5
レオンは窓辺の書棚脇に立ったまま、話を始めた。
「まず、国で君を守り切れず、恐ろしく感じさせたこと、本当に済まなかった」
「……」
謝罪されるとは考えていなかったニーナは、瞳を大きくして、彼を見上げる。
レオンは、心からすまなそうにニーナを見つめていた。
「俺が不甲斐ないばかりに、兵は剣を抜いた。俺では頼りにならないと判断されても、仕方ない」
「……いいえ。レーゲン王国の方は、魔力を持つ者を恐れていらっしゃるもの。あの混乱では、どうしようもなかったと思います……」
ぽかんとしながらも、彼の言葉を否定すると、レオンは眉根を寄せる。
「ニーナ。それでも俺は、あの場を鎮めねばならない人間だった。俺はいずれあの国を統治する者だ。臣下が命令を聞かぬなど、あってはならぬ。俺はまだ、臣下の信頼を獲得しきれていない、未熟者なんだ」
――だってレオン。貴方まだ、十八歳よ。それはこれからじゃないの……?
ニーナが思うよりもずっと、レオンは迅速に統治者になろうとしていた。それは頼もしくもあり、無理をしているようにも見える。
レオンは苦しそうにため息を吐き、俯いた。
「愛想をつかされたとしても、俺に引き留める術はないとわかっている。だが誤解だけは解いておきたい。俺は……。アメリアとのアレは、違うんだ」
言い難そうにするレオンが、何について話そうとしているのか、すぐにわかった。
聞きたくない、という気持ちが立ってしまい、ニーナは眉を顰める。
その表情を見て、レオンもまた顔を歪めた。
「俺が悪かったのは承知している。言い訳など、男らしくないとも。責任を取れと言われてもおかしくない。だが――聞いてくれ」
ニーナが黙っていると、彼は了承と受け取り、話を続ける。
「……俺はあの日、気分が悪いというアメリアにつき合って、庭園に出た。ベルクマン侯爵が、自分は手が離せないから頼むと言って、体調が悪いのを無下にするのも悪いと思い、テラスまでなら、とつき合ったんだ。だが彼女は案外に元気で、もっと奥が見たいと、どんどん人気のない場所へ向かう。他に人を呼んだ方がいいとは思ったが、彼女は呼びとめても聞かず、足場の悪い庭を歩いていたアメリアは、躓いた」
「転んで唇が当たったとおっしゃるの? そんな風には見えなかったわ。貴方とアメリアの唇は、しっかり重なっていたもの。――意志を持って」
ニーナは自分でも驚くほどはっきりと、そして冷たくレオンに反論していた。
自覚していなかったけれど、彼女は怒っていたのだ。もうずっと――とても長い間。
彼の浮気は、一度だけではない。
彼は六度も他の女性に目を向け、そして直前の人生では、浮気相手を妊娠させていた。
今世のレオンを前にすると、恋心で忘れかけてしまうけれど、やっぱり許せないものは許せない。
レオンは、ニーナとの婚約期間中に、他の女の子を抱いた。
沸々と怒りが湧き、でもそれを見せるのは憚られ、感情を堪えようとするニーナの瞳は潤んだ。
レオンは驚いたようにニーナを見返し、すぐに口を開く。
「違うんだ。転んだ彼女を抱き留めたのは確かだ。しかし唇は偶然当たったのではなく……その……」
レオンは言い淀み、口惜しそうに拳で額を押さえた。
そして大きくため息を吐き、ぼそぼそと言った。
「転びそうなところだったから、若干焦っていた。だから、転ばせずに支えられ、ほっとした次の瞬間に……彼女が自ら唇を重ねてこようとは、考えていなかったんだ……」
「…………」
ニーナは無言でレオンを見つめる。
何を言えばいいのかぐるぐると考え、しばらく言葉が出なかった。
――アメリアったら、大胆ね……とか? でも人が見てるとはわからなかったでしょうから、彼女としては、一世一代の告白まがいの行動だったのかしら。それにしても、あっけなく唇を奪われるレオンもどうなのかしら。お姫様じゃないのだから……。ううん、レオンは十分肉食獣っぽいから、これはアメリアがより肉食獣だったということ……?
何も言わないでいると、レオンが顔を上げる。
「許してくれとは言わない。俺が悪かった。だが今一度考えて欲しい。俺は――君のために、国を変えると約束する」
――国を変える。
その一言に心が浮足立ちそうになり、すぐにニーナは、現実を思い出した。
これは愛の告白なんかじゃない。
彼はかつてから、国交締結の計画を立て、それを推し進めているだけに過ぎない。
それに、レーゲン王国には、ベルクマン侯爵がいた。
内務大臣という要職に就いた、ニーナを厭い、殺せと命じていた彼がいるのに――どうやって変えると言うのか。
ニーナはこくりと唾を呑み込み、真剣な面持ちで自分を見つめるレオンに、口を開いた。
「……そんなの無理よ、レオン」
「ニーナ……っ」
レオンは失望の滲む声で名を呼んだが、ニーナは顔を背け、図書室の出入り口へと向かう。
国を変えるなんて、できるはずがない。
議会がニーナを承認するはずもない。
この恋は――いつだって叶わなかった。
レオンとニーナは何があっても、結ばれない。そしてきっと、愛さえもない。
六度も繰り返した残酷な運命は、彼女に希望を抱かせぬ、十分なまでの苦しみを与えていた。
頬を強張らせて図書室の扉を開けたニーナは、ちょうど扉の前に立っていた青年を見上げる。
今しがた来たのだろうか。
白銀の髪に、青い瞳を持つザシャが、ニーナを見下ろして目を瞬いた。
「あれ……勉強はもうお終い、ニーナ?」
兄の顔で穏やかに尋ねられ、応じようとしたニーナは、また口を閉じる。
ザシャの肩越しに、既視感のあるドレスを着た少女が立っていた。
ニーナの全身から血の気が引いていく。
目立たないが、いくつもの宝石を使った、桃色の清楚なドレス。
レオンに贈られ――そして彼女が気に入って勝手に持ち去った。
ニーナの視線に気づいたザシャは、その少女が見えるよう、体を横にずらす。
「先日から文がしつこくて。ニーナに会いたいと煩いから、召喚を許したのだけど……」
柔らかな風と涼し気な水音が響く穏やかな王宮に、彼女のその笑顔は目に眩しく、そしてニーナの心臓を凍りつかせた。
「……アメリア」
ハニーブロンドの髪に、金色の大きな瞳を持つ、ニーナのいとこ・アメリアが、満面の笑顔を浮かべて立っていた。




