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 謁見の間で会った時は、自分の恰好が気になるばかりで意識していなかったが、改めて彼を目の当たりにしたニーナは、頬に朱を上らせた。

 久しぶりに見たレオンは、精悍で、凛々しく、その体躯は実に逞しい。幼い頃からニーナを守ろうと尽力し、心優しさまで兼ね備えたレーゲン王国の王太子は、やはり今でもなお、彼女の目には特別に映った。

「レオン様……」

 ときめきと、しかし彼の移り気への悲しさ、そしてこれからの別れを考え、ニーナの声は少し震える。

 レオンはその声を聞いて、足をとめた。

 いつもよりも距離を開け、彼はニーナから、ザシャに目を向ける。

「大声を上げ、失礼した。どうにも自分以外の男が婚約者に触れるのは、我慢ならぬ故」

 レオンの恫喝に驚いていたザシャは、呆れた顔になった。

「そうですか……。王宮であんな大声は滅多に聞かないから、驚きました……。ニーナにも、あのように怒鳴られるので?」

 やや冷えた声音で普段を問われたレオンは、無表情だ。

 ザシャに答えたのは、レオンの背後につき従っていた彼の近侍の一人・カールである。

 漆黒の長髪を一つに束ねたカールは、場にそぐわないのんびりした調子で言う。

「いえいえ。私共の主人は、顔つきこそ恐ろしゅうございますが、ニーナ嬢にだけは大層甘く、怒鳴るなど滅相もございませぬ……」

 厳めしい表情ではあるけれど、恐ろしいのとはちょっと違うのじゃないかしら、とニーナはレオンの顔を見る。

 ザシャはカールと護衛のハンネスを値踏みする目で見てから、ニーナの表情を確認した。そしてふっと息を吐く。

「そうですか……それならば、いいのですが。……二人きりの対面をお望みとは承知しておりますが、本日は私も同席致します」

 ザシャはニーナに微笑み、手を差し伸べる。

「おいで、ニーナ。星湖に連れて行ってあげる」

「星湖?」

「星が沈む湖。普段は王族しか出入りできない場所」

 ザシャの手に手を重ねると、くいっと引っ張られ、ニーナはレオンよりも先に歩かされた。いつもレオンの後ろについていた彼女は、違和感を覚え、彼を振り返る。

 レオンは何も言わず、後方からついて来ていた。

 その距離がいつもより遠く、ニーナは眉尻を下げる。

 ――もう、他人として接せられるのね。

 そんな風に感じ、ニーナは視線を戻した。

 レオンはアメリアを選ぶのだろう。当然だ。魔物と叫ばれ、突然消えたニーナなど、議会が承認するはずがない。

 レオンの妻となるべく多くを学び、レーゲン王国の政をよく理解している彼女は、自分の置かれている状況を想像し、胸を押さえた。

 自分でも別れを決意していたのに、いざレオンもそのつもりだと感じると、寂しさに襲われる。

 離れたくない。でも、離れないといけない。――せめて、生きるために。

「ここが、星湖」

 連れてこられた湖は、聖堂の中にあった。

 湖に合わせて作られた建物らしく、柱は湖の周囲を囲うように円形に並び、天上には星空が広がっている。

 窓は虹色のステンドグラスで、屋内は灯で照らされ、湖の湖面がゆらゆらと揺れる灯火の光を反射した。

 湖の底には、天上と同じ星空が沈んでいる。

 ニーナは天上で煌めく星に感嘆の声を上げた。

「本物みたい……」

「天上の空は本物だよ。太陽の光を切って、星の光を映し込んでいる……。星は日中も瞬いてるけど、太陽の光が邪魔をして見えないだけだから」

「日中も星があるの? 知らなかった」

 星は夜だけ空に上るものと思っていた。そう言うと、手を引いて来てくれたザシャは手を離し、柔和に笑んだ。

「……この国に生まれていたら、君も当たり前に感じる話だったのだけれどね……。どうしてテオ様は、君をレーゲン王国で育てようとお考えになったのか、不思議だよ」

 言外に、ニーナの無知さは、レーゲン王国のせいだと言われ、彼女はぎくっとする。

 ニーナがレーゲン王国で育ったのは、父がそう望んだからだ。自分が愛する妻が生まれ育った国だから、娘にも同じ環境で育って欲しいと考えたのだと、生前話していた。

 少し離れた位置に立っていたレオンが、嘆息する。

「我が国の学問は貴国ほど進んでおらず、お恥ずかしい限りだ。いかんせん、我が国には魔力を持つ者もおらず、文明も遅れていると感じられることだろう。ぜひ貴国の学問・文化を取り入れ、より先進的な国家にしたいところだ」

 ニーナは視線を下げ、湖の底を見た。国交締結の交渉に入ろうとしているのだなと察し、口を挟まない方がいいかなと感じたのだ。

 ザシャが口の端を吊り上げる。

「ああ、なるほど。異文化・異教徒など悪とお考えになる、古臭い者たちの巣窟かと想像しておりましたが、貴方はやや考えを異にするのですね……?」

 かなりの嫌味であるが、レオンは穏やかに目を細めた。

「我が国は、先へ進もうとしている。貴国も霧の中で縮こまっておらず、そろそろ外へ出て行かれてはいかがか」

 しっかり嫌味を挟んで返され、ザシャはひくっと頬を引きつらせる。

「我々は先に行きすぎておりますので、他国の妬みを買いやすいのですよ、レオン殿下。愚かな者たちは、すぐに武力でもって支配を試みる。我らの王は、戦を望みません」

「では、武力行使を計画するのも無駄だと考えさせる、策を講じればよい。例えば、貴国が学問を提供する代わりに、我が国は貴国の守護をお約束するという条約を結ぶのはいかがだろう。我が国は周辺各国一の軍事力を誇る。向こう百年は、我が国に刃を向けようとする国はない」

「……」

 ザシャはレオンを胡乱げに見やり、視線を逸らした。

「……そういったお話は、この場ではお答えしかねます。陛下のご意向もお伺いせねばなりませんから。それに貴方は、ここへ何をしに来たのです。ニーナにかこつけて、政をなさりに来たのですか……?」

 ニーナを婚約者においたのは、国交締結の交渉材料のためなので、あながち間違えではいない。

 そしてここで条約を結ぶ約束ができたなら、レオンはニーナと結婚する必要がなくなり、成果は上々だ。

 彼は国交を開いた功績を手にした上、国内ではアメリアと結婚し、最善を手にする。

 ニーナははあ、と微かなため息を吐いた。

 ――やっぱり、私なんて愛していなかったのだわ。

 レオンは物憂げなニーナを僅かに気にし、ザシャに答える。

「……ニーナと話をしようにも、監視つきでは障りがある。だが何も話さぬのも、時間が惜しい。だから政の話をさせていただいた。私は遊ぶためにここに来たわけではないのでな」

 ザシャは鼻を鳴らした。

「なるほど。お忙しいというわけか。では私の目など気にせず、お話になればよい。ニーナとの婚約は、破棄されると。ニーナも、それでいいよね……?」

「――え」

「――おい」

 やにわに話を振られ、ニーナは目を丸くし、レオンが初めて聞く語調でザシャを遮った。

 ザシャはレオンを無視し、ニーナに向き直る。

「僕は、婚約は破棄した方がいいと思うよ。だってレーゲン王国は野蛮な考えを持つ者が多い。その証拠に、髪の色が変わったから、魔力を持つからと、酷い言葉を投げかけられたのだろう? 君はただ『神の愛し子』というだけなのに。宴の夜の話は、デニスから聞いてるよ。あの夜、レオン殿は、なんの役にも立たなかったらしいよね……?」

 言外に責められ、レオンは真顔になった。ニーナはレオンを窺いながら、指先で唇を押さえる。

「レオン様は……守ろうとしてくれてたけど……」

 頭が混乱していたから、はっきりとは覚えていないけれど、レオンはニーナの頭に上着を被せ、全員に下がれと命じていた。

「でも兵は君を斬るために、剣を抜いたのだろう?」

「それは……」

 確かに兵は剣を抜き、殺せという声と、控えろという声が飛び交っていた。

 あの夜を思い出し、ニーナは身をすくませる。雨が降りしきり、髪は漆黒に染まり、あの場では、ニーナは邪悪な者と扱われた。

 次第に記憶が鮮明に蘇り始め、恐怖が全身を襲いだし、ニーナはぎゅっと目を瞑った。

 レオンとアメリアのキスシーンを見てしまった絶望感と、冷たい雨の感触。響き渡る怒号に、体温はどんどん下がり、ニーナは震えて泣くしかなかった。

 また同じように泣き出しそうな感情が込み上げ、しかし直前で、ニーナは歯を食いしばる。

 ――ダメ。感情を乱したら、天候に影響を与えてしまう。魔力をコントロールしなくちゃ。

 ニーナがいるのは、ネーベル王国だ。彼女に暴力を振るう者も、殺そうとする者もいない。

 怯えて震える必要はなく、委縮するなんて意味のない反応だ。

 ニーナは、人目を恐れ、怯えるのではなく、誰の力も借りずとも立てる人間にならなくてはならないのである。

 これからレオンを失うなら尚更、もっと精神的に強くならないといけなかった。

 ニーナは目を閉じて、臆病に育ってしまった己の心を叱咤する。

 ――大丈夫。私は、強くなれる。

「……ニーナ。怖いの……?」

 それでも震えてしまっていたニーナに気づいたザシャが、両肩に触れる。

 妹を宥めるように、抱きしめられる気配を感じたが、レオンの冷えた声がそれを咎めた。

「――ザシャ殿。控えて頂きたい」

「……」

 ニーナはパチッと目を開ける。

 レオンはザシャを淡々と見つめ、無表情で言った。

「私の目の前で、ニーナを抱きしめるのはやめて欲しい。とても我慢できそうにない」

 声は平静で、表情も落ち着いている。何を我慢できそうもないのかと、ニーナは不思議に思ったが、ザシャは肩から手を離した。

 レオンは視線をこちらへ寄越し、ニーナの心臓が、ドキッと跳ねる。

「……ニーナ。俺は君を迎えに来た。だが無理強いはしない。君が、この国に残りたいというなら、そう言ってくれて構わない」

「……レオン様」

 ――私はもう、国交締結の交渉材料にも、いらない……?

 隣国に入ってしまえば、ここからは彼の腕次第で、いくらでも交渉に入れる。無理にニーナを娶る必要もなくなったから、そう言うのかと、ニーナは眉尻を下げた。

 瞳に涙が滲み、それを見たレオンは、視線を逸らす。

「……すぐに答えなくていい。よく考えて欲しい。ここは居心地がいいだろう。たった数週間で、君は随分と変わった……」

 ニーナは自分を見下ろした。

 衣服は変わったが、他に何が変わったのか、彼女にはよくわからなかった。


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