愛情は受けずに育ち、唯一の支えはレオンだけ。

 前世を思い出してから、そのレオンまでも自分を裏切るのだと知り、絶望すら覚えていたのだ。

 けれどレオンの心は変わっておらず、家族になろうと言って貰えて、ニーナはようやく、安らぎを感じられた。

 彼の胸に抱き寄せられ、頼もしさに安堵の息を吐く。

 それでも、安心しきることはできなかった。

 廊下には、レオンについて来たのだろう、カールとハンネスが控えていた。

 二人の会話がさっぱりわからないという顔していたカールやリーザに対し、ハンネスだけは、険しい眼差しでニーナを見据えていたのだ。

 ニーナを望まぬ者は多い。

 それを間近で、ひしひしと感じた。


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